第8話 スラム街清浄化作戦
5の月の10日。
俺が下界に降りてから、十日経った。
スラム街の一角がにわかに騒がしくなる。ディゴスたちだ。
何が起こったのか、俺も彼らの話を聞いてみることにした。
「ずいぶん早いな……」
「くそっ、ついにか!」
「やってやるぜ! 俺たちの意地を見せてやる!」
雰囲気も穏やかではない。というか、どこか物騒な臭いがする。
歯を食いしばっているディゴスに、俺は声をかける。
「おい、何があったんだ?」
ディゴスは険しい顔つきで俺を見つめる。
「まったく、お前も本当にツイてねえ男だな」
「へ? どういうことだよ?」
「ゼーゲルのスラム清浄化作戦が決まったんだよ」
清浄化作戦。名前の響きは清廉としたものを感じる。
「清浄化? 掃除してくれるのか?」
「んなわけねえだろ! 俺らを皆殺しにかかるってこった!」
皆殺し……?
ゼーゲルたちがなんで、スラムに住む彼らを殺すんだ?
「なんで……?」
「決まってんだろ。俺らが邪魔だからだよ」
そりゃま、煌びやかな聖都フリーデに、このスラム街は似つかわしくないのかもしれない。
だけど、いくらなんでも皆殺しはやりすぎだ。
レーアも、ディゴスも、住民らも、子供たちでさえも、みんな殺すっていうのか。
「なんでだよ!? なんでそんなことを……! だいたい、そんなことしたらゼーゲルたちの立場だってさすがにマズイことになるだろ!」
「だがよ、奴らはやらなくちゃならねえ」
「なんで……!?」
「“なんで”が多い奴だな! 国王の視察が来月行われるって決まったんだよ!」
「……?」
全くピンとこなかった。
ドミル王国の王が視察に来るから、なんでスラム住民が皆殺しになるんだ。
むしろ、スラム民にもきちんとした生活をさせて、王にいい都市っぷりをアピールすべきじゃないのか。
「まだ分かんねえか。国王の視察は、ゼーゲルにとって大チャンスなんだよ。イラナミ教の影響力を一気に高めるにはな」
ディゴスらは俺のために噛み砕くように説明してくれた。
イラナミ教のおかげでフリーデは国内でも有数の大都市となった。しかし、公式的には国からの庇護は受けておらず、地方の有力者が勝手にやっている宗教に過ぎない。
だが、国王の視察で、イラナミ教やフリーデという都市を認めてもらうことができれば、国からの庇護を受けることができる。
そうすれば、国から認められた宗教になり、より勢力を拡大できるし、ゼーゲルの息がかかった者を国の中枢に送り込むことも可能になる。
フリーデを支配するだけじゃ飽き足らず、国まで乗っ取ろうってのか。まったくとんでもない奴だ。
しかし、視察の際、もしレーアたちがいると話は変わってくる。
輝かしい都市にあるスラムなんてただでさえ減点対象だろうし、もっと恐ろしいのはレーアたちが自分たちの窮状を国王に訴えることだ。
そうしたら、ゼーゲルは国から認められるどころか、自分たちの地位すら危うくなる。
だから、最終手段――スラム住民の皆殺しを決断した。
ディゴスがなぜ必死で訓練をするのか、レーアがなぜ自殺行為ともいえる集会での批判を行ったのか、ようやく分かった。
彼らは国王の視察の情報を仕入れており、ゼーゲルが行動に移す日も近いと知っていたんだ。
だったら――
「そうだ、逃げれば……! みんなで……!」
これに答えたのは、ちょうど現れたレーアだった。
「それはできません」
凛々しく、そして彼女らしくない冷たい声だった。
「なんで……!?」
「一見穏やかに見えますが、ここで暮らす人々の心はもうギリギリなのです。フリーデを脱出し、よそへ行く気力や体力など残っていません」
ゼーゲルに都市を乗っ取られて十年。スラムに追いやられた彼らは、レーアやディゴスを中心に、まさにギリギリのところで歯を食いしばって生活してきたのだろう。
脱出を試みても未来はない。
「ですので、私たちはこれから先、何が起ころうとここに残ります」
「逃げたとしても、これ幸いにとゼーゲルたちから追手がかかるのがオチだしよ」
レーアたちはゼーゲルを迎え撃つつもりだ。
だが、まだ希望はある。ゼーゲルたちが兵を送り込んでくるのはいつなのか? それ次第で、俺が何とかできる。
「その皆殺しの決行日ってのは分かってるのか?」
ディゴスが答える。
「今月末の30日だ。間違いねえ」
ギリギリ間に合わない。
俺が神に戻れる前日に、ゼーゲルたちは攻め込んできやがる。あと一日待って下さいって言えば待ってくれるだろうか。無理だろうなぁ。
レーアは厳しい口調で言う。
「こうなった以上、ラナイさん、あなたは一日も早く脱出して下さい。まだ時間はあり、私たちも協力しますから、あなた一人なら脱出は十分可能です」
「レーア……」
俺はおそらくゼーゲル一派に顔を覚えられ、マークされている。今度捕まったら牢屋なんか入れずに即処刑だろう。
この日の脱出はさすがに危険ということで、俺はいつも通り夕食を取り、小屋で眠りについた。
***
――といっても、なかなか眠れない。
寝付けないのだ。
このままいけば、5の月の30日、ゼーゲルたちによってここの住民は全員殺される。
俺が神に戻れればいいのだが、それも一日間に合わない。
このままここにいたら、俺も殺されてしまう。
神である俺の死。それは絶対避けなきゃならない。
普通に考えればレーアたちに逃がしてもらうべきなんだろうが……その決心がつかない。
「……くそっ!」
あまりに眠れないので、俺は乱暴にぼやいてしまう。
すると――
「おい……。おい……!」
俺を呼ぶ声がした。
男の声だ。
といってもディゴスじゃない。誰だ?
振り向くと、そこには、
「ようやく気づいたか」
謎の剣士シーヴがいた。
なんでここに?
しかも、隣には踊り子のミカまで連れている。
謎の二人組が俺の元に現れた。
「なんだよ、お前ら? こんな夜更けに……」
シーヴは答える。
「今から貴様をこのスラムから脱出させる。ついてこい」
「……へ?」
なんでこいつらが俺を逃がすの?
俺は状況に全くついていけてなかった。