(2)建国祭①
それは、建国祭の前日だった。
建国祭は、秋分の後の最初の満月の日と決まっている。
そして、祭りは建国祭当日をはさんで前後二週間続く。
つまり、丸まる一か月騒ぐわけだ。
しかし、一昨年は王が亡くなり中止。
昨年は半分の前後一週間。
さらに、今年は前後三日に縮小された。
「祭りくらいは派手にやらせてくれれば良いのに」
誰もが不満の声を漏らしていた。
新王制になってからというもの、国の様子が一変した。
たとえば、農作物の出来が悪い。
あるいは、他国との交渉がうまくいかず、来客が減り、宿の収入が減った。
更に、国境警備と称して、成人男性が動員されるようになった。
そして、まことしやかに流れる噂。
「現王ジャコモは、偽王だ」
「本当かな」
弟、リシュの問いかけを、ロッシュは鼻先であしらった。
「知るもんか。どこの誰が言い出したか知らないけど、そんなこと口にするもんじゃないよ」
そして、きつく絞ったシーツを、パーンと広げ竿に干す。
そこへ、兄のナッシュが現れた。
「ロッシュ。産婆のパオラさんが呼んでるって」
「パオラ婆が? 何の用かな?」
「知らないけど、早く行ってやりなよ。婆さん最近調子悪いだろう」
「だね。洗濯も丁度終わったし」
ロッシュはエプロンの端で手を拭くと、スカートをなびかせて走り出した。
みるみる小さくなっていく後ろ姿に、ナッシュはつぶやいた。
「相変わらず足の速い奴だ」
「こんにちわー。ロッシュでーす」
元気よく扉をたたき、勝手に開ける。
「ああ、ロッシュ。来てくれたのかい」
奥の寝室から、パオラが出てくる気配がした。
「どうぞ、横になっていてください。すぐ、そっち行きますから」
けれど、扉が開いてパオラが顔を出した。
青白くやつれた顔で、しかし、目には強い意思が読み取れた。
「いえ、今日は外で話したいの」
そうして、彼女は先に立って歩き出した。
川沿いの道、前を歩くパオラが振り返った。
「今日は調子が良くてね、今日しかないと思って」
「はぁ。でも、無理しないでくださいよ。昨日まで寝込んでたんでしょう」
後ろから見る限り、足取りはしっかりしている。
ただし、荒い息をついては大汗をぬぐっている。
パオラは、川下寄りにある高台に上っていく。
「ここなら、誰か来ればすぐ分かるからね」
そう言って辺りを見回す様子から、人に聞かれたくない話だと気づいた。
しかし、思い当たることは何もない。
しばらく、風を楽しむように黙った。
丘からは国中が見渡せる。
半径二キロに満たない円形の国土。その周りを取り巻く樹木の壁。
外側は砂の世界。一番近い国まで、ラクダで二週間はかかる。
森が途切れている場所には門がある。東と西に一つずつ。他に入口はない。
国を真っ二つに分けて、北から南に流れる川。
川は泉に端を発し、そのほとりに王宮があった。
「知ってるかい。この丘は、川を掘った時に出た土でできているんだよ」
「もちろん。建国祭で毎年聞かされるからね」
そして、歌うように建国詩をそらんじた。
流星に乗りて 黄金の乙女 この地に舞い降りぬ
魔法の力で沙漠に泉を呼び起こし
恵みの木 ロシュナーハを植え
月の指輪を王に与え
この地に平和と幸福をもたらした
王は 指輪とロシュナーハに守られたこの地に
平和を意味する太古の言葉「パース」と命名せり
「王は乙女と結ばれたっていうから、今の王族はみな、魔法使いの子孫だね」
「魔法は使えませんけどね。でも、私たち国民も、みんな子孫ですよ」
「そうさね、さかのぼればみんな親戚だからねぇ」
二人は笑いあい、王宮に目を向けた。
太陽が、四方を囲む塔の先端に反射し、魔法の宮殿のようだ。
「でもね、ロッシュ。お前は本当に王女様なんだよ」
「はぁ?」
「これから話すことは、私とオッタビオと、二人だけの秘密だった」
「オッタビオって、一昨年亡くなった、王宮づきのお医者様のこと?」
「そう。だから、今は私しか知らない。そして、私ももう長くない。今、お前に話しておかなくてはいけない」
