38. ようこそ、快眠の街ドゥルミーへ
最終章「快眠は世界を救う編」スタートです。
今回は主人公不在ですが、垂の快眠改革の成果を第三者の目線でお確かめいただけます。
ここは、鉄と布の工場の街――ドゥルミー。
かつては出稼ぎ労働者に人気だったこの街は、いまや「快眠」をテーマにした観光都市として注目を集めている。
街の北門は今日もにぎわい、布や鉄製品を積んだ荷馬車に混じって、旅行者の姿も多い。
◇◇◇
「兄様ったら、旅行に行こうって言ったのに……」
乗合馬車から降りた少女は、ふくれ面で兄をにらんだ。
病弱な彼女にとって、久々の遠出は特別な楽しみだった。
しかし、辿り着いたのは――工場の街。
「まぁまぁ。案外楽しめるかもしれないよ?」
悪びれもせず笑う兄は、年の離れた妹の手を優しく取った。
城壁をくぐると、通りにはベッド専門店、枕専門店、寝間着専門店、快眠グッズの店がずらりと並ぶ。
「……随分と個性的な店が並ぶのね」
試しにベッド専門店へ入ってみると、想像を超える世界が広がっていた。
「いらっしゃいませ。ご自由にお試しくださいね」
店員の案内で見て回るうちに、少女の目は好奇心に輝き始めた。
「兄様、私ベッドにこんなに種類があるなんて知りませんでしたわ」
貴族御用達として一般的な羽毛のベッド。
カバーやシーツに高級布やシルク、繊細な刺繍が施されることはある。
他にも天蓋やカーテンに意匠が凝らされることはあるものの……
この店のベッドは全くの別物だった。
地面に敷いて寝る「フトン」、吊るして揺れる「ハンモック」、沈み込むような「ビーズクッション」……
中には自動起き上がりベッドという変わり種もあった。
「どうしても起きられない、という方に人気なんですよ」
目が飛びれるほど高価だが、それでも買う客がいるらしい。
◇◇◇
「そろそろ宿に行こうか」
兄に連れられて辿り着いた宿は、素朴な木造の二階建て。庶民向けであることは一目瞭然だった。
「爺やが見たら倒れてしまうわ」
「だから2人だけで来たのさ。やめておくかい?」
躊躇する妹だったが、結局は好奇心に負けてそっと扉を開けた。
中は広く、ソファや椅子が並び、読書や会話に興じる人々で賑わっていた。
カウンターのメニュー表には、ユニークな部屋の名が並ぶ。
ハンモック型の「ハワイアン」、夏限定の「リゾート(ウォーターベッド)」、木製の「アジアン(チャーポイ)」、スプリング構造を再現した「ビジネス」……
スイートルームには快眠サービス付きで、人気のため予約制らしい。
「お部屋の準備が整うまで、近くの足湯場に行かれてはどうですか?」
宿の従業員の勧めで、2人は荷物を預けて足湯場へと向かった。
「良かった。人気の宿だから、空き部屋がなかったらどうしようかと思ったよ」
ならスイートルームを予約すれば良かったのではと思うのだが、兄いわく「それじゃ面白くない」そうだ。
前々から貴族らしくない兄だと思っていたが、それも悪くない。
妹は少しずつ、今回の奇妙な旅を楽しみ始めていた。
◇◇◇
足湯場に到着すると、並んで座る大勢の素足に妹は思わずたじろいだ。
そんな彼女を気遣い、兄は貸切のVIPゾーンへ案内する。
湯にそっと足を浸せば、細かな泡が肌にまとわりついた。
人肌より少しだけ温かい湯と、果実の甘酸っぱい香り。
パーテーションで仕切られた空間には、水音が静かに響いていた。
「……あれは何かしら?」
バスローブ姿の人々が出入りする小屋を指差す妹。
「蒸し風呂だよ。中は蒸気で満たされてるらしい」
出てきた人々は頬を紅潮させ、霧吹きで身体を冷やしている。
「暑いところに入って、冷やすって……意味が分からないわ」
「身体を温冷することで血流が良くなるんだ。健康にも、美容にもね」
「美容……」その言葉に、妹の耳がぴくりと動く。
「もっと元気になったら、一緒に行こう」
兄はそう言って、さりげなく励ました。
湯上がり処では、ハーブとレモン入りのドリンクが用意されていた。
温まった身体に、爽やかな味が染み渡る。2人は満足げに宿へ戻った。
◇◇◇
夕食も、庶民の宿にしてはなかなか。
部屋は迷った末に「リゾート」を選んだ。
青く透き通るウォーターベッドと、観葉植物の緑が南国を思わせる。
「温度はお好みで調節できますよ」と従業員。
試しに寝転んでみると、ふわりと浮かぶような感触。水音が「チャポン」と心地よく響く。
だが2人は、より「普通のベッド」も気になり始めていた。
ちょうどキャンセルが出たという「ビジネスルーム」へ、従業員が案内してくれた。
そこには、特産の布を使ったピシッと整ったベッド。
「擬似スプリングマットレス」というベッドらしい。
体重が分散され、しっかり支えるが硬すぎず柔らかすぎない。
理想的な寝心地だった。
「これ……欲しいわ、兄様」
「ああ、俺もだ。帰ったら手配しよう」
2人はその夜、ぐっすりと眠った。
◇◇◇
翌朝、自然と目が覚めた2人は、朝食前に裏庭のヨガ教室に誘われた。
朝の冷たい空気の中、人々がゆっくりと身体を伸ばしている。
2人も見よう見まねで参加し、心地よい疲労感に包まれる。
「この館内着……案外、悪くないわね」
「少し照れるけど、これで食事もできるそうだよ」
宿で提供される館内着は、ゆったりとした浴衣のような服。
同じ格好をした宿泊客たちが、眠りと癒やしの時間を楽しんでいる。
この宿には、時間の流れすらどこか柔らかく感じさせる、不思議な空気があった。
◇◇◇
「兄様。私、今朝は驚くほど体が軽いの」
朝食は『朝活モーニング』。
栄養バランスと、快眠に配慮された品々だそうだ。
食が細い妹には、果物と青菜を使った特製ジュースが提供された。
ほんのり甘く、やさしい味だった。
「あのジュースは良かったな。栄養も取れるし、今度うちの厨房でも作らせよう」
チェックアウトを終えたふたりは、商店街に立ち寄って土産物を見繕うことにした。
リラックスアロマの専門店では、香りをひとつひとつ試しながらお気に入りを探したり。
少し高価だが評判のいい“魔動式”ホットアイマスクの購入を、真剣に検討したり。
家の者には、街で焙煎されたカフェインレスのコーヒーを選んだ。
雑貨屋では、この街ならではの“睡眠日記”を購入。
毎日の眠りを記録するためのノートで、付録に快眠に関する豆知識もついてくるらしい。
「兄様、とても素敵な旅だったわ。ありがとう」
帰りの馬車の中、妹は穏やかな笑顔でそう言った。
その頬にはほんのり血色が差し、肌の艶も、どこかいつもより明るく見えた。
それを見て、兄はしみじみと思った。
――この旅に来て、本当によかった。
快眠の街、ドゥルミー。
眠ることの大切さと、心をほぐす旅の豊かさを思い出させてくれる、不思議な場所だった。




