16. ストレスと過労は睡眠の敵です
工場勤務を開始してからとりあえず1週間が経過した。
本日は休日。
垂はぐったり宿で倒れていた。
『-40』
またマイナス表示の青数字。
なんなんだろうな、これ。
そういえば、工場で昼寝の後もマイナス表示が出てくる。
その度に周囲の機械が止まったり、照明が落ちたりして、
(まさか怪奇現象を誘導する値じゃないよな……)
嫌な思考を切り替える。
今週は配属先の掃除で終わってしまった。
見える成果はまだなしだが、ここは焦らず行こう。
それにしても新しい環境はストレスだ。
まず工場内の環境が悪い。
暑いし空気悪いしうるさいし。
新しい同僚たちには馴染めておらず、人付き合いならではの疲れがある。
おまけに週6勤務!
日中になんど赤のカウントダウンが出現したことか。
工場内で昼寝する垂への視線は冷たい。
ごめんよ、でも給料も半分だから許して……。
8時間勤務の自分がこのザマなのに、16時間も働く人達が心配だ。
改善した暁には週5勤務……いや、週4勤務くらいがいいな。
それにしても布団が恋しい。
愛用の昼寝布団を返して欲しい。
目立ち過ぎて良くないと、街に入る時にフミンに荷物を没収されたのだ。
仕方なくハンモックで寝ているが。
明日からの労働に耐えるためにも、まともな布団が必要なのだ。
宿のベッドを改良したいが、お金がない。
箱に藁をつめた寝台は通気性が悪いから、すのこを敷けば……
通気性?
(しまった! 布団のお手入れ!!)
慌てて起き上がった垂は、食堂へと駆け下りる。
ちょうど宿を訪れたフミンを捕まえ、布団を返して欲しいとせがんだ。
「……駄目だ」
「寝ないので、せめてお手入れさせてください! 定期的にお手入れしないと、虫が、カビが、劣化がぁっ……」
悲痛な声で叫ぶ垂にフミンは呆れた。
「はぁ……。分かった。手入れをすれば良いんだな」
ぱっと顔を上げる垂。
「ありがとうございます! 中身は抜いて天日干しで。あと、簡単で良いんで先に水でカバーの汚れを落として、石鹸を溶かしたぬるま湯で……あ、石鹸はカスがつかないようしっかり溶かしてくださいね、それから……」
「……もういい、自分でやってくれ」
真剣な早口でまくし立てられ、フミンは根負けしたようだった。
面倒臭そうに「ついて来い」と外に出ると、宿の裏手に回った。
少し歩くと木立に囲まれた家に着いた。
2階建ての可愛らしい三角屋根が特徴の小さな家だ。
玄関の鍵を開き立て付けの悪くなった戸を開くフミンの後ろから、垂は中を覗いてみた。
物が少なく人の気配がない。
空き家だろうか。
入り口近くの小部屋に、懐かしいリュックとボストンバッグがぽつんと置かれている。
「日当たりが少し悪いが、ここでなら自由にして良い」
そうフミンが指さすのは中庭だ。
ポーチから出られる小さな庭は、木立に守られるように囲まれていた。
「道具なんかも好きにしてくれ。足りないものは宿から借りれば良いだろう」
感激する垂を残して、フミンは出かけてしまった。
「ようし、やりますか」
垂は腕まくりをして気合を入れた。
◇◇◇
井戸まで少し距離があるから大変だった。
夕方の涼しい風を浴びながら、垂は小さな一軒家の庭で洗濯物を眺めていた。
(そろそろ乾いたかな?)
手に取れば湿り気はなく、お日様の匂いに嬉しくなる。
(ちょっとだけ、寝てみようかな)
誘惑に負けて、昼寝布団を部屋に敷いてみる。
ついでに水色パジャマに着替えて飛び込んだ。
(ふわぁ……幸せ……)
やっぱりお気に入りの布団の寝心地は格別だ。
ハンモックも良いのだが、そろそろ自宅のベッドが恋しくなってきた。
早く宿のベッドを改良しなければ。
過酷な工場労働に耐えるはやはり上質な睡眠が欠かせない。
などと考えるうちに、垂の瞼は段々と閉ざされ……
「おい、誰が寝ていいと言った」
上から降ってきた低い声に慌てて飛び起きた。
「あ、おかえりなさい。フミンさん」
へにゃりと罰が悪そうに笑うパジャマ姿に、フミンは呆れたように言った。
「用が済んだらさっさと帰れ」
そう言って狩人は家の奥へと入っていく。
「あの、場所や道具をありがとうございました。ここの持ち主の方にもよろしく伝えてもらえますか?」
慌てて着替えると布団を片付けフミンを追いかける。
台所で湯を沸かしているフミンは振り返らずに答えた。
「問題ない。ここは俺の家だからな」
(え……?)