パオラの勢いに押されるように、ロッシュは唾をごくりと飲んだ。
あれは満月の夜だった。
王宮では賓客をもてなして宴会が行われていた。
臨月が近いお妃様は参加せず、二階の小部屋で休んでいらした。
側仕えの侍女は四人。中の一人は、あんたの母親だった。
彼女も臨月で、だからこそ、お妃様は一緒に いたかったんだろうねぇ。幼馴染だったし。
ところが、急に二人とも産気づいたんだ。たぶん、満月に引っ張られたんだね。
私一人で二人を看るには無理がある。
特にお妃様は、日数が足りない。何かあったら大変だ。
それで、一番若い侍女にオッタビオを呼びに行かせたんだ。宴会の末席にいるはずだからってね。
それから、一人にはタオルや衣類の用意を、もう一人には産湯の準備を言いつけた。
ところが、オッタビオがなかなか来てくれない。やっと来てくれた時には、もう、頭が見えていて。
後で聞いたら、たまたま家から使いがあって帰ったところだったとか。でも、侍女は機転の利かない子だったから、自分で走ったんだね。もう、汗だくで、息も上がっていて。
可哀そうだったけど、次は王様を呼んで来るよう言いつけた。侍女は子供が生まれるのが嬉しかったのだろうねぇ。ぜいぜい息をしているのに、喜んで走って行ってくれたよ。
お妃様は四人目だったし、あんたの母さんも二人目で、二人とも上手に産んでくれたよ。
お妃さまの方がほんのちょっと早く産みなすって、元気な泣き声が響き渡った。
でも、オッタビオは何も言わず、……。
何かあったのかって思う間にあんたの母さんも産みなすって、……。
オッタビオがいきなり私からその子を取り上げたんだ。
代わりに、自分が抱いていた子を私に押し付けて、お妃様に告げたのさ。
「男の子ですよ。ほら、元気で可愛い」
押し付けられた子は……、女の子だった。
そこへ王様と侍女が到着して、部屋は大騒ぎ。私は何か言う機会を逃してしまった。
バタバタと産湯を使わし、柔らかなタオルで拭き上げ、産着を着せて。そう、あんたも立派な衣装を着せてもらったね。
王様とお妃様が男の子を囲んで大喜びしている部屋の隅で、あんたの母親はあんたを抱いて大喜びしていた。
「ほら、見て。なんて色白で可愛い。ロシュナーハの花みたいじゃない。そうだ、名前はロッシュにするわ」
「ああ、いい名前だねえ」
私はそう相槌を打ったけど、心の中は恐ろしさで一杯だった。
こんなこと、人に知れたらどうなることか。
でも、オッタビオの気持ちもよく分かるのさ。
王様は男の子を欲しがっていた。
今いるお子様は、みな女の子だから。
けれどお年を考えたら……、たぶんこれが最後。
「その王子様も、一昨年ご病気で亡くなられた。
絶望した王様は、指輪を甥のジャコモ様にお譲りになって自害された。
オッタビオも、王子様を助けられなかった責任を感じて自害した。
でもね、なんだか変じゃないかい。何がって、分からないけど、変な気がしないかい?」
パオラが怯えたような表情で、ロッシュを見る。
けれど、返す言葉が見つからない。
「誰かが偽王と言い、それが広まっている。みんな変だって思ってるんだよ」
民の間に広がる不満と不安。
「私のせいだって、思ってるの?」
「そうじゃない。あんたに何の咎がある。何も知らない赤んぼだったんだ。罰されるべきは私の方だ」
パオラは、頭を抱えてうつむいた。
「でもね、何か大変なことが起こるような気がするんだ。何がって、分からないけど」
パオラは顔を上げ、ロッシュを正面から見つめた。
「そのとき、あんたはどうする?」
「どうするって……」
「真の王女として、だよ」
「真の、王女……」
もう一度、王宮を見る。
今まで王家は遠い存在ではなかった。
この小さな国では、皆が家族のように過ごしていたからだ。
それなのに、急に王家が遠く感じられた。
本当の家族だと言われて……。
ロッシュは、両手を広げ、手のひらをじっと見つめた。