第16話
今回のグラーツィ伯爵家が自作自演しようとしたと思われる誘拐未遂に関することは、マリエル様を交えて話した方がいいだろうと判断し、ライラ様をマリエル様の寝室へと案内した。
あのまま目を開いたままだったら怖すぎると思っていたが、きちんと目を瞑って眠っていた。
おそらくマリエル様も昨晩は一睡もできなかったのだろう。
ライラ様がベッドの横の椅子に腰かけ、マリエル様の武骨な手に白くて細い指を重ねた。
大きな体や手を怖がる様子は微塵もなく、むしろちょっぴり恥じらってさえいる。
「マリエル様」
彼女のその呼びかけに答えるように、マリエル様がゆっくりと瞼を持ち上げた。
視線を手元に持っていき、そこに重ねられている細い手を辿ってライラ様の顔を無言のままじっと眺めている。
マズい。もしやまた気を失うパターンか!? と身構えたけれど、その予想に反しマリエル様は柔らかく微笑んだ。
「ライラ嬢」
「はい、マリエル様……きゃっ!」
それだけではない。驚いたことにマリエル様は体を起こすと、ライラ様を抱き寄せたのだ。
「まだ夢の中か……いや、まさか、俺死んだのか?」
ライラ様の銀髪を撫でながらそんなことを呟くマリエル様が自分の主ではなかったら、今すぐ靴を脱いで頭をパコーンと殴っているところだ。
「マリエル様、幸か不幸かあなたは死んでいませんし、これは夢ではありません」
マリエル様が驚いた顔でこちらを見て、ギギギッと音がしそうなぎこちない動きで首を元に戻して腕の中で真っ赤になっているライラ様を見る。
「……っな!」
あなたいつも夢の中でこんなことをしているんですね。
そう思いながら待機していたメイドに、スカッと目が覚めるような刺激の強い飲み物を持ってくるよう指示した。
「その……すまない、ライラ嬢……夢を見ているのだと勘違いして……いや! それは言い訳にはならないな。申し訳ない」
マリエル様が、ベッドの上で正座した状態で深々と頭を下げる。
「何をおっしゃいます、どうぞお顔をお上げくださいませ」
そう言われて顔を上げたマリエル様は、至近距離でライラ様と目が合って顔をボン! と赤く染めた。
「マリエル様、ひとまず喉を潤して落ち着いてください」
メイドが用意した飲み物を手渡すと、それに口を付けたマリエル様の顔色がスッと元に戻った。
オーダー通り、かなり刺激が強いらしい。
グラスの中に黄色い果肉のような物が浮遊していることから察するに、高濃度のレモン水だろうか。
マリエル様は女性全般に弱いわけではない。
国境警備隊長がハニートラップに簡単に引っかかるようでは話にならない。どんな美人にお色気たっぷりに迫られても普段はまったくなびく気配すらないのだ。
「申し訳ない。私には婚約者がおりますゆえ」
顔色ひとつ変えず生真面目に断ってしまう。
それでも尚、柔らかそうな胸をぐいぐい押し付けられて体当たりされることもあるのだが、それも眉すら動かさずに一蹴してしまう。
「それとも、微塵も興味がないとはっきり言えばわかってもらえるだろうか」
そう言われた女性のほうは、これでは話にならないと呆れて立ち去るか、男色家だったのね! と怒って立ち去るかのどちらかだ。
おまけに体が大きすぎるがゆえに、媚薬などまったく意味をなさない。
ティーカップにほんの数滴入れる――本来ならばそれで効果を発揮するはずの毒や媚薬を我が主に盛る場合は、ブリキのバケツ1杯分飲まさないといけないのではないかと思う。
実際にやってみたことはないが、間違いないだろう。
いろんな意味で難攻不落のマリエル様を簡単に落とせる唯一の存在。それが婚約者であるライラ・グラーツィ伯爵令嬢だ。
「むしろ嬉しいです。だって、わたくしたち来年には結婚して夫婦になるのですから、その前に多少のスキンシップで仲良くなっておいても誰も咎めたりしませんわ」
ライラ様が恥じらいながらもはっきりとそう言うと、マリエル様は胸を押さえ始めた。
「結婚して……夫婦に……」
いかん、またヤバい雰囲気だ。
レモン水を飲むよう促そうと思ったら、マリエル様本人もここで死ぬわけにはいかないと思ったのだろう、グラスを一気に呷った。
「ゴフッ! ゲホッ!」
そしてむせた。
慌てて甲斐甲斐しくマリエル様の背中をさするライラ様は、心配しつつもとても嬉しそうに笑っている。
「マリエル様の背中はとても大きいんですのね! どうしていつも王都にいらした時にかくれんぼなさっていたのですか? お体が大きすぎていつもはみ出していらっしゃいましたけど」
…………。
つまり、柱の陰からこっそりライラ様を窺っていたのがバレバレだったというわけか。
確かにこの巨体が隠れられるはずもないとわかっていたが、こちらとしてはボス猿が婚約者であることにライラ様は気づいていない前提だったため、その姿に気づいたとしても大男が何かコソコソしているとしか思わないだろうと踏んでいたのだ。
「それは……」
マリエル様が言い淀む様子を見て、ライラ様がハッと何かに気づいたように大きく目を開いて両手で口元を覆った。
「まさか……」
ストーカーしていましたと正直に頭を下げるしかないだろう。
そう覚悟した時、ライラ様がポンとかわいらしく手を叩いた。
「かくれんぼの鬼は、わたくしだったのですか!?」
は?
「では、わたくしのほうから駆け寄って行って『みーつけた!』と言えばよかったんですね!?」
「くっ……」
もったいないことをしたと悔しがるライラ様のあまりの可愛らしさに、激しく悶えるマリエル様だ。
ライラ様が敵国の刺客だったら何度殺されているかわからないな――そんなことを思って口元を緩ませながら、メイドに空のグラスを渡し同じものをピッチャーに入れて持ってくるようお願いしたのだった。




