第9話 シーヴとミカの正体
謎の二人組――剣士シーヴと踊り子のミカに叩き起こされた。シーヴは俺の手を掴み、無理矢理引っ張っていく。
「おい、ちょっと待てって! なんなんだよ、いきなり!」
力は俺よりずっと強く、引きはがせそうにない。
夜のスラム街を歩く。
みんな、ろくに食べておらず、疲れているので、起きている人間は他にいなかった。
どこまで連れていかれるのかと思い、俺は声を荒げた。
「いい加減にしろ! どこまで行くんだよ! もっとでかい声出すぞ!」
シーヴはようやく手を離した。
馬鹿力のせいでちょっと赤くなってるじゃねえか。ヒリヒリする。
「さっきも言っただろう。貴様をここから連れ出すのだ」
ミカも続く。
「そうそう、このままここにいたら、あなた死んじゃうからね」
二人の言葉から、罠だとか、嘘は感じなかった。本当に俺を助けたいようだ。
だけど、なぜ?
そんなことして、こいつらに何のメリットがあるっていうんだ?
「シーヴとミカ、だっけ? お前ら、なんなんだよ。なんでこんなことする? 俺を助けてどうしようってんだ?」
すると、二人はきょとんとした顔になる。
「なんだ、まだ気づいておらんかったのか。今はラナイ、だったか」
「……え?」
「私たちをよぉく見てよ。よく知ってる誰かを思い出さない?」
「……」
髯の生えた豪傑剣士シーヴ、そして銀髪の美しい踊り子ミカ。
どこかで見たような……。
俺の中で、急速に記憶がよみがえる。
「あっ、あっ、あっ……! お前ら……!」
やっと分かった。
「武神と女神か!?」
二人――いや、二柱が同時に笑う。
「やっと気づいたか」
「鈍いわね~、ラナイ君」
一度分かってしまえば、もう武神と女神にしか見えない。
まさか、あいつらがここにいるなんて思わなかったから、ずっと思い出せなかった。
天界にいるはずの武神と女神がなぜ?
しかも、二柱から神の力は感じない。俺と同じように“人”になってやってきたようだ。
「なんで!? なんでお前らがここにいるんだよ!?」
武神が説明を始める。
「貴様が下界に降りた後、やはりちょっと心配になってな。吾輩らも降りてみようということになったのだ」
「そうそう、様子を見に来たのよ。優しいでしょ、私たち」
「フリーデにはすぐたどり着いたが、貴様がどこにいるのかは分からなかった。しかし、大神殿から罪人がスラムに逃げた、という話を耳にしてな」
それが俺じゃないか、と思ったわけか。
今は“人”だが、武神と女神に会うことができ、俺の顔はほころぶ。
「来てくれて嬉しいよ! だけど、なんで名前はシーヴとミカなんだ?」
武神と女神は自信満々に言う。
「武神を逆から読むと“ンシブ”、そこからシーヴだ」
「私は神をそのまま逆さにしただけ」
「我ながら気に入っておる。“人”である間は、吾輩らのことはシーヴ、ミカと呼ぶように」
「分かったよ」
こいつらのことはシーヴ、ミカという人間として扱うことにしよう。
だが、俺は下界に降りる寸前、こいつらに『イラナミ教』のネーミングをダメ出しされたことを思い出す。
「偉そうに言ってたが、お前らのネーミングだって同レベルじゃねえか!」
シーヴもミカもてへへと笑う。
しかし、先ほどまでは暗い気持ちだったのが、一気に明るくなった。
天界から下界に降りてから苦しいこと続きだったが、頼もしい仲間を得た、という気持ちになれた。
シーヴも俺のそんな思いを感じ取ったようだ。
「では、とっととこのスラムを脱出するぞ。今の吾輩は人だが、兵士の十数人ぐらいなら倒せる実力はある。どうにかフリーデを脱出できるはずだ」
“人”の状態だとマジで平凡な俺に比べ、さすがに武神は頼もしい。
脱出しちゃえばこっちのもの。
安全な場所で来月まで過ごして、神に戻って、ゼーゲルたちに天罰を……ってちょっと待て。
そうしたらレーアは、ディゴスは、スラムのみんなはどうなる?
