(101)野望①
アルは、船を操り、外海に出た。波はさほど高くなかった。
とりあえず海流に乗り、西に船を進める。
どこへ向かおうか、海図を見つめ考える。
この辺りは、まだローゼンの支配下だ。商船も通るとはいえ、奴の息がかかった船がほとんどだ。早く、遠くへ行く必要がある。
故郷の島々は焼き尽くされ、今はサルヴァーンから移住してきた人が住んでいると聞いた。だから、そこへは行けない。行くとすれば、その更に西しかない。
しかし、あまり悩む時間はなかった。
すぐ、大きな帆船が近づいてきたからだ。
マストに翻る旗は、ホラサーンのものだ。
ホラサーンは、もともとは内陸の小国だった。しかし、北部には豊かな鉱山地帯が広がり、そこから産出する金属や、それを使った物づくりで国力を蓄えてきた。
先王の時代には、その技術を軍備に活用し、投石器を改良したり、新しく大砲を作ったり、兵力を増強した。そして、南の穀倉地帯に侵攻し、念願の港を手に入れた。また、北方の脅威に備え、西方の国、イスハークと同盟を結んだ。
現国王の統治下では、さらに技術開発に力を入れ、銃を製作した。また、大型のガレー船を造り、ラニューム海に進出してきた。
それに危機感を抱いたサルヴァーンが、先手を打ってアルの故国を攻め滅ぼしたのだから、これも因縁だろう。
(ホラサーン……。ここなら)
アルは、「おーい」と声を上げ、手を振った。気づいてくれるだろうか?
船の速度が落ちてきた。アルの少し向こうで、緩やかに停止する。
オールを使って、その傍まで進む。
上から声が降って来た。
「嬢ちゃん。こんなところに一人で漕ぎだしたのかい? それとも、遭難かい?」
「遭難だ。お願いだ。助けてくれ」
上からするすると縄梯子が垂れてきた。いかつい男が降りて来る。
投げ落とされたロープを船首、船尾、マストと括りつける。
「まさか、船ごと引き上げるつもりか?」
「そんな、青くならないで。俺たちゃプロだよ。任せなさい」
そう言われても、恐ろしい。アルは、帆柱にしがみついた。
船はゆっくり引き上げられ、そのまま船体に括りつけられた。
「ほら、嬢ちゃん。手を出して」
甲板にいた船員の手が差し出された。
言われるままに手を伸ばす。
船員はその腕をつかむと、そのままひょいと持ち上げた。すごい力だ。
「ようこそ。俺たちの海賊船へ」
「海賊船?」
「そう。嬢ちゃんは、今日の獲物第一号だよ」
焦るアルを抱きかかえたまま、船員は見せびらかすようにぐるっと回った。
「見ろ。すげぇ美人だぜ」
「本当だ。こりゃあ、天の恵みだ」
「嬢ちゃん。俺たちと良いことしようか」
答える間もなく、甲板に押し倒された。目の前に、髭面が迫っている。
「やめろ。俺は男だ」
「またまた、嘘言っちゃって。脱がせたら、すぐ分かるんだよ」
「やめろ。やめろ。やめてくれー」
必死の抵抗も空しく、アルはドレスを剥ぎ取られた。
数秒後、ドレスで背中を隠すアルを囲み、船員たちはあっけにとられたように顔を見合わせた。
「男だったな」
「ああ。びっくりだ。こんなにきれいなのに、男とは」
「男でもいいからやっちゃえば?」
「馬鹿か、お前。カラマ神の祟りがあるぞ」
その時、幼い、少女のような声が響いた。
「そう。同性愛は、極刑だぞ」
振り返ると、自分よりも年下の少年がこちらを見ていた。
「海賊船に、子供……」
「こらこら。ただの子供じゃないぞ。俺たちのお頭だ」
「そうだぞ。頭を下げろ」
甲板にぐいぐい頭を押し付けられる。
「止めろよ。嫌がってるだろう」
少年の声に、やっと手が放される。
顔を上げると、少年が微笑みながら手を差し出した。
「ナフスだ。よろしくな」
座ったまま、その手を握る。
「俺は、アルだ」
ナフスはアルを立たせようとして、背中のやけどに気づいたようだ。
「アルは、もしかして、奴隷だったのか」
