第17話 ずっとあいつの隣で
「兄貴、金貸してくれ」
「……何があった、女にでもせがまれたか?」
「うっ、鋭いな……」
俺の兄貴は、やたらと勘が良い。
そして無駄に顔が良い。ムカつく奴だ。
……でも何だかんだ、必ず俺を助けてくれる。だから兄貴に頼った。
「まぁいい。夕、いくら必要なんだ?」
「……3万」
「ほらよ、後でちゃんと返せよ」
「えらくすんなりだな、いいのか?」
「何かあったんだろ、その代わり利子を要求するからな」
「ったく、高校生にする仕打ちじゃねぇだろ。まぁとにかくマジでありがと!!」
「夕。遥ちゃんの事、ちゃんと見てやれよ」
こ、こいつ……本当に妖怪か!?
……それに、言われなくても分かってるさ。
高坂には何かあったんだ。きっと家の事情とかじゃない何かが。
俺は、俺に余計なマネをしてきた連中には、しっかりとお仕置という名の制裁を与えてやる事にしている。
そして高坂は俺の大事な──ん?俺達ってどういう関係なんだ?
……いいか、別に名前のある関係じゃなくても。
大事な存在なのに変わりは無いんだ。
だから、あいつを追い込む何かがあるなら、俺は躊躇しない。
──必ず突き止めてやる。
※
「ほら、ちゃんと滝川から借りて来たわよ……」
「やるじゃ~ん!これからも仲良くしようねぇ♡」
「……それじゃ」
「バイバーイ♡」
私は滝川からお金を受け取った後、すぐに公園へ戻り、茶髪にそれを渡した。
家へ帰る短い道中、2回程道路の陰で胃液を吐き出してしまった。
今日程自分を嫌いになった日は無い。
今日程自分の弱さを憎んだ日は無い。
──そして今日程滝川に迷惑を掛けた日は無い。
滝川を助ける為に、滝川に迷惑を掛けて……
こんな私、死ねばいい──
そして、それから2学期末を迎えるまで、私の地獄は続いた。
上履きは勿論、授業に必要な物は一通り隠され、壊された。
体の見えない位置に残った痣も、数えるのもバカらしくなる程だ。
姑息に、陰湿に、行われるそれらは、滝川にはバレない程度に遂行される。
そして、私の体や心は徐々に磨り減っていった。
それでも私はたった一人、滝川の為になら頑張る事が出来た。
それでもやはり、冬休みが終わって3学期初の登校は、家から出るのに随分掛かってしまった。
……やっぱり私は弱い女だ。
滝川の為に耐えると決めたのに、足が家から一向に出ようとしない。
こんな時、いつも私は滝川の笑顔を思い浮かべる事で、自分を奮い立たせている。
──高坂、ほら早く行こうぜ!
あの屈託の無い笑顔は、いつも私に勇気をくれる。
さぁ行こう、大好きな人がいつもの場所で待ってる。
「……あれ、居ない……?」
私はいつもより数分遅く、いつもの公園に着いた筈だ。
……滝川は遅刻したことが無かったし、何かあったなら連絡がある筈だ。
「先に行ってるのかしら……?」
ずっと待ってると、私まで遅刻してしまいそうだったので、仕方無く一人で学校へ向かった。
滝川との登下校が、唯一私がイジメの事を考えずに済む、心安らぐ時間なのに……
「滝川のバカ……」
それに、せっかく冬休みに内職を頑張って、3万円用意出来たから、返そうと思ったのに……
とぼとぼと、足取りは重かったがそれでもやがて教室へと着いてしまう。
「……ふぅ……」
短い溜め息をつき、ドアを開いた。
友達のいない私に、おはようと声を掛けてくる人は居ない。
それに最近は皆、私に関わるまいと、徹底して距離を取られてたからね。
しかし、今日は少し違った。
皆が私の方をチラチラと見てくるのだ。
決して目線を合わせない様に、空気を読んで、あるいは恐れて、壁を作っていた筈なのに……
私が自分の席へと向かうと、その途中茶髪のグループと視線がかち合ったけど……
何……?苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「わりぃ高坂、先に来てたんだ!」
「滝川……」
横の席にはいつもの、目付きの悪い笑顔を向ける滝川が居た。
いつもなら、文句の一つでも言ってやる所だ。
だけど、今日は嫌な予感がしたせいで、無言で滝川を連れて教室を出た。
「ちょ、高坂!?引っ張るなって!」
「……」
クラス全員が私達を見てきたが、関係無い。
私の頭は、たった一つの思考でいっぱいだからだ。
──一体何をやったの……滝川…….!?
