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Aエンド

 入口が開いて外からの風が入り、ゆらりと揺れた手元の蝋燭の火が白い陶器の皿を舐めた。ピシッ、と音を立てて、蝋燭を乗せた歪な皿が二つに割れる。

 汗をかいた表面を伝って、蝋が裂け目に流れ落ちていくのを見届けた後、ようやくカティアは侵入者たちの方に目を向けた。


「ようこそ」


 青白く凍てついた氷の間。その中央の氷の玉座に浅くも悠然と腰掛けた少女は、色素の薄い顔の中で唯一鮮やかな朱唇を三日月の形に歪めた。その玉座にふさわしい女王たる貫禄で、客人たちを迎え入れる。


「待っていたわ、救世主」


 白い吐息と共に吐き出された言葉。その先には、四人の武装した人間たちがいた。魔導師の黒いローブを着た優男。鎧姿に顔に向こう傷のある厳つい男。この凍えた玉座の間にはあまりにそぐわない身軽な格好をした少女。

 そして、黒髪に褐色の瞳をした一人の青年。素朴な顔のわりに立派な装備を身に纏い、一際目の引く神聖なる剣を持った彼。


「俺は、救世主なんかじゃない」


 集団の先頭にいたその救世主――マリウスは、真摯な瞳を真っ直ぐにカティアに向けて宣言する。


「女の子を助けたいだけの、ただの一人の男だよ」



❅ ❆ ❅ ❆ ❅



 一年前、春。世界の北に位置する国アイセント王国が突如凍りついたときから、世界は過酷な冬に侵されはじめた。アイセント王国を中心に凍土は拡大。ものの半年で世界の半分は雪と氷の中に閉ざされた。

 世界の中央に位置するリソナ連邦で、偶然にも凍結したばかりのアイセント王国を訪れたマリウスは、凍てついた国で記憶を喪った少女と出逢う。唯一アイセント王国で生き残った彼女は、唐突な世界凍結現象の原因を探る鍵となるだろう、と保護された。

 しかし、交流を重ねた末にマリウスと想い合った彼女こそ、この世界を凍てつかせた元凶――王女カティアだった。


 リソナ連邦から姿を消したカティアを追い、三人の仲間と共にアイセント王国へと向かったマリウス。長い旅路と激しい妨害を乗り越えた末、とうとうカティアのいる玉座の間へと辿り着いた。



 ――のだが。



❅ ❆ ❅ ❆ ❅



 くすくす、と高い笑い声が、鈴の音のように凍れる王の間に響き渡った。


「助ける? 私を? どうやって?」


 右手を胸に当てて、首を傾げる。青いドレスの上に羽織ったローブの、毛皮ファー付きのフードの下の黒髪がさらさらと横に流れて、一部が首元からはみ出した。


「君の後ろにいるそいつを、斬る」


 カティアはゆっくりと背後を振り仰いだ。カティアの座る氷の玉座の硬質な背もたれの上。そこに一つ大きな氷像があった。己の肩を抱くようにして、天から地上へと降り立たんとする天使の像だ。細く尖った輪郭に端正な顔立ちに埋められた双眼は今は閉ざされていた。


