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第16章:寮生活のあらまし

 ・・・さて、ここで、その『寮生活』の、男子寮における様子・実態というものを、少しずつ紹介していきたいと思う。


 もちろん、『女子寮』は別の敷地にあり、防犯カメラも常設・稼動しておるので・・・「のぞき」「よばい」といった犯罪行為は、一切できないようになっていた。


 だから、中の様子はまったく不明・・・だが、だいたい、基本的な構造、生活習慣が、男子の場合と似たようなものだったことは容易に想像はつく。


 ・・・夕方に授業なり農業実習が終わり、いったん寮に引き上げたぼくたち学生は、夕飯ができるまで、それぞれの部屋なり、フロントにあるTVコーナーでくつろいだり、あるいは、たまった汚れ物を洗濯したりして、時間をつぶしていた。


 しかし、そのTVというものは一台しかなく、たいていは、チカラのあるヤンキーどもが占領して、野球中継なんかを独占して観ていたため、ぼくのような普通高校出身の、おとなしめの学生は・・・


 土日に帰宅するまで、好きな時間に好きな番組が一切観られない・・・こういったジレンマというか、不満を抱えていた。


 ・・・この1989年という年は、世界的に見ても、本当に『激動の年』であり、面白く、興味深い事件・ニュースが、連日のように報じられては、日本人の耳目じもくを集めていた。


 東欧のビロード革命、ドイツのベルリンの壁崩壊、そして、多数の犠牲者を出した、あの悪名高き『ルーマニア流血革命』・・・。


 こういった、非常に面白いニュースが目白押めじろおしで報道されていたのに、ぼくは、例のヤンキーらがTVを独占していたがために、一切その歴史的大転換点の事件を、寮生活のウィークデイには、まったく観ることができなかったのだ。


 それだけではない。


 その貴重なニュースを知る、大切な媒体ばいたいであるはずの、残された唯一の情報源である『新聞』でさえ、連中の手に落ち、やつらの「プロ野球情報源」としての役割を強いられていたのである。


 さらに、この1989年には、宮沢りえさんが、異例のブレイクを見せ、連日お茶の間に姿を見せて、ファンを楽しませていたというのに、ぼくは、彼女のその活躍ぶりもまったく見ることはできなかった。


 ついでに言えば、例の『宮崎勤事件』の秋以降の様子も、ほぼほぼリアルタイムでは知ることができなかったのだ・・・。


 だから、この激動の年のことが、後年話題に上がろうものなら・・・ぼくは、激しい怒りと屈辱感さえおぼえてしまうのだった。


 (もっと、リアルタイムで、海外のニュースや、りえちゃんを細かく観たかったなぁ。当時は、スマホもYouTube動画での配信動画もなかったからなぁ・・・。)

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