※
俺達の教室から少し離れた空き教室。
「お願い、答えて!滝川!!」
「い、痛いって高坂」
ポンポンと俺の胸を叩く高坂。
やれやれ……やっぱ気付いちまうか。
そう、俺は高坂がイジメられていた事に、冬休みになってようやく知ったのだ。
クラスの奴から無理矢理聞き出した時は失望したよ……自分自身にな。
俺がお仕置きを遂行している所を、まさか撮られていたとは……
高坂は俺を守る為にイジメられてしまっていた。
でもそこまで分かれば後は簡単だ。
俺が高坂の代わりになればいい。
高坂をイジメていたグループに、直接今日の朝お礼参りに行き、こう条件を付けさせた。
──高坂に二度と関わるな。その代わり俺の事は好きにしろ、と。
但しもし次、高坂に手を出したら容赦しない。
一人残らずこの学校から消してやる。
そんな風に脅したら、奴らびびりながらも頷いてくれたよ。これから仲良く出来そうだ。
第一、あいつらのリーダー格の男には、以前きっちりお仕置きをしているからな。
これくらい聞いて貰わなければ。
さて、後の問題は高坂のケアだが──
「ねぇ、なんで何も言わないの!?」
「別に何も無いからだって、早く授業に戻ろうぜ」
「う、嘘よ……!あの空気……何も無い訳が……!!」
「嫌な空気だったか?」
「そ、それは──」
高坂に奇異の目は向けられていたが、以前とは違い、危害を加える様な感覚は減った……と思う。
だがまぁそうだな。
ここは正直に言った方が、高坂の為になるかも知れない。
真面目だからなぁこいつ。
「……高坂、もう大丈夫だって。その……今まで悪かった。気付いてやれず……」
「……滝川、気付いて……!?」
「つい最近だけどな……」
「……貴方って人は……!」
高坂はいつものクールで綺麗に整った顔を、ぐしゃぐしゃにして泣き出してしまった。
「ごめんな、高坂……」
「……ちがっ……私が、弱いっ……から……!」
「お前は十分強い女の子だよ。優しくて可愛い、俺の大事な人だよ」
「……うぅ……あぁっ……滝川……あり、がとぅ……!!」
「お礼を言うのは俺の方だよ。俺の為に、ありがとうな」
高坂はしばらくの間泣き続けた。
俺達が教室に戻るのが二時間目からになってしまったけど、高坂のスッキリした顔を見れたから良しとしよう。
──このまま高坂の身に、何事も無く1年生を終えられるよう願うばかりだ。
※
滝川は私を救ってくれた。
私はあの茶髪の女の連中に絡まれる事も無くなり、すっかり平穏を取り戻していた。
だけど……本来助ける筈だった人に救われて……本当に自分が嫌になる。
あれから一月が過ぎ、2月も半ば──そう、今日はバレンタインデー。
今年こそ、私もこのイベントに一枚噛んでみる。
……毎年滝川にあげたいんだけど、中々勇気が出なくて……
だけど、今年こそあげなくちゃ。……いっぱい借りが出来ちゃったから、感謝を伝えたい。
でもね、私からチョコを貰えるか、毎年ソワソワしている滝川を見るのは好きよ。だって可愛いもの。
放課後になり、昨日徹夜して作った、手作りのガトーショコラが入った紙袋を片手に、彼を呼び出した空き教室へと向かう。
……もし滝川が勘違いして、本命チョコだと思って、告白とかして来たらどうしようかしら。
その時はその時か。どうせ答えは決まってるもの。
そうね……少し焦らした後、必ず幸せにしてねと伝えてあげようかしらね!
