(104)野望④
ナフスは、半信半疑、アルの作戦を実行した。
王太子アリーの三十歳の誕生日に、「バラの鉢」を贈ったのだ。
「これは見事なバラだな。こんな品種は見たことがない」
「最近手に入れました。新しい庭師がバラ栽培が得意で、彼が見つけ、今日のために育ててくれました」
そして、アルに言われた通り、完全に相手が鉢をつかむ、その一瞬前に手を放した。滑り落ちる鉢には、溢れんばかりにバラが咲いている。長いトゲがアリーの手のひらに刺さり、血が滴った。床に落ちた鉢は割れ、土と一緒に砕けたかけらが飛び散った。
「申し訳ありません」
ナフスは、自分のしたことがばれるのではないかドキドキしながら、割れた鉢とこぼれた土をかき集めた。
「このバラは処分して、新しい物を持ってきます」
「そんなことをしなくても構わないよ。植え替えさせれば済むことだ」
「いえ。縁起でもない。兄上の将来に傷がつきます」
「そこまで言うならそうしてもらおうか。では、次は赤でなく、ピンクにしてもらえるかな。娘が好きな色だから」
「分かりました。直ぐお持ちします」
その日のうちに、新しい、本物のピンクのバラを準備し、届けた。バラもどきは、言われた通り焼き捨てた。証拠隠滅だ。
五日の後、長男は発熱と咳で床についた。医師の診断は風邪だった。
しかし、症状は日が経つに連れ悪くなる。
ナフスは気が気ではなかったが、誰も、それをバラと結び付けて考える人はいなかった。
二週間後、アリーが死んだ知らせを聞き、ナフスは自分が勝利したことを知った。
アリーが亡くなったため、王太子の地位は、次兄ジャミルに引き継がれた。
「ジャミルにはいつバラを渡すんだ?」
興奮を抑えられず、弾んだ声でそう聞くナフスに、アルは余裕の笑みを見せた。
「同じことが続いては、疑われるでしょう。少し様子を見て、チャンスを待ちましょう」
立太子の式典は、ジャミルの二十五歳の誕生日に行われ、一週間のお披露目会を催すらしい。その間、毎日、日没時には花火を上げ、新しい王太子の行く末を寿ぐという。
「お披露目会の五日目に、狩りが催されるんだけど、ジャミルは馬が苦手なんだって」
初めて乗った時落馬したため、怖いという記憶だけが残ったらしい。
「私は、一行を先導する役目を仰せつかったよ」
「それは素晴らしい。ジャミル様には、もう一度落馬してもらいましょう」
お披露目会の狩りは、近郊の森に放たれた獲物を参加者が追い詰め、王太子が仕留めるという茶番劇だった。
夕刻、狩りを終えた一行が橋を渡りかけた時だった。間近で花火が上がった。
突然の爆音に、馬たちが驚いた。乗り手たちは馬を鎮めようと躍起になった。馬が苦手なジャミルはパニックに陥いり、それが馬に伝わった。上下に跳ね、突然走り出した馬を制御できず、ジャミルは勢いよく落馬した。石の欄干に頭をぶつけ、さらに川へと転落した。
引き上げた時、既に命はなかった。
花火を上げた職人に罪はない。それまでと同じように、同じ時間に、同じ場所から花火を上げただけだ。しかし、彼らは処刑された。
あのタイミングで橋に差し掛かるようナフスが時間を調整したとは、誰も気づかなかった。
「こんなに上手くいくなんて……。アル、君は素晴らしい策士だ。天才だ」
狂わんばかりに喜ぶナフスを、アルはにこやかに見つめていた。
(こんなに上手くいくなんて……、ナフスはもっと利口だと思っていたが、まだまだ子供だね)
「これからも、欲しいものがあれば、すべて私が手に入れて差し上げますよ」
「本当に? なら、私は世界が欲しい」
「ホラサーンの軍事力があれば、できますよ。まずは、サルヴァーンを滅ぼしましょう」
