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Bエンド

 観音開きの巨大な扉を開くと、氷晶の間の明かりがゆらりと揺れた。天井付近に置かれた蝋燭に照らされた青白い世界。その中央――玉座に見えるのは、薄絹のような青いドレスを着た一人の少女。


「ようこそ」


 氷の玉座に浅くも悠然と腰掛けた少女は、色素の薄い顔の中で唯一鮮やかな朱唇を三日月の形に歪めた。この氷の世界の女王を思わせる堂々たる態度。しかし、マリウスから見れば、作り物めいてぎこちない笑み。


「待っていたわ、救世主」


 他にも三人の仲間が居るのにも関わらず、その薄い青の眼差しは真っ直ぐマリウスに注がれていた。


「俺は、救世主なんかじゃない」


 集団の先頭にいたその救世主――マリウスは、彼女の視線を真っ直ぐに受け止めて、宣言する。


「女の子を助けたかっただけの、無力な一人の男だよ」


 そんな台詞を吐く世界の救世主の眼差しは、どこまでも真摯だった。



❆ ❅ ❆ ❅ ❆


 一年前の春。使節団の一員としてアイセント王国へ向かったマリウスは、凍りつき閉ざされた王国を目にした。そこは白と青の国。すべてが雪と氷の中だった。

 その中でただ一人、色為し生きていた少女。記憶を失ったというその彼女がただただ哀れで、マリウスは彼女を保護した。

 それがまさか、こんなことになるなんて。



❆ ❅ ❆ ❅ ❆



「助ける? 私を? どうやって?」


 右手を胸に当てて、首を傾げる。青いドレスの上に羽織ったローブの、毛皮ファー付きのフードの下の黒髪がさらさらと横に流れて、一部が首元からはみ出した。


「君の後ろにいるそいつを、どうにかできないかと思っていた」


 カティアはゆっくりと背後を振り仰いだ。カティアの座る氷の玉座の硬質な背もたれの上。そこに一つ大きな氷像があった。己の肩を抱くようにして、天から地上へと降り立たんとする天使の像だ。細く尖った輪郭に端正な顔立ちに埋められた双眼は今は閉ざされていた。

 再び視線を戻した薄い青の瞳は、憂いに濡れながらマリウスを映す。


「でも、どうにもできないわ。天使を倒すことはできず、私はすでに天使の傀儡。世界を救いたければ、貴方は私と戦うしかない」

「分かっているさ。……だから」


 しゃん、と音を鳴らして、マリウスは腰の剣を抜く。真っ直ぐに剣を掲げ、その切っ先でカティアを指し示す。


「俺は、君を倒す」


 この上なく真剣な眼差し。褐色の瞳は揺るぎなくも悲痛な決意をもって、魔女となった少女を映し出している。

 マリウスの意志(おもい)に応えて、金白の刀身が熱を帯びる。ゆらり、と陽炎が立ち昇った。

 カティアの口の端が微かに持ち上がった。薄氷のように今にも割れてしまいそうな笑み。世界を凍てつかせる魔女ではなく、マリウスが救いたい少女の姿がそこにあった。


「やってみてごらんなさい。それができるのであれば」


 玉座の魔女は背筋を伸ばしたままスッと立ち上がると、フードをそっと下ろした。青白の光の中で露になる美貌。白雪姫が如く白い肌、赤い唇、黒い髪。

 部屋の光と同じ、アイスブルーの双眼が僅かに細められた。真横に広げた右腕、たおやかな白い指の先に、細氷を散らして細い剣が現れる。

 顔の前まで引き寄せた銀のレイピアの刀身に、愛おしそうに頬擦りした後、かつかつと硝子の靴の踵を鳴らして玉座の壇を下りていく。


 かつん、と皆と舞台を同じくした瞬間。

 青いスレンダーラインのドレスの裾を翻し、レイピアを構えてカティアは、マリウスの懐に一気に飛び込んだ。マリウスは即座に反応し、手の中にあった剣で刺突を防ぐ。

 ちん、と金属と金属のぶつかり合う音。

 それを合図に飛び出した仲間たち。大剣を担いだ剣士ダグザ。炎を得意とする魔導師サヴァス。身軽な動きで相手を翻弄する盗賊の少女ネア。ここまでの過酷な道行きに付き合ってくれた仲間たち。氷魔妖の巣食う迷い路を抜ける間に積み重ねてきた戦いが、四人の間に連携を生んだ。マリウスの攻撃を援護する魔法、大剣、短剣。