そんな幸福な未来を想像して、自分のクラスを通り過ぎようとした時だ。
8人程の男女のグループ──茶髪の女を中心とした、あいつらが話し込んでいた。
『あいつ、そろそろ本当にやっちゃわない!?』
『あぁそうだな。どれだけ痛め付けても、高坂の為ならって全然へこたれねーし』
『じゃじゃ~ん、実はバックアップ取ってたんだぁ♡』
『さすが愛莉!これであいつを学校から消せるね!!』
『あぁ?なに温い事言ってんだ。あいつには本気で消えて貰わないとな……!!』
『ボコボコにされてた癖によく言うよ~』
『そ、それはあいつが不意打ちで……!!』
『ま、本当に殺すなら自殺に見せ掛けなきゃいけないよねぇ……何か案ある人ーー!?』
……私は、何をやってたのだろうか。
イジメが無くなったんじゃない、ただ滝川が私の身代わりになっただけじゃない。
滝川が勘違いして、私に告白?
──するわけ無いでしょ!!
あいつは今も、私のせいでずっと苦しんでいるのに……!!
私はずっと守られてたんだ。
……決して私に悟らせないように……
……もう、いいんじゃ無いかしら。
あんな奴ら、生きてる価値なんて無いよね?
何を血迷ったか、滝川を殺すだなんて言い出しているし。
これ以上滝川を苦しめるつもりなら、全部私が綺麗さっぱり消してやる……!
証拠は残さない、証人足る私すらも消す事で、滝川に繋がる全てを断ち切ろう。
……でもせめて、このチョコだけは渡したい。
とびきり苦く、食べたら忘れられない味にしちゃった。
チョコを見る度に私を思い出して欲しいから。
私は、滝川が待つ空き教室へと向かった──
※
空き教室のドアが開かれ、高坂が現れたので、俺はフランクを装い声を掛けた。
「高坂、遅かっ──」
30分は待ったか?
高坂が帰りしなに、ここで待ってて欲しいって言うからここに居たのに、えらく遅かったな……
ま、まぁ今年こそ高坂からチョコを貰えるのかも知れない!!と、ソワソワしてたから30分なんてあっという間だったけど。
高坂は、何故か俺の顔を見るなり、小走りで近付いて来た。
「え、ちょ、高坂さん?どうして俺の体を触って……ひひ、ふへへ、こそばいって──痛っ……!!」
始めは撫でる様に俺の腕や腹を触っていたのだが、ほんの少し力を入れられた瞬間、体に激痛が走った。
「……やっぱり……」
「高坂……?」
「……っ……」
「ちょ、無言で服を脱がそうとするなっ!お、おい──」
俺は物凄い剣幕の高坂に、カッターシャツをインナーシャツごと捲られてしまった。
……こいつ、何で気付いたんだ?
「……」
「……高坂、これは気にするな今朝腹から階段落ちちゃって」
「……」
「痛ぇ!!だから無言で今度は背中をつつくな!!」
俺の全身は今、服で隠れてる部分はほぼ全て、物凄い痣が出来てるんだぞ!?
って、そうだよ、こいつ何で気付いたんだよ。
あいつら……まさか高坂に手を出したのか……!?
俺が訝しんでいると、高坂は手に持っていた紙袋を手渡してくれた。
「……滝川、これ……受け取って」
「え?あ、あぁ……チョコ……だよな?」
「……うん。頑張って食べてね」
「頑張って?いやぁにしてもようやく高坂からチョコが!!」
高坂は暗い顔をしていたが、チョコを貰えた事は素直に嬉しい。
ふははは、これぞ青春!!!
……こうやって無理にでもテンションを上げないと、あまりにも空気が重い……
「な、なぁ高坂、本当にありがと。だからさ……一緒に──」
「……滝川、今日は一人で帰って。絶対すぐ帰るのよ。チョコをあげたんだから、約束よ」
「……あ、あぁ……」
高坂の奴、一体何を考えている……?
