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第1章:まずは、農業大学校の概略からいきましょうか
ぼくが、1989年4月から、
1993年3月までの4年間在籍していた・・・
栃木県農業大学校は、
県立の農業の専門学校である。
ここで学んだ学生たちは、ほとんどが「就農」というカタチでもって、
自宅の農業経営にたずさわるか、
あるいは、牧場や酪農場などの中規模・大規模な施設・・・あるいは、
農協(= いまでいうJA)などの、農業関連の企業、団体・組織などに就職するケースが多い。
大部分の学生は、
ここで2年間勉強したのちに、
卒業し、新社会人として、立派に巣立ってゆく。
・・・一部の学生だけが、
「研究科」という、上位学部に進学し、
県の改良普及員などの農業関連の公務員や、国家公務員を目指して、さらに2年間、勉強を続ける。
むかしは、
この学校は、完全な「短期大学」であったから、
世間一般には、「農短、農短」と呼称されていた。
ぼくは、国公立大学の受験に失敗し、
行ける進学先が、ここしかなくなっていた。
・・・そこで、しかたなく、
父の母校でもあった、この大学校の入試に挑むことになったのである。