 しかし魔女はレイピアと氷の魔法でもって全てをいなす。

 飛び退いたカティアは、着地した途端に炎に包まれた。


「……温い火」


 彼女を囲いこんだ炎の円陣は、カティアが左手を振っただけでたちまち消えていく。業火を掻き消すほどのブリザード。あまりの冷たさに剣を握る手が(かじか)む。


「駄目よ、そんなのじゃ」


 左の繊手をサヴァスに突きつけて吹き飛ばし、マリウスをあしらって、ダグザの大剣をレイピアで受け止める。簡単に折れてしまいそうな細い刀身は、いとも容易く分厚い金属の板を受け止めた。


「いいの? 貴方たち。そんな戦い方で」


 大剣を受け止めるのに精一杯を装うカティアの首もとを掻き切らんと、ネアが短剣を振りかざす。しかし、これもまた凍てつく風に阻まれた。


「そんな攻撃では、私を殺すことはできないわよ?」

「化け物が……」


 カティアの凍てつく眼を見返す黒い瞳は、憎悪の光を宿していた。

 カティアは目を細めた。


「……なにを、今更」


 彼女の内側から押し広げられるように、氷の殻が展開した。殻に押されて、剣士の身体が弾き飛ばされる。少し離れたところにいた盗賊の少女も巻き添えを食らった。

 床に放り出された二人の仲間を見て、マリウスが剣を振り上げる。カティアはそれに応え、激しい剣戟の音が打ち鳴らされた。

 すぐさま体勢を立て直した二人が加勢する。剣戟の合間を縫って炎も襲い掛かる。

 仲間たちの協力によってカティアの隙を突いたマリウスは、一気にカティアに詰め寄り、その胸元に剣を突き立てた。


「あ――」


 剣ごしに伝わる柔らかいものを突き抜ける感触。溜め息とも悲鳴ともつかないか細い声。


「本当に残念だよ」


 突き刺した刃から伝う温かい血の感触に目を伏せながら、マリウスは言葉を絞り出す。


「君が、この世界をこんな風にした元凶だったなんて。間違いであれば良いと思った。徹底的に調べ上げた。それなのに、出てくるのは君がこの国を呪ったことや、天使を喚び出す儀式をしたこと、天使が必ずしも世界を救うばかりではないこと、そんなことばかり……」


 ふとカティアの顔から貼り付いたような笑みが消えた。


「もう少し早く君に出逢えていれば良かったのに……」


 少女の身体がずっしりと重くなり、傾いでいく。

 マリウスの剣の柄を握る手が震える。


「そうすれば、僕の心を奪った女性(ひと)を、手に掛けることにはきっとならなかったのに……」


 小さな吐息は霧散する。

 再び顔を上げたとき、口元が血濡れてしまったカティアは穏やかな表情でマリウスに微笑みかけていた。


「もう、無理よ……」

「そうだね。今更だ」


 マリウスはカティアの胸から剣を引き抜いた。大量の血がボタボタと床の上に落ち、僅かに氷の表面を溶かした。

 ぐらり、と傾いたカティアの身体を前に、マリウスは剣を大きく振りかぶる。


「だから……さようなら」


 その剣の軌跡はカティアのうなじの辺りを捉えていた。肝心の彼女はそれを知りつつも微動だにしない。

 首筋から赤い色が弾ける。

 どう、と音を立てて、氷の魔女は床の上に倒れた。

 赤い血溜まりが、彼女の青いドレスを染めていく。

 

 その光景を表情の抜け落ちた顔で見つめながら、マリウスは、がくり、とその場に膝を着いた。

 からん、と音を立てて、彼が握っていた剣が落ちる。


「マリウス……」


 サヴァスが遠慮がちに声を掛けるが、マリウスは微動だにしない。ダグザが彼の手を引っ張り起こそうとしても振り払い、背後から抱きつこうとしたネアの腕も拒絶した。

 やがて、マリウスはのろのろと腕を動かして這いずり、息絶えたカティアの頬に触れた。


「天使を呼んだのは君だ」


 まだ真っ白だった頬を穢れた指先で汚しながら、掠れ声で物言わぬ少女に語り聞かせる。


「世界をこんな風にしたのも君。そして、世界を終わらせるのも――確かに君だったよ」


 マリウスは身を起こし、胸の前に拳を作った。目をぎゅっと閉じ、何かを誓うような、抑え込むような思い詰めた表情で。


「心に、魂に焼き付いているんだ。僕が殺すべき相手は誰か。もう間違えないように、しっかりと見定めた――つもりだった」


 力なく目蓋を開け、手を下ろす。


「でも、やっぱり違うよ。こんなのは」


 ぬるりと滑る手が、傍らの剣を掴んだ。呆気に取られる仲間たちが止める間もなく、自らの胸を一突き。

 胸の熱さに苦しみつつ、想い人の眠る顔を視界に収めたまま冷ややかな床に身を横たえて――暗転。




 ――But he couldn't accept this ending.

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