第3話 わかっていると思うけど、絶対に約束だから!
「それで、あんたはどうするつもり?」
「え?」
昼休み。生徒会室から廊下に出た高田紳人は、近くにいる陸上部の彼女から言われた。
「だから。どういう風に責任をとってくれるかって話」
「そ、それは……」
陸上部所属な女の子――瀬津夏絆から睨まれ、言葉に詰まってしまう。
てっきり、前回の一件ですべて解消されていたと思っていたからだ。
ど、どうしたらいいんだよ……。
確かに下着姿を見てしまったのは、今でも悪いと思っている。
だが、まさか更衣室でもないところで、着替えをしているなんて想定も出来ないわけで不可避だと思う。
紳人は、上手くいかない現状にモヤモヤした感情を抱きつつあったのだ。
「でも、まあ、私もそんなに悪魔じゃないから。私の代わりに購買部でパンを買ってくるってのは?」
紳人が反応を返す前に、彼女から提案されたのだ。
「パシリみたいな事をしろってこと?」
「そうね。別に良いでしょ、それくらい」
「いいんだけど」
「じゃあ、そういう事で」
夏絆は一旦話に決着がつくと、大きなため息をはいていた。
「パンを買ってくるって事は、今日からってこと?」
「いいえ。それに関しては明日からでいいわ」
彼女は横目で紳人の事をチラッと見ていた。
「まあ、今から買ってくるなら私は止めないけどね」
「じゃ、じゃあ……明日からで」
紳人は遠慮がちに断っておいた。
「まあ、とにかく明日から一週間ね。それと買ってくるのは購買部の限定パンでお願いね」
「げ、限定パン?」
「そうよ。私、昼休みも真剣に部活と向き合いたいの。だから時間を無駄にしないためにもあんたに頼んでるってこと」
「でも、限定パンって毎日数個しかないんじゃ?」
昼休みの時間帯。校舎一階の一室に、パンを売る人がやってくる。
そのパン屋が作る限定商品であり、実際にその店屋で購入すると、一〇倍くらいの値段が付く。
その商品が、その購買部でのみ尋常じゃないくらい安く売られているのだ。
ゆえに、誰もが一度は口にしてみたいパンであり、売れ行きが早いのである。
紳人もまだ食べた事はなかった。
「俺、購入できないって。そんなに足が速くないし」
「それくらいの覚悟を見せてほしいの。できないなら別の方法をとるけど」
「ど、どんな?」
「それは秘密だけど」
夏絆は口角を上げ、策士のような笑みを浮かべていた。
「わ、わかった。でも、俺からも一つだけ条件がある」
「なに?」
「一週間パンを購入するのは約束する。けど、限定パンを毎日ってのは無理だから。一週間の内、一回だけなら何とか」
「一回だけ?」
「ああ」
紳人は彼女の顔を正面から見、決心を固めるかのように首を縦に動かす。
一瞬の空気の硬直があった後――
「まあ、それでもいいわ。でも、ちゃんと買ってきてくれるのよね?」
「そのつもりさ」
「でも、その代わり、パンの代金はあんた持ちね」
「う、……わ、わかった。これで本当の本当に約束な」
紳人は真剣な眼差しで彼女の事を見た。
夏絆も少し考え込んだ表情を見せた後、普通に頷いてくれたのだ。
それから時が流れ、その日の放課後。
授業終わり。幼馴染の中野夢月に昨日の一件を説明するために彼女の教室に行ったが、彼女の姿はなかった。
実際に直接会って会話した方が分かりやすいと思ったのだが、どうしても時間が合わないのならば、メールでもいいような気がしてくる。
紳人は再び教室に戻る。
その時には殆どの人が教室から立ち去って行った頃合い。
最後の一人が出て行った事で、紳人はクラス委員長と二人っきりの状態になっていたのだ。
その彼女は今日の業務を終わらせ、机の上でノートを閉じ、その場に立ち上がっていたのである。
「ねえ、今から時間ある? あるよね?」
教室内で帰宅する準備を整えていると、クラス委員長である藍沢花那が近づいてきたのだ。
紳人に断る余裕を与えず、強制するかのような誘い方だった。
「ま、まあ。それはあるけど……」
「じゃあ、約束通りね」
「今日もか」
気分が重くなる。
「何か不満?」
「そうじゃないけど、これっていつまで続ければいいんだ?」
「それは、私が納得するまでよ」
「そ、そうか……」
紳人は頭痛を感じていた。
すべては、自分が彼女の本を見てしまったことが始まりなのだ。
こればかりはどうしようもない。
逃れられない運命にあるのだろう。
「えっとさ、仮にさ、俺に彼女が出来たら? この関係って?」
「……出来るの?」
「それ、酷いな」
花那が真面目な顔つきで言ってきたことも相まって、心に酷く突き刺さっていた。
紳人は表情を苦しくも歪ませていたのだ。
「でもね。仮にできたのなら、その時には問題が解決されて、あなたとは別れているかもね」
「そ、そうか」
一瞬の希望が生じる。
「んんー、でも、その時の状況次第かな? その時も私が納得していなかったら、この関係を続けるかもね」
その彼女の言葉に、また気分が落ち込んでしまうのだった。
でも、逆に考えれば、早いところ正式な彼女を作ることができれば良いということ。彼女が出来るその時までには、花那を納得させていればいいという事だ。
これも何かしらの試練だと思えばいいと、心で考えるのだった。
二人は教室内の後片付けをした後、昇降口を通じ、学校から立ち去る事となった。
今から向かう先は街中である。
「街中のどこに行くつもり?」
現在、街中の裏路地に入り込んでいた。
疑問に感じていた真人は、隣を歩いている彼女に問うことにしたのだ。
昨日のように、喫茶店とかではないのだろうか。
「今日は私の行きつけの本屋に行きたいの」
「本屋? ……え? こんなところにあるの?」
紳人も漫画を購入する時、色々な書店に行くことがある。
だが、この道の先にある本屋の存在は知らなかった。
少し進んだ先。その裏路地の通りに年季の入った感じの店屋がある。
店屋の前には看板もなく、ひたすら怪しいといった印象しかなかったのだ。
ここって、まさか――
紳人は変な胸騒ぎを感じていた。
「私の行きつけの場所っていうのは、ここよ」
花那が来たがっていた場所というのは、この怪しい外観をした本屋だったらしい。
「は、入るのか? ここに」
「ええ。そうよ。私の責任をとるって事は、こういうお店に入るってことなのよ。それにあなたもエッチな本を読んでるでしょ?」
「それは――、アレはそういう漫画じゃないんだけど」
紳人はもう一度、彼女の目を見て、恥じらいを持ちつつも強めな口調でツッコんでおいたのだ。
「入ろ!」
「え、ほ、本気で入るのか?」
「ええ」
その怪しさ全開の店屋に引きずり込むかのように、彼女は急に紳人の手首を掴んできて引っ張る。
そういうお店に入ってみたいとはずっと前から思っていたのだが、入ったら元には戻れないという葛藤もあり、紳人の心は板挟み状態に追い込まれつつあった。
「私の秘密を知ったからには逃がさないんだからね!」
花那は学校では殆ど見せない企みのある笑みを浮かべ、この先にある闇と光を経験させてやろうという顔をしていたのだ。
たった一冊の本を見てしまったことが、自分の運命を大きく狂わせてしまったと、今も思う。