「そうだね。まず、アルの復讐をしなきゃね。それから、法律だ」
「覚えていて下さったのですね」
「忘れるもんか。同盟だよ」
アルは、サルヴァーンを滅ぼすための計画を立てた。
国の南部では船を造り、海から攻める。北部では、こっそり東へ手を伸ばす。灌漑技術を売り込み、ホラサーンに依存させる。ナラインは平野が無いので難しいが、ファラスもガッチャミーも、戦わずして属国とする。
ガッチャミーの次はパースだ。魔法で守られているという話だから、どう攻めるか。
「あのバラをうまく使えないかな」
ナフスは、バラもどきが大層気に入ったようだ。
「バラもどきは、あの一鉢しかないのです」
「もっとあれば上手くいく気がするけど、何とかならないのかな」
「では、手に入れてきましょう」
アルは、シムカには内緒で、海賊たちとローゼンの島に向かった。
ラニューム海は、西に口を開いた大きな湾である。満ち潮は東に、引き潮は西に流れる。
そこで、新月の夜を選んで潜入することにした。新月は大潮だ。満ち潮を利用して島に寄せ、引き潮に乗って逃げる、そういう作戦だ。
前回と同じように、海賊船を外海に停泊させ、ボートを下ろす。アルは、ラフィ、バルの二人と、ボートを漕いだ。
しばらく進んだ時だった。
突然、左手が明るくなった。そちらを振り返り、青ざめた。前回来た時はなかった砲台が、岩礁の上に鎮座していた。大砲の丸い口が、自分たちを向いている。次の瞬間爆音が響き、ボートはひっくり返った。
沈んだ体を立て直し、海面を目指す。
ところが、顔を出した瞬間、今度は銃弾が飛んできた。慌てて潜る。すぐ近くで、血の臭いがした。松明に照らされた海を、バルが沈んでいく。
もう一度顔を出し、素早く息をしてまた潜る。銃弾がすぐ傍を掠めて水に突き刺さる。
安全に顔を出せる場所はないか、海面を見上げる。
見つけたのは、ひっくり返ったボートだった。うまい具合に、内側に空間ができている。下に潜り込むと、座面に捕まり口を出した。
少し向こうで、銃声がした。同時に、「ぐわっ」というラフィの声が聞こえた。けれど、アルはそれを無視した。顔を出せば、自分も撃たれるからだ。
砲弾の音が遠くなっていく。どうやら、船は遠ざかっているようだ。
着弾の波が寄せてくる。それも徐々に収まり、やがて静かになった。
(みんなは上手く逃げたのだろうか)
アルの捕まったボートが、ゆっくり動き出した。潮目が変わったのだ。
この流れに乗って行けば、逃げられる。
足を動かし、ボートを静かに外海へと導く。引き潮が、そのスピードを上げてくれる。
周囲が完全に静まるのを待って、ボートの下から顔を出した。
星明かりの下、はしごのようなものが浮いているのが見えた。見覚えがあると思ったら、海賊船の手すりだった。他にも、船の残骸が浮き沈みしている。生存者がいるのかどうか知りたかったが、声を出して呼びかける勇気は出なかった。
漂流物の中にパドルを見つけ、引き寄せた。
ボートを元に戻そうとしたが上手くいかず、仕方なく、ひっくり返ったままのボートになんとかよじ登った。そのまま跨ると、パドルを使って懸命に漕いだ。
朝が来れば、潮目がまた変わる。流れに任せたままでは元に戻ってしまう。
(日が昇るまでに陸地にたどり着かねば)
背後から日が昇って来るのを感じながら、ひたすら漕ぎ続ける。
とうとう、左手に陸地が見えた。漕ぐ手に力が入る。
ボートが何かに引っかかった。岩礁だ。つんのめって、滑り落ちる。足が岩にこすれ、痛みが走る。
ボートを捨て、岩場に立つ。少し先に砂浜が見える。膝まで水に浸かりながらそこを目指す。途中岩礁が途切れ、泳ぐ。
ようやくたどり着いた砂浜で、アルは力尽きて倒れ伏した。




