第二話
「本当は、愛している人がいる」
そう打ち明けられたとき、私はどうしたらいいのかわからなかった。その上愛している人というのは領地にいる平民だという。
結婚したくて私と結婚したことが無いのは分かっていた。でも結婚した以上は夫婦だと思っていた。両親も婚約関係だったために、夫婦という物は時間が経てば勝手に仲が良くなっていくものだと思っていた。でも違っていたと気付いたときには遅かった。
そんな話、聞かずに無視していればよかったという感情もあった。そんな女のために私がすることなんて一つもない。
「私は君を愛せない。だから」
そう言われた日のことはよく覚えていた。私が町へ出かけに誘って、二人で屋敷に帰ってきた帰りだったから。気を紛らわせようとしたのがいけなかった。
そうやって謝ると日を追うごとにカールは状態が悪化していき、敷地の開いている空間に小さな離れを作り始めた。私に一つも許可を取らず、ただ黙々と敷地に離れを作り始める。業者を読んで、設計して、こじんまりとしていながら、最新の機能がついているらしかった。
それがその愛人の物だとわかっていた。だから、たまらなく嫌で離れを作ることをやめるように口酸っぱく言った。けれどもカールは自分がこの屋敷の主人であると権力を振りかざし始めた。確かに爵位があるのはカールだけれども、この屋敷も土地も、半分くらいは私の物だと主張できるはずだ。
私はただの伯爵夫人だけれども、半分以上の仕事は私に回ってきていて、生活ができているのだって、半分は私のおかげなのだ。意見する権利があり、したというのに、相手にもされず伯爵という爵位を盾にして、全く私を相手にしようとしなかった。
私が二十五歳になった時の夏、普通に人が住めるような離れが出来てしまい、そこに見知らぬ女が出入りし始めた。私に挨拶一つせずその女はフィリップ家の敷地の中で生活し始めたのだ。私が抗議しようものならカールは聞く耳を持たず、離れへ入り浸った。
離れに入り浸るようになると、仕事だって放棄するようになり、頭を使わなければならないほとんどすべての仕事が私に回ってきた。
カールが行う仕事と言えば、誰でもできるような簡単な仕事を昼間に行い、眠くなるような会議に出席する程度。
とある日、散々我慢した私は堪忍袋の緒が切れ、夜に離れへ向かおうとするカールを引き留めた。私の睡眠時間は激減し、日に日に顔色は悪くなっていき、食事をとる暇さえ取れなかった。
「カール!貴方正気なの?伯爵としての仕事も放って、あの女との遊びにふけって」
私が幼少期からの仲であるメイド達は私に加勢して、カールににらみを利かせた。屋敷勤めの騎士達も割り込むようなことをせずただ横目に眺めているだけ。
そんな空間の中で、カールは私が掴んだ手を振り払い、今までにない威勢で応戦してきた。
「ビオラ、君だって僕のことが好きじゃないだろう。君だって愛人を作ればいい!」
カールははなから私とまともに会話をするつもりはなかった。愛人を作ればいいなんて簡単に言うけれども、愛人を作る暇だってない。せめて一週間に一度舞踏会へ行く時間を作れればそう言うこともできる。そのためにはカールに成すべき仕事をしてもらわなければならない。
それとカールは私が愛人を作る体で話を進めているけれども、伯爵夫人としてできるわけがない。男が愛人を作るのはまだしも、舞踏会では様々なうわさが飛び交うけれども、そんな中で夫人が愛人を作っているなんてことが広まったらどうなるものか。
「そう、簡単なものじゃないのよ。貴方は貴族で伯爵なのよ。フィリップ領を統治しているの。この家の婿に入ったら、この家のルールにのっとって仕事をしてもらう。愛人と接触するななんて言ってないの。とにかく仕事をしてッて言っているの!」
今まで大声を張り上げるなんてこと、数えるほど叱った私は、言い切ると、大きく息を吸って、また声を張り上げようとした。でもカールが子供を諭すような表情を作るものだから、頭に血が上った私は息をのんだ。
「伯爵だって、貴族だって人間なんだよ。好きな人間と一緒になったらいけないなんて誰が言ったんだ。ビオラも愛する人と一緒になればいいよ」
論点がずれている。真実の愛とかそんな話をしているわけではない。仕事をしろと言っているのだ。ただそれだけしてくれれば、そういう説教じみたことだって受け流せる。
きっとこんなに余裕な面持ちでそんなことを語りかけられるのは、愛人と毎日が充実しているからでしょうね。
「仕事をしろと言っているの!貴方は自分が伯爵だと言うなら、とにかく仕事をして!」
「してるよ。きちんと」
「はあ?なんで私が睡眠時間を減らしていると思ってるの?」
彼は私の肩に手を置いて「少し休んだ方が良い、働きすぎだよ」とそう言った。悪気のない、悪意のない、心配そうな声色。
働きすぎなのは貴方のせい!仕事をやすんだら、次の日二倍仕事をしなければならない。
「あのね、そんな話をしているわけではないの」
もう睡眠不足と過労で足元がふらつきながら立っていると、離れから一人の女性が顔をのぞかせた。ブロンドヘアに、青い瞳をしていた。枝のように体が細く、小柄である。
「ミーナ。家の中に入っていて、何でもないから」
もうカールを追いかける気にもなれずに、二人に背を向けて、屋敷に向けて歩いた。頭にくぎを打ち付けられているかのように酷く痛む。でも残っている仕事がある。