第6話 目覚めると、スラム街
目を覚ました。
体には灰色の毛布がかけられている。
手枷はなくなっており、腹部にはまだ痛みが残っている。
「ここは……!?」
上体を起こすと、俺はどこか家の中の床に寝かされてたことが分かった。木の板を並べて作ったという感じの、質素な部屋だった。
誰かが入ってきた。
この猛獣のような顔立ち、確かディゴスとかいう奴だ。
「よぉ、目が覚めたかよ。よりによって俺が来た時に目覚めやがって」
「ど、どうも」
俺の挨拶に、ディゴスは呆れたような顔になる。
「お前は丸一日寝てたぞ。レーアに感謝しろよ。あいつがいなきゃ、お前なんか見捨てたってよかったんだ」
そう、俺はあの大神殿で、レーアと共に処刑されそうになり、このディゴスたちに助けられた。
俺は失神してしまい、ようやく目が覚めたんだ。
「お前は何者なんだ?」
ディゴスに尋ねられ、当然神であることは言えないので、“ラナイ”という名前と、自分は旅人で、たまたまフリーデに立ち寄ったことを告げた。
「ふうん。なんだかふわふわした野郎だな」
ホントにふわふわしてるからしょうがない。
もうちょっとちゃんと“人”としての設定を考えてくるべきだった。
とりあえず、今がいつで、ここがどこなのかは知っておきたい。ディゴスに聞いてみる。
「今日は……5の月の3日だな」
今日の日付が分かった。
俺は下界へ降りた日にフリーデに来て、そこで捕まって一夜過ごして、次の日に処刑されかけた。そして、丸一日寝てたんだから、今は下界に降りてから三日目か。
一ヶ月は30日だったはず。30日間は神に戻れないから……つまり、俺が神に戻れるのは“6の月の1日”だ。
なんとしてもこの日までは生き延びなければならない。
そうなればもうこっちのもの。ゼーゲルだろうが、ドラゲノフだろうが、怖くはない。
希望が見えてきたな、うん。
「場所は、従来のイラナミ教信徒が押し込められた地区って言えば分かるか?」
分かる。
レーアが説明してくれた。
ゼーゲルがイラナミ教を牛耳って以降、奴に屈せず従来の慎ましい生活をするイラナミ教徒は、都市の片隅に追いやられたんだ。おそらく地図で見た、空白だった部分だろう。
状況がつかめてきたぞ。
となると、俺のやることも決まってきた。
今月はここで過ごさせてもらって、来月神に戻ったら、ゼーゲルとドラゲノフに天罰与えて、イラナミ教を元に戻す。これしかない。
安心すると、俺はレーアのことが気になった。彼女はどうしているんだろう。
「あの……レーアは?」
「起きて早々レーアのことかよ。あいつなら、今の時間は外で子供の相手をしてるだろうよ」
無事なようだ。俺はホッとする。
すると、ディゴスが俺を睨みつけてきた。
「いっとくが、レーアにちょっかい出したらぶっ飛ばすぞ! あいつはみんなの希望なんだ!」
「分かってるよ……」
ぶっ飛ばされたくないので、こう答えるしかない。
ディゴスとしても、彼女には思うところがあるのかもしれない。
「せっかくだ。周辺を案内してやるよ」
「ありがとう」
顔は怖いけど、意外と優しいところもある男じゃないか。
俺はディゴスの後ろについて行き、外へ出た。
***
時間は昼時。
外に出ると、殺風景な町並みが広がっていた。
地面は土で、家というより小屋というべき建物が並び、行き交う人々はみんなボロを纏っている。
これだけで彼らの苦しい生活ぶりが窺える。スラム街といっていい。
だが、一方で清潔感も漂っている。掃除は行き届いているし、人々には笑顔がある。
貧民街ではあるが、心までは貧しくはないのだな、と感じる。
「……いい場所だな」
俺が言うと、ディゴスは鼻で笑う。
「お世辞なんかいらねえよ。どう見てもただのスラム街だろ、こんなの」