「待ってくれ!」
「なんだ?」
「それじゃ、このスラム街の人たちは助けられない! ゼーゲルたちに殺されてしまう!」
これにシーヴもミカも冷淡な表情を見せる。
「それがどうしたというのだ?」
「そうよ」
「……え?」
俺としては意外な返答だった。
「ここの住民らはおそらく皆殺しにされる。しかし、神の命には代えられん。気の毒だとは思うが、逃げるしかあるまい」
「そうよ。ゼーゲルたちの独裁は私たちも聞いたけど、今はどうしようもないわ。武神……今はシーヴか。彼がいたって、とても敵わないわ。イラナミ教は、あなたがゼーゲルたちを罰してからまた立て直してもらえばいいじゃない。レーアに代わる指導者を見出してね」
ミカも同意見のようだ。スラム住民は見捨てるしかないと言っている。
俺は神だ。
人と神の命、どちらが優先されるかなんて言うまでもない。
なのに、「そうだな」と言えない。こいつらの意見に賛成できない。
すると、シーヴが――
「割り切れ。そもそも我々神の使命は、人類を見守ること。ただそれだけに過ぎん。ゼーゲルの独裁だって、本来は放っておくべきことなのだ。例えば吾輩は武を司る神だが、武術を悪用する者などいくらでもいる。だが、そんな連中をいちいち罰していてはキリがないし、全て罰したとしたら、それは神が人類を自分の操り人形にすることになってしまう」
「そうよ。私も美の神だけど、美しさを巡って嫉妬や足の引っ張り合いなんかしょっちゅう起きてるわ。だけど、そんなことにいちいち介入したりしないもの」
二人の言うことは正しい。
俺がレーアたちを助け、ゼーゲルを罰しようとしてること自体、神としては本来おかしいのだ。
人間たちがそういう歴史を辿ったんだから、放っておかなきゃならないのだ。
俺には何も言い返すことができない。
だが――
「二人の言うことは正しいよ……。多分、俺も“神”として下界に降りてたら、こんな気持ちにはならなかったと思う」
もし、俺が“神”のまま下界に降りて、変わり果てたフリーデを見たら、おそらくこう思ったはず。
ずいぶん変わってしまったなぁ、残念だが、仕方ない。
そして、そのまま何もせず天界に戻っただろう。
これが本来神のあるべき姿だ。何も間違っちゃいない。
200年前水害を食い止めたのだって、人間に情をかけたわけじゃなく、ただの気紛れに過ぎない。
だが、今の俺は“人”として、レーアたちに出会い、ゼーゲルの独裁を知ってしまった。
危うく処刑もされかけた。
炊き出しのおじやを食べたら、メチャクチャ美味かった。
“人”なのに他人事として見過ごせなくなっている。
そして、俺はきっぱりと言った。
「シーヴ、ミカ、お前たちだけ逃げろ。俺はここに残る」
二人は顔をしかめる。
「まだそんなことを言ってるのか。貴様は神なんだぞ。神としての自覚を――」
「だけど、今は“人”なんだよ!」
俺は声を荒げた。
「今は……人間なんだ。30日までは……。だから、俺は人間としてここの住民を見捨てることはできない! ここに残って、最後まで戦う! だから二人だけで逃げてくれ!」
神としてはあるまじき決断、発言だった。
さらに罵られると思った。
ところが――
「ふん……なんとなくこうなる気がしたぞ」とシーヴ。
「そうね」ミカもクスリと笑う。
「……え?」
シーヴが後頭部を右手でかきながら、つぶやく。
「ならば吾輩も付き合ってやる」
「私も!」
二人ともスラムに残ると言うので俺は焦る。
「ちょ、ちょっと待て! 今はお前らだって“人”なんだろ? 下手したら死んじまうぞ! 俺に付き合うことなんかないって!」
シーヴは――
「分かっておる。しかし、吾輩らも長く天界にいると、刺激が欲しくなってな。それこそ、本当に命をかけるような刺激が……」
ミカも――
「そうそう。別に破滅願望があるわけじゃないけど、こういうことに付き合ってみるのも面白そうだし。これも神としての修行にもなるかもしれないしね」
シーヴは武神だけあって、間違いなく戦力になる。
踊り子のミカも、スラムに活力を与えてくれるだろう。
二人が力になってくれるなら、これほどありがたいことはない。
「本当にいいのか?」
俺が念押しすると、
「くどいぞ。吾輩に二言はない」
「私もよ」
二人とも快諾してくれた。
もし万一、二人が死ぬようなことになっても、俺を全く恨まないだろう。
「分かった……よろしく頼む!」
心強すぎる味方ができた。
とはいえ、ゼーゲル一派との戦力差はあまりに大きい。
仮にスラム住民が一致団結し、この二人が加わっても、奴らには歯が立たないだろう。
俺が悩んでいると、シーヴが一つのアドバイスをくれた。
「この戦いの勝敗は……貴様にかかっている」
「俺……?」
俺はきょとんとしてしまう。
「そうだ。今の貴様は“人”だが、信仰によって力を得られる。そして、この都市はイラナミ教の本拠、貴様にとってはホームタウンのようなものだ」
シーヴの言っていることは俺にも分かっていた。
だが――
「分かってる。だけど、ダメなんだよ。ここのイラナミ教徒は俺というより、ゼーゲルを信仰してる状態で、祈りを捧げられてもなんの力も得られなかったんだ」
公開処刑の時、イラナミ教徒の祈りは俺の力にはならなかった。
「うむ……都市部に住む教徒はそうだろう。だが、ここのスラム住民はどうかな?」
「……!」
「もしも、ここの住民から貴様が信仰を集められれば、ゼーゲルの兵に負けぬほどの力を発揮できるはずだ」
確かにレーア一人の祈りでも、この俺が強そうなドラゲノフに一矢報いる力を発揮できた。
もしスラム住民からの信仰を集められれば……。
「いけるかもしれない……!」
希望が見えてきた。だが、ミカがこんな指摘をする。
「問題は、ゼーゲルが攻めてくるって時に、のんきに神にお祈りを……なんてやるかってことよね」
「うぐ……確かに」
シーヴが俺を厳しい目で見る。
「だから残りの日数で貴様はスラム住民の心を一つにせねばならん」
「どうやって……!?」
「ずばり、ラナイ、貴様がスラム住民のリーダーになるのだ!」
「なんだってぇ!?」
俺がこのスラム街のリーダーに!?
とんでもない課題を突きつけられた。
だが、確かにそうかもしれない。
“人”としての俺がスラムのリーダーになって、皆をまとめ、イラナミ神への祈りを捧げてもらう。
スラム住民がゼーゲルに勝つにはこれしかない。
しかし――
「リーダーになるといっても、どうすればいいんだ?」
「それぐらいは貴様で考えろ! だが時間はないぞ。明日一番から行動に移すのだな」
「……分かった」
確かにここからは俺自身で考えなければ意味がない。
俺はシーヴとミカに礼を言うと、そのまま別れた。
小屋に戻った俺は、毛布をかぶり、こう決意する。
明日、レーアに全てを打ち明けよう。そして、協力を得る。それしかない。
俺のスラム街リーダーへの道が幕を開ける。