(11)異邦人①
ロッシュは一歩踏み出した。
そこは、見晴らしの良い丘の上だった。
昇り始めた太陽が、街並みを照らしている。
街の真ん中、そびえる塔を持つ建物は王宮だろうか。
それを取り囲み、ひしめき合う家々。その更に外側を囲む壁。
「円い……」
ほぼ円形の街の形に故郷を思い出す。
「ここは、どこ?」
思わず口にする。答える声があった。
「サラナーンです。ようこそ、お客人」
振り向くと、門柱に寄りかかるようにして中年の男性が立っていた。
「あなたは?」
「門番です。ここから人が出てきた場合、王宮までご案内することになっています」
「じゃあ、私も?」
「はい。従っていただきます」
「それは、……」
言いながら、視線を門の中に移し、はっと言葉を止めた。
門の向こうにさっきまで見えていた故郷の風景が、消えていた。
門は、ただの木製の枠になっていた。
恐る恐る足を踏み入れる。
門をくぐっただけで、自分はまだサラナーンにいる。
風に揺れる灌木と薄桃色の小花。その足元で露を乗せた雑草。見たことのない草木ばかりだ。
けれど、背後の森の木は、「ロシュナーハ……」
「おや。ロシュナーハをご存じですか」
「はい。私の国にも森があります。私の名前、ロッシュは、この木からもらいました」
「それはそれは、面白い」
含みのある口調に、思わず身構える。
中年男は、笑った。
「そんなに緊張なさらなくても、悪いことは起こりませんよ。あなたの髪は黒いので」
「髪の色に何かあるんですか」
「ええ。ここを見てください」
指さしたのは、門の横木だった。よく見ると、細かい字で何か彫り込んである。
「これは、この国の文字ですか」
「そう。
いつの日か輝く髪を持つ救世主が現れる
そう書かれているのです」
「じゃあ、あなたはその救世主を待っているのですか」
「そうです」
「どれくらい前から?」
「私がここの担当になってから、そうですね、二十年くらい経ちますかね」
「二十年! そんなに長く、ここで待っているのですか?」
「ずっといるわけではありません。年に一度ここに来るだけですから、たいしたことはないのです」
「年に一度?」
「はい。サラナーンでは、一年に二度、昼と夜の長さが同じになる日があります。春のその日が新年の始まりです。そして、その後の最初の朔月の日、太陽と月が同時に出るその瞬間に門が開くと言い伝えられています。だから、その時間の少し前に来て待っているのです」
「なるほど」
「門は、すぐ閉じるのですね」
「そうですね。ほんの一、二分でしょう。ですから、私がここにいるのも半時ほど」
話しながら、門番は歩き始めた。つられて、ロッシュも後をついて行く。
「毎年、どなたかが訪れるのですか?」
「いいえ。大昔には幾人かいたそうですが、私が担当してからは誰も。あ、でも、昨年は人でないものが来ました。人ではなかったので、王宮には連れて行きませんでしたが」
「じゃあ、逆に、こちらから向こうへ行った人はいるのですか」
「さあ。聞いたことはないですね」
急に不安がせりあがって来て、思わず早口になる。
「向こうから来た人は、みんな国に戻ったのでしょうか」
「それも、聞いたことはないですね」
「まさか、戻れないのですか」
「戻れないのではなく、戻らなかったのでは?」
「どうして?」
門番は笑った。
「こちらの方が住みよかったから、では?」
「この国は住みよいのですか?」
「はい。私たちには、とても。あなたもきっと気に入りますよ」
パースより住みよいところがあるとは、ロッシュには思えなかった。
(でも、この国のことを知らないからそう思うだけかもしれない)
そう考えると、急に興味がわいてきた。
戻れるにせよ、一年後。門が閉まっていれば話にならない。
(なら、一年間ここの生活を楽しむのも良いんじゃないかな)
小さな声で「うん」とうなずき、顔を上げ、胸を張った。
「でも、住みよいのに、救世主を待っているのですか?」
「それは、また別問題です。何しろ、予言ですから」
「予言……」
「いつ起こるかも分からないこと、本当に起こるかも分からないこと。でも、起こった時に対処できなければ困りますからね」
「そんな不確実なことに時間を費やしているのですか?」
門番は、からからと笑った。
「備えあれば患いなし、ですよ」
歩きながら問う。
「さっき言っていた、人でないものは、その後どうしたのですか」
門番は、意味ありげに含み笑いをした。
「さあ。仲間を探して地面にでも潜ったのでは?」
ロッシュは、「人でないもの」とは、犬や猫のようなパースでよく見かける動物を想像していたが、もしかしたら、蛇や蛙のような生き物だったのかもしれない。
太陽が中腹まで登った頃、ようやく外郭が見えてきた。
大きな門扉は開いている。
そこを守っていた老兵が、手を上げて話しかけてきた。
「$*@▲×&?」
「¥*%▽+#!」
門番は答えると、手を振って通り過ぎていく。
ロッシュは思わず背中を丸め、小走りに老兵の前を通り過ぎた。石畳で舗装された道路に、靴音が響く。
ロッシュは門番に追いつくと、聞いた。
「さっきの、さっき話していたのは、この国の言葉ですか」
「ああ。そうですよ。何かおかしかったですか?」
「いえ。その、勘違いしてたので」
「勘違い、とは?」
「ああ、だから、あなたが普通に私の国の言葉で話しかけてくれたものだから、この国では皆、同じ言葉を使っていると思っていたのです」
「確かに。そう思われても仕方ないですね。私たち門番は、訓練を受けるのです」
「訓練?」
「異邦人を迎えるための訓練です。主に対応の仕方や言葉ですが、……。初めてそちらから来た人を迎えたとき、言葉が分からずかなり苦労したそうです。その方は国に帰らず、賓客として一生を終えるのですが、その間、そちらの言葉やマナー、習慣などをこちらの人々に教え、広めてくださったのです。その教訓から、王は、いつ異邦人が舞い込んでも対応できるよう、専門的に学ぶ機関を設立し、人材を育てました。ちなみに、私もそこで学びました」
ロッシュは、その気の長さにめまいを感じた。
年に一度しか開かない門を守り、来るか来ないか分りもしない客を待つために、言葉やマナーを学ぶという。どれくらい昔からそうしているのか知らないが、とても、意味あることとは思えない。
(でも、救世主を待っているのだから、それくらいの準備は必要なのかもしれない)
そう理由付けしても、自分には無理だと感じられた。
通りに並ぶ家の数が増えてきた。人々のざわめきも聞こえてくる。
知らない言葉が飛び交い、興味深げな目で見つめられ、改めてここは異国だと実感する。
「王宮です」
指を指され、見上げる。
石造りの階段は十段ほどか、その向こうの門柱も石造りだ。
城門で、ロッシュは衛兵の一人に引き渡された。
衛兵の後について行くと、宮殿の入口で、別の武官に引き渡された。
ロッシュの故郷でも、王宮は平民が気軽に立ち入れる場所ではない。
だから、お王宮内部のことは何も知らないが、その厳重な警備や手続きの煩雑さにうんざりしてきた。
通されたのは、謁見の間だった。
玉座には御簾が掛けられている。
「ここで待つように」
そう言って、武官は行ってしまった。
仕方なく、待つ。
ところが、待てども待てども、何の沙汰もない。
退屈のあまり大あくびをしたとき、靴音がした。
慌てて姿勢を正す。
やってきたのは年配の女性で、侍女頭だと名乗った。年若い侍女を一人連れている。
「間もなく王がお見えです。頭を下げてお待ちください」
言われるままに首を垂れて待った。