「フミンさんの家!?」
物が少なすぎて空き家かと思っていた。
確かに沸かしたお湯を茶器に注ぐ姿は手慣れている。
小さな家は三角の青い屋根、きれいな白壁に、葉のモチーフが彫られた手すりなど可愛らしい意匠であり、フミンが住むところが想像できない。
なんなら、野宿や山小屋で寝泊まりするイメージが強く、家を持ってるなんて思い至らなかった。
「確かに毎晩寝る場所は必要……あ、寝ないんだった」
「何を言ってるのか分からんが、失礼なことを考えてるのは分かるぞ」
ブツブツ独り言がうるさい垂にフミンは怖い声で言った。
ふといつもより声が険しいような気がして観察する。
マグについだ茶をすするフミンの目元は青黒く、眉間のシワもきつめな気がした。
動きもどこかぎこちなさを感じる。
「あの、良かったらまたアイマスクをしてみませんか」
「いらん」
ちょうど荷物もあるのでと垂は提案したが、つれない返事が返ってきた。
「もしかして、アイマスクは苦手でした?」
「……お前、明日からまた工場だろう。さっさと寝たらどうだ」
情けない顔をする垂に、フミンは返事に困り話を逸らした。
「俺なら大丈夫です。昼寝もしっかりしてるし、夜も長く寝れば良いって訳じゃないんですよ!」
何を勘違いしたのか、垂は嬉しそうに荷物を取りに走っていってしまった。
◇◇◇
暗闇に身を任せていると、清涼な香りが漂ってきた。
「リラックス効果のある薬草を少し持ってきました。ポプリにしてあるんですけど、苦手なら教えてくださいね」
結局フミンはアイマスクを装着されて現在に至る。
先程少し待ってくれと出ていったが、この香草を取りに行っていたようだ。
断るのさえ面倒になり、されるがままになっているが……
視界を遮られると、他の感覚が冴えることに気づいた。
独特な香り。乾いた葉をほぐしたような香草の匂いが、鼻先をくすぐる。
強くはない。だが、ふとその香りに集中していると、張りつめていた意識がわずかにほぐれていく。
瞼の奥、目のまわりの筋肉がじんわり温かくなり、微かに緩む。
気づけば肩の力も抜けていた。
「……」
ホットアイマスクがぬるくなり、自然にフミンが手を伸ばしてそれを外すと、垂が声をかけてきた。
「フミンさん、夜ってどうしてるんですか? その、ちゃんと目を閉じる時間……あります?」
少しの沈黙のあと、フミンは垂にアイマスクを返しながら答えた。
「疲れた時に、その都度、目を閉じて楽な姿勢をとるようにはしている」
「その都度、ですか……」
垂はフミンの顔を見つめた。
目の下の青黒さ、額に刻まれた深い皺、一瞬触れた手から伝わる高すぎる体温。
寝ていないだけじゃない。確実に、疲れている。酷く。
「フミンさん、眠れないのは仕方ないとしても……休息は、毎晩ちゃんと取ってほしいです」
真っ直ぐに、垂は言った。
「体を休めるって、目を閉じるだけでも違うと思うんです。
眠れないなら、せめて――」
「楽じゃないんだ、横になっても」
鋭く返された声に、垂は言葉を飲んだ。
「誰彼構わず、親切を振りまくな。見返りもなく世話を焼いて、ろくな目に遭わんぞ」
垂はしばし黙っていたが、やがてため息混じりに呟いた。
「……フミンさんだからに決まってるじゃないですか」
「……は?」
「見ず知らずの俺を、命がけで森から助けてくれて。住む場所も、働く場所も、服も飯も全部――
こんなに面倒見てくれてる人に親切にしたいって思うの、当然じゃないですか」
フミンは呆けたような顔で、ただ垂を見返していた。
自分が“当然”の対象だと言われたのが、信じられないように。
「……たまになら」
ぽつりと、小さな声が落ちた。
「ほんとですか!? じゃあ“たまに”でいいので、フミンさんが楽に横になれるよう協力させてください!」
満面の笑みで意気込む垂を見て、やはり断るべきだったかと苦悩するフミンだった。




