第17章:「寮の食堂」のおばちゃんと石川さん、そして、『田崎ウィービング事件』
この章では、ぼくの寮生活時代の食生活・・・栄養の摂り方といったものを紹介してみたいと思う。
その寮の中には、食堂というか、厨房のような設備は一切なく・・・
何百メートルも離れた、学校の校舎内に設置された、学生・教職員共通の食堂までわざわざ出向いて、朝飯・昼メシ・夕飯を摂っていたのである。
ここは通称、『寮の食堂』と呼ばれていた。
もちろん、寮内には食堂はなかったので、正確な呼び名とはいえないが・・・とにかく、少なくとも学生内では、その呼び名で定着していたのだ。
この食堂には、寮母といった感じの、そうねぇ・・・当時、還暦近いと思われる、調理師のおばさんが二人と・・・あの美絵子ちゃんに良く似たタイプの小柄な若いお姉さんが、栄養師として在籍していた。
顔の輪郭といい、そのまなざしといい・・・本当に彼女に似たタイプの美人だった。
(・・・いま思い出したけど、お名前を『石川さん』といいます。たぶんもう、ご結婚されてるだろうなぁ。)
ぼくが美絵子ちゃんのことをまたそれとなく意識するようになったのは、実は、この栄養師のお姉さんがキッカケだったのかもしれない。
『寮の食事』・・・とぼくらは呼んでいた・・・は、非常にバリエーションに富んだ、日替わりのおいしいものだった。
大食漢だったぼくは、お代わり自由のご飯を、おばちゃんに頼んで何杯もたいらげた。
・・・上に、たっぷりと醤油をぶっかけて。
この『醤油ご飯』・・・好きな読者の方も、実は多いのでは・・・?
超シンプルながら、素朴な風味がたまりませんよね♪
この『寮の食事』で取り扱われるご飯というのは・・・いわゆる『古米』。
一年間米倉庫に保管され、眠っていた、風味が落ちた食感が固めの古いお米だ。
でも、その固さがまた、例の『醤油ご飯』にピッタリとマッチしていたので、ぼくは3杯も4杯もお代わりしては、満足気な表情で舌鼓を打っていた。
おばちゃんやお姉さんたちには、ぼくはもう『おなじみの大食いキャラ』だった。
名前もすぐに覚えられた。
訊かれたぼくが、素直に教えたからだ。
彼女らは、はじめは少々あきれ顔でいたが、やがては「栗原くん、栗原くん」と、親しみを込めて、ぼくを呼ぶようになる。
ぼく自身も、そんな彼女らとのやり取りにすっかり慣れ、さらに体重と体格をヘビーウエイトに仕上げていった。
・・・こんなことがあった。
ぼくが、いつものように、『醤油ご飯』をガツガツと口にかっこんでいたときのこと。
隣に座った『田崎けんいち』という、真岡農業高校出身のクラスメートから、じーっと「メンチ」を切られたのだ。
彼は、粂川とはまたちがったワイルドなフェイスの、がっちりした体型の、眼光鋭い、眉毛もこれまた太い、ケンカが強そうな男だったが・・・
いまもそうだが、当時ボクシングが大好きだったぼくは、彼を見返しながら・・・「スーパー・エクスプレス」と異名をとった、ウェルター級の名王者『シュガー・レイ・レナード』のマネをして、椅子に座ったまま、レナードよろしく、これみよがしにウィービング・ダッキング・スウェイバックなどの防御技を「ご披露」申し上げたのである。
・・・大メシを、口ん中でムシャムシャいわせながら(笑)。
すると田崎は、ぼくを鋭く睨むと、たったひと言。
「・・・なんだコイツ??」
彼がぼくに声かけしたのは、それが最初で最後だった。
この事件・・・というよりエピソードを、茂雄くんは、『田崎ウィービング事件』と勝手に命名して、ひとりで喜んでおります(苦笑)。
追伸:
えー、
「実際にウィービングしてたのは、しげちゃんなんだから、この命名の仕方って、ちょっとおかしくね??」
・・・などというクレームやツッコミのたぐいにつきましては、その必要性を認めませんね♪




