見ない
思い付きで書いた短編です。
休日の朝。
ダイニングで妻と小学生の娘の3人での食事を終え、魔法少女が活躍するテレビアニメを観るために娘はリビングへと駆け出し、妻は早々に片付けを始めた。
家族サービスに今日はどこか行こうかなんて言おうとして、タイミングを失って1人テーブルで佇む俺は仕方なしにスマホに目をやる。
登録しているニュースアプリが速報を通知していて、何となくタップすると「人気インフルエンサー女性、突然の自死」という見出しの記事が目に入る。
暇潰しがてら、妻の出してくれた食後のコーヒーを飲みつつ読んで行くが、特段の興味は惹かれない。
3人組の人気女性配信者の1人が自宅マンションのベランダから飛び降りたという内容だったが。
「人気ねー、聞いたことも見たこともないけど」
グループの名前も登場する一人ひとりの名前も全く知らない。俺もおっさんになったのかねーなんて、人ひとり死んでるというのに不謹慎な感想しか出てこないが、だが、この事件はただの自殺って簡単には処理できなかったそうで、中々とボリュームのある記事に最初は興味も無かった筈が、結構しっかり読んでしまうあたりも人でなしだなと自虐する。
自死したとされる女性を含むグループ3人は都内のマンションを共同購入し、シェアハウスとして共に住んでいたそうで、一週間前ほどから突如として情緒不安定となり、錯乱しだした彼女は、心配した残り2人やサポートメンバー、所属する事務所などから休業を勧められ、休んでいたそうなんだが、自死当日、3LDKのマンションで彼女が自室として使っていた部屋から「顔がっ、顔がっ」という悲鳴にも近い絶叫が聞こえ、リビングで配信のライブ撮影をしていた2人が心配し駆け付けた時には、既にベランダから飛び降りた後だったという。
ライブ配信中の出来事で、撮影のために来ていた事務所の撮影スタッフもその場にはおり、奇声を上げた彼女を心配して部屋を出たあとも、スタッフによって撮影はされていたらしい。
部屋のドアが施錠されており、開けられなかったことで、中にいる彼女に呼び掛けるも意味不明な言葉と悲鳴を繰り返すばかり、ベランダへと続く扉を開けた音に気付いたスタッフが、万が一を想像しドアを蹴破ろうとし、上手くいかず、何とかドアを破壊し中に侵入した時には彼女は居らず、慌ててベランダに出るも既に彼女は地面で血塗れになっていたそうだ。
人気インフルエンサーのライブ配信中の自殺。
当然だが、世間は動機を巡ってある事ない事、好き勝手に騒ぎ捲った。遺書なども無かった事や、飛び降りた直前の発狂ぶりなども、議論に拍車をかけたが、一月もすれば、この話題は綺麗に消え去った。
~~~
ある日、眠りに落ちた筈の俺は、変なところにいた。
あー、夢かとすぐに思った俺の前に、人間ここまで老けられるものかってくらいにしわくちゃで、もう男女の区別もつかない腰の曲がった人物が現れた。
「幽世に迷い込む者はたまにいるが、こっちの世界に来ちまう者は本当に希なんだがねー。ちょっと前も1人いたってのにまた来るとは」
やはり性別を判別するのは難しい嗄れた声で、呆れたといった風に話す老人だが。
「1人? 」
気になった事が口をついた。
「あー、若い女の子だったね。別嬪さんだったが、可哀想に」
何となく、名前も覚えていない自殺した配信者を思い出したのは何でなのか。だが。
「あー、その子だよ。知っとったのか」
老人は俺の顔を見て、心を読んだように言って来る。皺に覆われたその顔の奥、妙に鋭い眼光に怖じ気た俺だったが、まぁ、ただの夢さと気を取り直した。
「いいかい、元の世界に戻るにゃ、彼処に見える扉を潜って、一本道を振り返らずにひらすら真っ直ぐ進むんだ。そうすりゃ元の世界に戻れる。ただ、その最中、絶対に振り返っちゃならんし、問い掛けられたら、全て『見ない』って答えるんだ、いいね」
小さな老人のどこにこんな圧があるのかというくらいのオーラ染みた気配に、馬鹿馬鹿しいと思いながらも俺は頷いてた。
指を指している方をみれば、縦2メートル、幅90センチくらいの扉サイズに光る何かがある。
ここを潜って行けということらしい。
扉と言われた場所を通ると、其処は薄暗い洞穴の中のようだった。
じっとりと湿っぽく、狭い。足場が滑り、転びそうだと壁に手をつけば、しっとりとした感触で指が苔に埋もれ、露が指を伝って肘へと流れる。
「夢……じゃないのか」
足元を見れば、濡れてグショグショになった靴下。岩肌が露出した洞穴だが、地面には堆積した土のようなものが僅かにあり、それがぬかるんで滑る。
濡れた靴下の不快感、岩の上にこびりつき、ぬかるんだ泥のグニャリとした感触に、それに足をとられ、靴下が脱げ、転びそうになる瞬間の重心を失い、放り投げられたような感覚。
そして、思わず壁につけた手から伝わる否応なしなリアルな触覚。その瞬間、鼻についた潰れた苔が発した青臭い匂いに刺激され、洞穴の中のカビ臭い匂いまでが鮮明に脳に焼き付いていく。