「触るな。同情なんかされたくない」
ナフスは何も言わず手を離した。
急いでドレスを着直す。
「逃げ出してきたのか? 女の格好をして」
「ああ。他に方法がなかった」
「これからどうするつもりだ?」
「決まってるだろ。復讐だ」
「どうやって?」
「力をつけて」
『強い者が正しい』
そうだ。公爵の言葉は正しい。俺はあんたより強くなる。
そう、こぶしを握り締める。
「それなら、一緒に海賊にならないか? 何しろ、周りはむさくるしいおっさんばかり。年の近い友人が欲しいと思っていたんだ」
「むさくるしいおっさんで悪かったですね」
「誰かこのガキんちょを海に放り込んでくれないか」
笑い声がそれに答える。
彼らは主従関係になるはずなのに、言葉遣いは対等だ。
アルはその関係性が、気に入った。
「分かった。俺も仲間に入れてくれ」
「嬉しいよ」
ナフスはそう笑い、アルの肩を叩いた。
「じゃあ、まず、服を着替えよう。もちろん、ドレスでいたいなら止めないが」
「冗談だろう」
「冗談抜きに、とてもよく似合っているから」
ナフスは昔からの友人を迎えるように、アルを船室に導いた。
服を着替えて甲板に出ると、待っていたのだろう、引き上げてくれた男が声をかけてきた。
「俺はラフィ。若者頭だ。よろしくな」
差し出された手を、仕方なく握る。
「さっきは悪かったよ。お前、奴隷だったんだな」
アルは、体が硬直するのを感じた。
「俺たちもそうだったのさ」
隣にいたバルという男とラフィが、それぞれ背中を出した。焼き印を、焼き鏝で消した痕がある。自分の背中も、きっとこんなだろうと思うと、ぞっとした。
「他にもいるから気にするな」
「それより、下の印はどうする? 俺たちで消してやろうか?」
優しい口調でそう言われると、涙がこぼれそうになった。それを堪える。
「ああ、頼むよ」
それをきっかけに、アルは二人と親しくなった。
船は、ホラサーンの商船を装っている。
しかし、獲物となる商船を見つけると、旗を降ろし、海賊旗を掲げる。
「襲うのは、サルヴァーンの船だけだ。あそこの商人は、阿漕なことをして稼いでいるからな、良心の呵責が少ない」
船長の言葉に、ナフスが笑う。
「良心? そんなもの、あったっけ?」
「全くだ。皆殺しの上、船は沈める。情け容赦ないくせに」
船員が相槌を打つ。
「軍に目をつけられたりしないのかい?」
ローゼンを思いながら問う。
「どうだろう。まだ、そういう噂は聞かないが」
「お頭がいないとき、遭ったことがありますよ。相手は一隻だったので、沈めちゃいました。大砲の性能はこちらが上なので、楽勝でしたよ」
「それに、うちらの方が足も速い。危険があれば逃げるが勝ちってな」
アルは、勢い込んで聞いた。
「ローゼンより、武力で優っているのか?」
ナフスが笑う。
「私の父は工学に力を入れていてね。優れた武器を持った方が有利だということを実践し、報告するのが私の役目さ」
「あっちは、質より量で来るからな。一対一なら負けないが、船団を迎え撃つには、まだ力不足かな」
「なら、こちらも船団を組めば」
「そりゃあ、勝ちますよ。ただ、船団を組むには、船が足りない」
「なにせ、うちはまだまだ新興国だからね。海を手に入れたのも、つい最近だ」
「そうか。そうだね」
アルは気落ちしたが、すぐ、切り替えた。
「これから造ればいいんだ。もっと優れた船を」
「そうそう。そのためにも、金を稼がねば」
「金があれば、良い船が造れる」
図ったように、マストから物見の声が降って来る。
「前方に船。サルヴァーンの商船だ」
「よし。稼ぎに行くぞ」
「おう!」
船の速度が上がる。風が、頬に痛い。
指示に従い、アルも配置についた。胸が躍る。
(見てろ。ローゼン)
いつか来るその日に向けて、今は金を稼ごう。