「そいつが君を氷の聖女に仕立て上げた。その所為で君は、世界を凍り付かせてしまった。なら、元凶は君じゃない――そいつだ」

「……そうね。そうかもしれない。いいえ、その通りよ」


 言葉と同時に頷きを深め、カティアはそれから氷の眼差しを閉ざして頭を横に振った。

 開いた薄い青の瞳は、憂いに濡れながらマリウスを映す。


「でも、どうにもできないわ。聖女たる私は、すでに天使の傀儡。貴方がこの方に仇なすというならば、私は貴方と戦うしかない」

「解っているさ。……だとしても」


 しゃん、と音を鳴らして、マリウスは腰の剣を抜く。金白の刀身から陽炎が立ち昇る。マリウスはその剣を真っ直ぐに掲げると、その切っ先で天使の氷像を指し示した。


「俺は、奴を倒し、君を助ける」


 この上なく真剣な眼差し。褐色の瞳は揺るぎない決意を映していた。

 にんまり、とカティアの口の端が持ち上がった。涙の気配などそこにはもうない。マリウスが救いたい少女ではなく、世界を凍てつかせる聖女――否、魔女の姿がそこにあった。


「やってみてごらんなさい。きっと不可能と知ることになるから」


 玉座の魔女は背筋を伸ばしたままスッと立ち上がると、フードをそっと下ろした。青白の光の中で露になる美貌。白雪姫が如く白い肌、赤い唇、黒い髪。

 部屋の光と同じ、アイスブルーの双眼が僅かに細められた。真横に広げた右腕、たおやかな白い指の先に、細氷を散らして細い剣が現れる。

 顔の前まで引き寄せた銀のレイピアの刀身に、愛おしそうに頬擦りした後、カティアはかつかつと硝子の靴の踵を鳴らして玉座の壇を下りていく。


 かつん、と皆と舞台を同じくした瞬間。

 青いスレンダーラインのドレスの裾を翻し、レイピアを構えたカティアは、マリウスの懐に一気に飛び込んだ。救世主と呼ばれ、魔の巣食う迷路を抜けてこの場まで来ただけの事はある。マリウスは即座に反応し、手の中にあった剣で刺突を防いだ。

 レイピアの刃がしなる。

 マリウスが押し返すのと同時に飛び退いたカティアは、着地した途端に炎に包まれた。


「……温い火」


 左手を振る。それだけで彼女の周囲にブリザードが巻き起こり、炎はたちまち消えていった。


「駄目よ、そんなのじゃ」


 左の繊手を魔導師に突きつけて吹き飛ばし、マリウスをあしらって、厳つい男の剣士の大剣をレイピアで受け止める。いとも容易く折れてしまいそうな細い刀身は、不思議なことに分厚い金属の板を受け止めた。


「いいの? 貴方たち。そんな戦い方で」


 大剣を受け止めるのに精一杯を装うカティアに、追撃の炎は襲い掛からない。身軽そうな少女も首を掻き切るようなことはせず、離れたところでこちらを警戒しているだけだった。


「彼を出し抜いて、私を殺すことだってできるのよ?」


 マリウスと共に世界を救うよう求められてここまできたはずの剣士は、しかし首を横に振った。


「俺たちはマリウスのためにここまで来た。あいつの意に反することなんて、できるものか」


 カティアの凍てつく眼を見返す黒い瞳は、力強い光を湛えていた。仲間のために命を賭す覚悟がそこに浮かんでいる。

 カティアは目を細めた。


「……そう。甘いわね」


 魔女の内側から押し広げられるように、氷の殻が展開した。殻に押されて、剣士の身体が弾き飛ばされる。少し離れたところにいた盗賊の少女も巻き添えを食らった。

 床に放り出された二人の仲間を見て、マリウスが剣を振り上げる。カティアはそれに応え、激しい剣戟の音が打ち鳴らされた。

 一人だけでは食い止められないと悟ったのか、横入りする魔法、大剣、短剣。しかし氷の聖女はレイピアと氷の魔法でもって全てをいなす。

 が、四人がかりともなれば、さすがに隙も生まれる。三つの攻撃に対処していれば、残る一人の進路を妨害することもできなくなるわけで。


「今だ、行けっ!」


 仲間の誘導によってカティアの剣先を逃れたマリウスは、一気に玉座の方へ駆け上がり、天使の胸元に剣を突き立てようとするが――


「な……っ」


 氷像の胸に突き立てた切っ先から、刀身に細かなひびが入り、砕ける。


「……残念だったわね」


 呆気に取られるマリウスを、剣士を氷の中に埋め込んだカティアが哀れんだ。


「それでは天使は倒せないのよ」


 カティアの声に応えるように、天使像から氷の槍が伸び、マリウスの両肩を突き刺した。さらに伸びていく槍はマリウスの身体を天使像から突き放すと、地面から生えた氷柱に磔にした。

