(12)異邦人②
二人分の足音が近づいてきた。それが止まる。
続いて、太くどっしりとした女性の声が響いた。
「面を上げよ」
顔を上げると、御簾は下がったまま。王の姿は見えない。
御簾の手前に立つ女性が、手にした杖でドンと床を打ち鳴らした。杖の上部についた三つの輪が、シャララと音を立てる。
「王は下々の者とは直接話さぬ。私の言葉を王の言葉と思うように」
美しいけれど冷ややかな表情で、値踏みするように、ロッシュの頭のてっぺんからつま先まで視線を下ろす。
「ふん。黒髪か。名は何と申す」
「ロッシュでございます。お妃様」
女性の口元が少しほころんだ。
「妃ではない。王の母じゃ」
「ええ! そうなんですか。申し訳ありません。お若くてお美しくて、てっきりお妃様と勘違いしました」
「よいよい。名乗らなかった私の方が悪かった」
「若く美しい」と言われたのがよほどうれしかったのか、表情も口調もがらりと変わった。
「ロッシュとやら、そなた、指輪は持っておらぬか」
「指輪ですか。あいにくと、一つも持っておりません」
「そうか。なら良い」
皇太后の機嫌がさらに良くなった。
「しばらく滞在するがよい。西の離れに部屋を用意しておやり」
侍女頭にそう命じて、皇太后は姿を消した。
御簾の中の人物も、ゆっくり立ち上がると、後を追うように立ち去った。
侍女頭は、
「お部屋の準備は出来ております。サラ、案内しておあげ」
と言い残し、出て行った。
サラと呼ばれた侍女が、ロッシュに深々と礼をする。
「サラと申します。ロッシュ様のお世話をさせていただきます」
サラの案内で、ロッシュは西の離れに向かった。
庭園を幾つも通り抜け、右に左に曲がって進む。
(まるで迷路だ。真っすぐ抜けられないのか?)
そんな疑問を抱いたとき、サラが指さした。
「あれが、西の離れです」
鉄製の門を開ける。そこもまた、美しい庭で、東屋のような小さな棟が二つある。
その一つに入ると、食事の用意ができていた。とたんに、おなかがぐぅぅと鳴る。
サラが、笑いをこらえながら言う。
「お食事は、毎回こちらに用意させていただきます。奥の部屋は寝所となっております。隣の棟ではお下の世話を、ご要望がありましたら湯あみのご用意もさせていただきます。外へ出なくても、廊下伝いに行くことができます」
(おしものせわ? ああ、お便所のことか)
早速使わせてもらい、手を洗い、うがいをし、食事を済ませた。
肉や魚は見たことのないものばかりだったが、野菜や果物はパースで採れるものと同じものもあった。
おなかが大きくなると、当然のように眠くなった。
(そう言えば、昨日から眠ってない)
夜中に家を抜け出して、この世界に来てしまった。
それから、午前中歩き通して王宮へ。夕方まで待たされて、やっと今だ。
(みんなどうしてるかなあ)
きっと、心配しているだろう。無事だと伝える方法があればいいのに。
思うことはいろいろあったが、とにかく横になりたかった。
寝所に入ると、柔らかなベッドに身体を投げ出した。
隣の部屋から、カチャカチャと食器を片付ける音がする。
(そうだ、サラに湯あみしたいって言わなきゃ)
そう思ったが、もはや目を開けることもできない。
着替えもせず、靴も履いたまま、秒で寝入ってしまった。
「ロッシュ」
名前を呼ばれて目を開けた。人影はない。
「ロッシュ。出ておいで」
夢ではない。確かに誰かが呼んでいる。男の人の声だ。
外はまだ薄暗い。
危ないんじゃないか?
でも、……。
ロッシュは起き上がると、窓を開けた。
薄闇に、美しい男性が立っている。色白で、目鼻立ちがはっきりしている。長い髪も色薄く、そこだけ光が当たったように浮き上がって見えた。
「こっちにおいで。話をしよう」
そう言われても……。
「あなたは誰ですか。なぜ、私の名前を知っているのですか」
男は、くくっと笑った。
「自分で名乗っていただろう。私は御簾の後ろで見ていたのだよ」
「王様?」
にっこり微笑む。花がほころぶようだった。
(王とあれば、行かねばなるまい)
ロッシュは足早に部屋を出た。
「どうしてこんなところへ。私に何か御用ですか」
「用があるわけではないが、話をしてみたいと思ったからだ」
「それなら、あの時、声をかけてくだされば良かったのに。びっくりしました」
「母は、私が女性と話をするのをよく思わないのだ」
「まあ、確かに。高貴な御身分ですから」
きっと結婚相手も自分で選べないんだろうなあ、とは言わない。
「でも、母はいつも正しい。お前の美しさに、私は我を忘れて会いに来てしまったよ」
「そ、それはご冗談を」
(いや、この男。もしかしたら遊び人? だから皇太后様は心配してる、とか?)
これだけきれいな男なんだから、大いに有り得るだろう。
春の空は明るくなるのが早い。
空が白み、風景に色が付き始めた。
話の途中、ふと顔を上げ、王を見て驚いた。
「髪の色が……」
薄いと思っていた王の髪の色だが、明るくなるにつれ色を増し、黄金に輝き始めた。
「ああ、珍しいだろう。この色。この国で、私一人だ」
昨日の明け方、門番の言葉を思い出す。
いつの日か輝く髪を持つ救世主が現れる
「じゃあ、救世主って、王様ですか」
「ああ、あの門に刻まれた詩を読んだのだね」
王は、微笑むとさらっと髪をかき上げた。
「そう。私のことだよ」
「そうか、そうですよね。救世主がいらして、国を治める。当然ですよね」
「そう。当然だ」
そう微笑むだけで、傍に居る人は幸せな気持ちになれる。
(これが救世主の力かぁ)
はあっとため息をつきながら、ロッシュは感心した。
鳥が啼き始めた。空が明るさを増し、目覚めの気配が空気を震わせている。
「ああ、もっと話していたいけど、もう行かなくてはいけない。また来ていいかな」
「もちろんです、陛下。そして、もっといろいろなことを教えてください」
「ああ、そうしよう」
王は、明らかに笑うと門に向かって歩いて行った。
木立の向こうでカチャカチャという音がする。続いて、門が開き、閉じる音。最後に、ガチャンという大きな音。
「今の音、何? まさか……」
嫌な予感に思わず駆け出す。
門の向こう、王の姿はもう見えない。
そして、鉄の扉には、しっかりと錠前がかけられていた。




