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5話

「やってくれたな」


髪を潔く、最低限まで刈り上げたショートヘアのその女は、使用人のための休憩室にあるカーペットの上で正座する俺に、そう言い放った。

黒スーツ姿でビシッと決めたそのシルエットは、その若さには見合わずとも、執事長という役職にはしっかりと似合っていた。



推定年齢二十代前半と思われる、我が人生において初である直属の上司、九条くじょう まいは続ける。


「初日からお嬢様をお一人にするだけでなく、公衆の面前で恥をかかせるとはいい度胸だ」


「でもでもでもでも!

俺だって被害者だと思うんですけど!」


「バカを言うな。

執事たるもの、その場で起きた間違いはすべて執事自身のものだ。

それが責任をもって、主人に仕えるということだ。

貴様にはその責任に対する意識が微塵も感じられない」


「あのさあ、バカってねぇ……あんたは俺の身分を知ってるんだから、せめてもうちょっとだけでも敬ってくれていいんじゃないの?」


この家で俺の素性を知るものはただ二人。

例のわがままお嬢様の実の父親にあたり、わが父の旧友である神代グループ総帥、神代かみしろ 聡玄そうげんがまず一人。

この男はまず、この本邸には滅多に現れない。


そして、この命令とあらば生まれたてのトイプードルでも絞め殺しそうな忠誠心の持ち主が二人目である。


「私は神代家に仕える身だ。貴様のことを敬う義務など一切存在しない」


「ひっでぇ。そこまで言うかよ」


「それで、本当にあかねお嬢様にお怪我はないんだろうな?」


「ないって言ってたってば。

それとも何? 俺にそのお嬢様の体を傷一つないか隅々までチェックしろっての?」


「無礼者! 貴様は何と言うことを考えるのだ!」


「え、なんか顔赤くない? もしかして、マジになって想像してんの?」


「しているわけないだろ!」


「えぇぇ……ますます顔を赤くしながら言われても…………主人相手に興奮するとか普通にひくわー」


「よし、どうしても東京湾に浮かびたいようだな。今すぐ手配しよう」


「うそうそうそうそ!! よくある! そういうことは割とよくあると思う!!」


「だから、そんなこと考えてなどいない!」


「おけおけおけおけ! わかったから無線で人呼ぼうとするのやめて!」


「まったく……ところでその様子では、お前はまだろくにお嬢様に挨拶もしていないだろう。

今から、失礼して自己紹介してこい。

この時間なら、まだお休みになられていないはずだ」


「はいはい、わかりましたよー。お嬢様のパジャマ姿でも拝みにいきますかあ」


「貴様あああ!」


「やっぱ顔赤いじゃん!」



~~~



俺は一人でこの家の令嬢の部屋の前に立っている。

九条は他の仕事があるとやらで、どこかへ行ってしまった。


ドアをこぶしの手の甲側でノックする。


「はい」


部屋の奥から、少女らしい軽やかな声が返事する。

しかし俺はもう知っている。これは真の姿ではない。

この小娘、今はこんなメルヘンな森にすむリスのような態度を取っている。

しかし、夕方の様子からわかるように、実際は今にも檻から出て人間を食い荒らさんとする猛獣なのだ。


俺は返事を聞いて、自らを名乗りながらドアを開く。


「東雲ですけど……」


「ひゃっ!」

「げっ!」


お嬢様とやらは、その肩書に似合わず、下はパジャマのズボンこそ履いているものの、上は薄いタンクトップ姿で、ベットの上に寝そべりながら、お菓子を片手にスマホをいじっていた。



「きゃあああああ!!」


お嬢様(仮)の悲鳴が家中に響き渡る。


物の数秒で、九条が二、三人のメイドを引き連れて、飛んできた。


「お嬢様、なにご……ばか者ぉおおおお!」


俺はメイドたちによって、廊下に引きずり出される。


お嬢様(詐欺)は我が身を隠さんとして混乱し、ベットの奥に転がり落ちる。


「なんでお嬢様が許可を出される前に部屋に入るのだ!

貴様は一日に何度問題を起こしたら気が済むんだぁあああ!」



~~~



仕切り直して、執事長の監視のもと、お嬢様(圧倒的不信感)と対峙である。


俺はまたまた情けなくも正座だ。


「おい、もろもろのことに対して、何か言うことはないのか」


斜め後ろから、九条が低い声で言う。


「すみませんでした」


今度はきちんと上にもパジャマを着たうえで、柔らかい上着を重ね着し、肩まで布団の中にくるまった、この家の令嬢がより一層俺へのにらみを強める。


その目には軽蔑と憤慨、小さじ一杯の恥じらいが込められていた。


「あんた、クビ」



「ちょっ、それだけは!」


慌てて取り消しを求める俺。なんせ最新型のランボルギーニがかかっている。


さすがにと思ったのか、九条も助け舟を出してくれる。


「お嬢様、このものはクズでカスで身の程を知らない愚か者ですが、どうかひとつ再考を。

まだ今日がお嬢様の専属になって初めての日ですので…………」


一言どころか、半分近く余計な悪口である。


「うぅぅ……じゃあ、クビにしなくてもいいからまいがまた私の専属に戻ってよ!」


「申し訳ありませんが、それも致しかねます。

私はもう、前執事長にかわり、この家の全ての使用人を統率する立場ですので……」


「もうー! なんなのよー! 専属が変わるとは聞いてたけど、こんなしょぼくれたやつは嫌よ!」


「心中お察ししますが、これはもう決まってしまったことでして……今となってはどうにも……」


おい、察すな。


「それはそうと茜お嬢様、そこにあるお菓子の空き箱は……」


「あ……」


「まさか、今日お一人でいる間にご購入なされたのですか?」


ベットの上で布団をぎゅっと握ったその少女は、観念したように無言で小さくうなずく。


「市販のものは召し上がらないよう、これまでに何度もお伝えしていますでしょう。

お嬢様の健康は、神代家が専属の管理栄養士によって、慎重かつ緻密に管理されているのです。

このような勝手な行動をされては我々といたしましても困ります」


「ごめん……なさい…………」


俺は好き勝手にお菓子どころか酒まで口にしていたので、この箱入り娘が少々不憫にも感じられた。


「今後はこのようなことのないようにお願いしますよ。

では、私は他の業務に戻りますので、よければこの男と少しばかり親睦を深めてください。

この者は一年契約の仕事と決まっていますが、とは言え一年です。

今後のためにも少しコミュニケーションを取っておいてください」


九条は、彼女が何か返事をする前に、さっそうと立ち去ってしまった。





二人きりになり、部屋に沈黙ときまずい空気が流れる。


俺は話題を探そうとあたりを見渡し、お菓子の空き箱を見つける。



「それ、好きなのか?」


彼女は、俺の指差す先にある、俗っぽいパッケージを見つめ、静かにうなずく。


俺はため息をついて、今日一日を振り返った。

この子も結局は自分らしく、好きに生きていたかっただけなのだろう。

程度に違いはあるものの、家の期待にそわないという意味では、俺と重なる部分もあるような気がした。


「だったら、これからは俺がたまに買ってきてやるよ。

なんなら、毎日でもいい。

だからもう、今後は行き先を伝えずに、一人で行動するようなことはやめてくれ。

それでどうだ?」


「わかった!」


そのときのパッと笑った表情が、俺が初めて見た、華やかでかわいらしい、年相応の、お嬢様の笑顔だった。


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