(102)野望②
船に乗って一年が過ぎた頃、式典に参加するため、ナフスが帰国することになった。
「くれぐれも、私のいない間に悪さをしないように」
「質問。悪さって何ですか?」
ふざけた口調に、ナフスは怒った振りをする。
「お前らが何時もやってることだ」
みんなが笑い、ナフスも笑って船を降りた。
船長他、数名の手練れが、護衛として彼に付き従った。
残った船員は、飛び上がって喜んだ。
「よっしゃ。久々に遊ぶぞ」
戸惑うアルに、ラフィがささやく。
「みんな、娼館に行くのさ」
「ああ、なるほど。でも、ナフスがいると、行けないのかい?」
「禁止されてる訳じゃあない」
それから、バルと二人、交互に語り始めた。
「ナフスはああ見えて、すごく女に興味を持っている」
「父親に夫人やら側室やらが大勢いて、自分もそうありたいと思っているんだ」
「でもなあ、俺たちとは身分が違う。娼館の女に入れ込んだり、病気をもらったりしたら大変だからな。絶対、連れて行けない」
「それで、鬼の居ぬ間に、って訳か」
「そうさ。アルも一緒にどうだ」
「そうだな」
アルは、男性とも女性とも寝所を共にしたことがあるが、女性の方が好きだという自覚があった。
そこで、彼らの行きつけの店について行くことにした。
「あら、ラフィ。久しぶりじゃない。まだ生きてたのね」
濃い化粧をした女が、ラフィを迎えてくれた。馴染みの女だろう。
ラフィは彼女の腰に手を回し、抱き寄せようとした。それを、女は止めた。
「そっちの美少年は?」
「新入りのアルだ」
そう言ってキスしようとした、それも女はかわした。
「可愛いじゃない。お姉さんがいろいろ教えてあげるわよぅ」
アルに向かって、そう、科をつくる。
「おいおい。俺はどうなるんだ?」
「冗談よ」
そこでやっと、二人は唇を重ねた。
「あの二人、いつもああなんだ」
笑いながら、バルが声をかけてきた。
「アルは初めてだろ? 年上の方がいろいろ教えてもらえていいぞ」
年上の女と聞いて、公爵夫人を思い出した。背筋がぞわっとする。
「初めてじゃないし、若い方が良い」
ユフという、自称二十歳の女性が相手をしてくれることになった。
真っ暗な部屋でことを終え、そのまま眠りにつく。
夜中、光を感じて目を開けた。
「ごめん。起こしちゃったね」
燭台を手にしたユフが、自分を見つめている。
「いや」と言った後、布団を治そうとして気がついた。彼女が背中を見ていると。
「その背中、どうしたの?」
瞬間、体に緊張が走る。
「火事で梁が落ちてきたんだ」
「火事? ローゼンが攻めてきたときかい?」
「君はこんな仕事をしているのに、随分詳しいんだね」
「こんな仕事をしているからだよ。いろんな男と枕話をするからね。それに、あたいも島出身でね、あの戦闘で、家族みんな散り散りバラバラ。生きているやら死んでいるやら。あたいはここへ売り飛ばされて、何とかやってるけどね」
ユフへの同情が湧いて来た。それが、次の一言で覆った。
「あんた、シード家のアル様だろう?」
冷水を浴びせられたように、筋肉が固まった。
「違うよ。何を言っているんだ」
「だって、その顔、一度見たら忘れないよ。島の女の子はみんな、アル様に恋をしてたのよ。かくいうあたいも、式典でその顔を見るのが楽しみだったの」
ユフはそう言うと、恥ずかしそうに布団で口元を隠した。そうして、「さっきは寝顔を見たかったの。起こしてごめんね」と笑った。
しかし、そうするほどにアルの緊張は高まり、次の言葉で極限を越えた。
「本当はその火傷、焼き印を消したんじゃないのかい?」
床に燭台が落ちる音がして、我に返った。
ユフの細い首から両手を放すと、慌てて火を消す。傍らに、ユフの体が崩れ落ちていく。
急いで服を着る。
逃げるためではない。火傷を隠さなくては。
そうだ。俺は逃げるなど、卑怯な真似はしない。
そうして、楼主のもとを訪れた。
「女が不快なことを言ったので、殺してしまった。いくら払えばよい?」
楼主は椅子から飛び上がると、ユフの部屋に走った。
それから医者を呼びにやり、胸を押したり呼びかけたりしたが、目覚めることはなかった。
「何てことをしてくれたんだ。ユフは看板娘だぞ」
ぜいぜいと息を吐き、楼主は血走った目でアルの顔を見た。それから、口元を歪めて笑った。
「お前の体で返してくれても良いんだぜ。その面なら、男でも女でも高く買ってくれるだろうから、すぐ返せるぞ」
アルは剣を抜いて楼主に突きつけた。
「その腐った舌を切り落としてやろうか」
楼主はペッと唾を吐くと、金額を告げた。
「十万だ」
「それは高すぎないか」
アルは一万で買われた。それでも高いと言われたのだ。
「もちろん、買った時はもっと安かったさ。だがな、これからユフが稼いだだろう金額を見積もれば、これでも安い方だ」
そう言われれば、返す言葉が見つからない。一晩百としたら千日、つまり三年すれば十万だ。五十でも六年……。頭の中が数字で一杯になる。
「今は無理だ。けれど、必ず返す」
「ふん。信用できないね」
そうこうしているうちに、夜が白んできた。
ラフィとバルが起きてくる。話を聞き、顔を見合わせ、ため息をついた。
「だから年上にしておけって言ったのになぁ」
そう言うバルをいなし、ラフィは楼主に掛け合ってくれた。
「ラフィが保証してくれるなら、一年待ってやる」
帰り道、アルはラフィに頭を下げた。
「ありがとう。何とお礼を言えばよいか」
「まあ、誘ったのはこっちだし。それにしても、そんな気性だと、これから先女を抱けないぞ。女なんて、失礼なことしか言わないからな」
その言葉に、アルはショックを受けた。
これから先、好きになった女性がいても、その人が火傷について何か言ったら、殺してしまうかもしれない。そして、背中のただれを見て何も言わない女がいるとは、とても思えなかった。もう、誰にも肌を見せることができない。
(これでは、母との約束を果たせない)
女性を抱かずに子孫を残すことは不可能だ。
(ローゼンの奴ら、全員殺してやる)
それだけでは足りない。この腐った奴隷制度を作った帝国を滅ぼさねばならない。
しかし、今の自分は無力だ。どうすれば、それが可能になるのか?