 傷口から流れる血の温度が、僅かに氷の表面を溶かす。しかし、中ほどでその血も凍りついてしまった。

 からん、と音を立てて、彼が握っていた剣が落ちる。立ち昇っていた陽炎が消えていく。


「本当に残念。残念だわ」


 襲い来る熱と刃を振り払いながらカティアは氷柱に近づき、マリウスを見上げた。アイスブルーの瞳が身動ぎする救世主を映すと、諦念と失望の色が浮かんだ。


「貴方は間違いなく、この世界を救える唯一の人間だったのよ? それなのに、見定める敵を誤って、せっかくの機会を無駄にして……」


 ふとカティアの顔から貼り付いたような笑みが消えた。


「貴方の想い(ねつ)だけが、唯一私を溶かすことができたのに……」


 傀儡の少女は、力なく項垂れた。

 細い肩が小さく震える。


「私が消えれば天使も消える。そうして、世界は救われたはずなのに……」


 小さな吐息は霧散する。

 再び顔を上げたとき、カティアはもう世界を滅ぼす魔女の表情を浮かべていた。


「でも、まあ、もう無理ね」

「マリウスを離せぇっ!」


 叫びながら、両手に短剣を持った少女がカティアの背後から飛びかかる。その剣の軌跡はカティアのうなじの辺りを捉えていたが、肝心の彼女は微動だにしない。

 首筋から赤い色が弾ける。

 けれど、それだけ。

 首筋を裂かれたカティアはなおも悠然と立っているし、血が流れたのは切り裂かれた瞬間だけ。氷の床に赤い斑点のような染みがついただけであったし、ぱっくりと開くはずだった傷口は今はもう綺麗になくなっている。


「え……そんな……」


 両手の短剣を地面に落とし、少女は驚愕と戦慄に目を見開きながら、二歩、三歩と後退した。


「ば……化け物っ」

「なにを今更」


 つまらなそうに吐き捨てて、カティアは銀のレイピアを振った。切っ先が少女の小さな胸の下を切り裂いた。赤い筋がぱっと弾けた次の瞬間、傷口から侵食していくように、少女の身体が凍り付きはじめる。


「あ……嫌……っ」


 胸から首へ、腹へ。首から肩へ。腹から脚へ。氷は少女の身体を這っていくように拡がり、ついには恐怖に固まった氷像が一つ完成していた。


「――……」


 驚愕に目を瞠ったマリウスの口から吐息が漏れる。掠れた声で呟いたのは、仲間の名前だろうか。

 だが、カティアはマリウスの絶望など知らぬとばかりに、艶然と像に微笑む。


「さようなら。彼の傍に居ることのできた、恨めしいお嬢さん」


 氷像に近寄ったカティアの指先が、少女の頬を弾く。ちん、と小さな音を立てただけなのに、少女の身体はたちまち砕け散り、砕氷の山へと変わってしまった。

 マリウスとその仲間たちが息を呑む中、カティアは絶対零度の瞳で氷の屑山を見下ろすと、硝子の靴でその山を踏み越えた。


「そんな……君は……」

「天使を呼んだのは私」


 ようやく彼女を畏怖の眼を向けたマリウスの前を通り過ぎ、魔導師の男を凍てつく風で吹き飛ばして、カティアは再び玉座の壇を登った。


「世界をこんな風にしたのも私。そして、世界を終わらせるのも私――になってしまったわ」


 玉座の前で役者のように大きく両腕を広げ、ドレスの裾を翻しながら反転した。身動きの取れない観客たちが目にしたのは、喜悦に満ちた魔女の表情だ。


「もう長くはないと思うけれど、そこで見ているといいわ。貴方が救えなかった世界が滅びる様を」


 それからふと表情を打ち消し、カティアはマリウスだけを見つめた。彼女の視線を受けたマリウスは、視線さえも縛り付けられたかのように、見開いた目で彼女の薄い青の瞳を見つめ返した。


「そして目に、脳に、心に、魂に焼き付けて。貴方が殺すべき相手は誰か、次はもう間違えないように」


 そうしてカティアは踵を返し、玉座に近寄ると、その座面に足をかけて上った。天使の氷像にそっと触れて、命を吹き込むようにそっと囁く。


「さあ、それでは、終わりにしましょうか」


 氷の天使が目を開いた。金の眼が世界を見据える。

 ゆらり、と玉座の手すりに乗った、蝋燭が揺れて燃え尽きる。同時に部屋の明かりが全て落とされ――暗転。




 ――And, the world has frozen.

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