「いや、本心だ」
ここに住んでいる人々は俺が授けた「お金に固執しない」「悪いことをしない」「助け合う」の三つの教えを忠実に守っているのだろう。だから、こんな環境でも秩序が保たれているのだ。
俺はディゴスに聞いてみる。
「あんたもイラナミ教徒か?」
「ああ、そうだ」
「イラナミ神を信じているのか?」
ディゴスは少しの沈黙の後、答える。
「……もし、本当に神なんてもんがいるなら、ここにいる連中は救われてるだろうし、ゼーゲルみたいな輩を放置しちゃいねえよ」
耳が痛い。
まさか、たった200年でこんなことになってるなんて思わなかった。
「じゃあ、信じてないのか?」
ディゴスは口ごもる。
「……レーアが信じてるものを信じないわけにはいかねえだろ」
この答えに俺は唇が緩んだ。
ありがとう、と言いたい気分だった。
街をしばらく歩く。
すると、子供たちに囲まれたレーアがいた。
絵本を持っており、読み聞かせをしているようだ。よく慕われており、彼女の人望の高さが窺える。
ディゴスが彼女に呼びかける。
「レーア、こいつが目を覚ましたぞ!」
レーアがこっちを向く。
「あ、ラナイさん! ……よかった!」
「心配かけたね。レーア」
ディゴスは俺をひと睨みすると、レーアには優しく声をかける。
「俺は訓練があるから。またな」
「うん、また後でねディゴス」
どこかに立ち去っていった。
訓練、か。いつかは知らないが、ゼーゲルたちとの対決のために、備えているのだろう。
俺を睨んだのは、レーアに近づく俺に牽制したってことぐらいは分かる。さっきもぶっ飛ばすなんて脅してきたし。
ちょうど読み聞かせも終わったというので、俺とレーアは二人きりになる。
「目を覚まされたようで、よかったです」
「俺こそ、情けないところを見せちゃって……」
ドラゲノフに一矢は報いたが、結局すぐにやられてしまった。
神としてはあまりにも情けない。
「いえ、あなたの抵抗がなければ、ディゴスたちも危なかったでしょうから」
レーアの励ましが心に染みた。
起きてから、これからどうするか考えていたが、他に行くあてはない。
「俺もここで暮らしていいかな?」
「もちろんです。どうぞ!」
「ありがとう」
これで俺もスラム住民だ。
さらにレーアから話を聞いて、このスラム街のこともだいたい分かってきた。
人口は1000人ぐらい。
朝、昼、夕に、レーアやディゴスたちが中心になって炊き出しを行う。
食料は自給自足や、街で分けてもらったりして、でどうにか調達しているようだ。都市部にも、レーアたちを密かに支持する住民がいるとのこと。
昼間、レーアは子供たちに読み聞かせをしたり、大人たちに従来のイラナミ教の経典を説いたりして、過ごしている。
過酷な環境であるが、かろうじて昔のイラナミ教の命脈は維持している。
そして、それはやはりレーアの存在が大きい。
先代大神官の娘であるレーアが健気に頑張っているからこそ、ここの住民たちはどんなに苦しくても、貧しさに耐え、信仰を捨てずにいられるんだ。
夜の炊き出しは野菜の入ったおじや。
神だった時は腹なんか減らなかったが、今の俺は空腹で仕方なかった。
なにしろ、これまでまともに食事してなかったんだから。
お椀に入ったおじやを一口食べると、美味すぎて涙が出てきた。
「う、美味い……!」
こんな俺を見て、子供たちは大げさだよと笑い、レーアは微笑み、ディゴスは呆れていた。
あっという間におじやを平らげた俺に、レーアはお代わりを差し出してくれる。
「どうぞ」
俺は神なのに、遠慮することができなかった。遠慮なくいただく。
そして、決意を新たにする。
俺は神として、この状況を何とかしたい。
なんとしてもこのスラムの民を救ってみせる、と。