「夢さ、夢に決まってる」
冷や汗が頬を伝う。額に掌にじっとりと汗が浮かび、背筋が冷えていく。
洞穴の遥か先に僅かに光が見える、出口だろうか。とにかく、真っ直ぐ進むしかない。
すると後ろから唐突に声がする。
機械音のような、獣のうなりのような、つまった水道管が発するゴポゴポとくぐもったような、不快で不安にさせる厭な声が語り掛けて来て、思わずと振り向きそうになるが、ぐっと堪える。
「オマエハ、ジブンヲ、ミルカ」
よく分からない質問だったが、言われた通りに、見ない、と答えて進んでいく。
化け物のような声に怖じ気て、ついつい早足になっていくが、ぬかるんでうまく進めない。
「オマエハ、ツマヲ、ミルカ」
「オマエハ、コヲ、ミルカ」
「オマエハ、トモヲ、ミルカ」
「オマエハ、ネコヲ、ミルカ」
矢継ぎ早にされる質問はどれも、俺に関わりのある人やペットだと思うものを「見るか」と問うだけ、意味は不明だが、それだけならば、たいしたことは無いが、見ないと答える度に、問いを発する声が大きく、複雑さを増して、悲鳴のような怒号のようなものに変わっていく。
このまま怒り狂った化け物に食い殺される。
そんな恐怖に気付けば走り出していたが、泥濘に片方の靴下がとられて、脱げ。尖った石を踏み、激痛に転びそうになる。
だが、もし転んで後ろの奴を見れば、それで終わりな気がして必死に耐える。
徐々に大きさを増す光だけを頼りに走り続けた最後。
「オマエハ、イケルモノヲ、ミルカ」
ついには、すべての生き物を見るかと問うた声に、絶叫するように見ないと叫んで光を潜った。
~~~
「見ないっ!! 」
叫びながら起き上がり、あぁ、やっぱり夢だったかと安堵する。
ベッドの上で布団を剥いで床においたスリッパを履こうとして、寒さのために履きっぱなしだった靴下が片方脱げていた。
「これのせいか。それにしたって、あんな夢」
俺は一階に降りて、洗面台で顔を洗おうとして、
「なっ……なんだ、これ」
鏡に映った俺の顔だけが見えない。
まだ、夢を見てるのか。そう思ったが違う。本当に見えていない。
「あなた、どうしたの」
俺の様子がおかしいと感じたのか、声を掛けてきた妻を振り返って見て、俺はその場に踞った。
「見えない」
~~~
それから、俺には顔という顔が見えなくなった。
無貌症というやつか、識別障害というのか。さすがに誤魔化しきれるものでもなく、会社に事情を話して休業し、病院に通う日々。
愛する妻も、可愛い娘も、飼っているネコの顔すら分からない。
妻はゆっくり治しましょうと慰めてくれるが、一家の大黒柱がこれでは、この先の娘の養育だって儘ならない。
「くそっ、あいつのせいだ。あの爺だか婆だか分からないやつの言うことなんて聞いたせいで」
見ないと言った結果、俺は全て見えなくなった。俺にはそうとしか思えなかった。
それから、1ヶ月程たち、改善の兆しもないまま、営業職から内勤の仕事へと移動させて貰い、苦労しながら俺は職場に復帰していた。
夜、眠りについた俺は、あの場所にいた。
「あんまりにも執着するせいで戻っちまったかい」
あの時の老人に俺は殴りかかろうとしたが、身体が硬直して動かない。
「無理をするもんでない。そんなことすれば、ここに縛りつけられるぞ。二度もここに来ちまった。しかも二度目は儂への復讐心で自ら紐付けてだ。半分以上こっちの住人になっとるんだ」
「意味がわからないことをペラペラと、もうあんたの言うことは聞かないからなっ」
俺は光の扉を潜ると一気に駆け出した。
転ぶのも怪我するのも、起きれば無かったことになるなら、我慢だ。どうせだから、あの声の主も見てやると思ったが。
「オマエハ、ジブンヲ、ミルカ」
また、聞こえてきた声に、本能的に見てはいけない気がして振り返れない。
それでも、
「あー、見るさ。当たり前だ」
そう答えると、洞穴が揺れた。
ビクッとして、思わずと足を止めると、声は以前と異なり大人しく、小さくなった。
「オマエハ、ツマヲ」
「オマエハ、コヲ」
「オマエハ、トモヲ」
質問の内容は変わらないが、見るさと答える度に、声は普通の人間に近付いていく。
「オマエハ、イケルモノヲ、ミルカ」
最後の問いに答える頃には、俺と変わらない年頃の男の声で穏やかに問い掛けられる。
振り向いて答えるかと思ったが、急に背中を押され、扉の向こうに追いやられる。
「今からでも『見ない』と言うんじゃ」
そんな、あの老人の声に反発し、俺は。
「見るに決まってるだろ」
そう言って、目を覚ました。
~~~
洗面台へと降りる。
これで全て元通りだと鏡を見る。
「うゎわぁぁあぁあぁぁああぁっー」
おぞましい光景に悲鳴をあげれば、妻と娘がやってくる。
その顔は。
「もう、半分こっちの住人なんじゃから、見えないほうが幸せじゃったのに」
良ければ感想お待ちしてますщ(´Д`щ)カモ-ン