……こいつの考えている事は本当に分からない……
ただ、表情から分かる事は、こいつは今追い込まれている。
一人にする訳には──
「じゃあね……」
「お、おい!高坂!?」
高坂はそのまま教室を飛び出して行ってしまった。
慌てて追い掛けたが、あいつ運動神経抜群すぎだろ!!もう何処に行ったか分からん!!
「くそっ……!!」
結局、思い付くありとあらゆる場所を、日付が越えるギリギリまで探したが、その日は高坂を見付け出す事は出来なかった。
当然、連絡も付かず次の日を迎えた。
そして朝、衝撃的なニュースが茶の間に流れ出す。
『速報です。○□高校の生徒8名が死亡する事件が発生しました。事件の異常性を鑑みて、被害者の実名を公表することも発表されました──』
「は?」
流れ出した実名、それはあの茶髪の女が中心のグループ全員の名前だった。
俺は全身が総毛立つのを感じた。
何か、すこぶる嫌な予感がする。
俺は朝食を中断し、乱れた制服のまま、カバンも持たずに家を飛び出した。
「……ゼェッ……ハァッ……!!!」
昨日の疲労で重い足を無理矢理動かし、喉が割けそうな程に息を切らして、いつもの公園へ向かった。
確信は無い。
だけど予感があったんだ。
そこに高坂が居ると。
「……ハァ……ハァ……高坂……」
この公園は人気が無い為、滅多に人が来ない。
さらに大きな遊具ばかりで死角も多い。
そうだ、俺と高坂はいつもあそこのベンチで──
「……高……坂……?」
そこに高坂は居た。
口から大量の血を流して。
隣の大きな樹に寄り添いながら。
当然、昨日はここも隅々まで探した。
俺の行動を読んで、日付が越えてからここに来たのか!?
……高坂ならあり得る。
そして、高坂のすぐ横には、バキバキになったスマホが8台。
8……まさか……!?
「な、なぁ高坂……こんな所で寝てたら風邪引く──」
……本当は、肩に触れるまでも無く分かっていた。
ベンチに血溜まりが出来る程に血を流して、朝を迎えた人間がどうなっているかなんて。
「……高坂、お願いだ……返事をしてくれ……」
冷たくなった高坂の体は、どれだけ揺さぶっても反応を示さない。
ふと、壊れたスマホの下に封筒があることに気付いた。
中身を確認すると、高坂が俺から借りた3万円が入っている。
俺はずっとこれを受け取っていなかった。
高坂の家が凄く大変な事は知っていたし、せめて受け取るなら、高校を卒業して自由にお金を稼げる様になってからでいいと思っていた。
そして封筒の中には、お金の他にもう一枚、小さな紙が。
そこには綺麗な字でただ一言、"ごめんなさい"と書かれている。
「……高坂……!!高坂っ……!!!」
力いっぱい高坂を抱き締めた。
謝るのは俺の方だろ……!!
ずっと高坂が苦しんでたことに気付かずに、助けてやれなかった……!
ようやく助けられたと思ったら、お前は……!!
「……あぁぁああーーーーー!!!」
慟哭は空へと消え、抱き締めた高坂の体はいつまでも動かない。──いつまでも、冷たい。
※
俺は今、高坂の葬儀に出席している。
親族だけでやるという事だったが、高坂の母親が、俺にだけはどうしても来て欲しいと言ってくれた為、納骨まで付き合っている。
あの後、警察から発表があり、死んだ8人は集団自殺と断定された。
屋上からの飛び降り自殺。
恐らくだが、高坂がやったんだ。俺を守る為に。
事件はあまりにも不自然な点が多く、疑いの眼差しは俺達のクラス全員に向けられたが、未成年である事と、証拠不十分の為に追及は無かった。
高坂も舌を噛みきっている事から自殺とされ、彼女が唯一残してしまった、俺達と死んだ8人の繋がりを証明してしまう8台のスマホは、俺が兄貴に頼んで処理をした。
このあまりにも衝撃的な事件は、一時世間の注目を浴び、俺達のクラスは3学期を終える事なく、バラバラに再編成される事となった。
俺を困らせていた環境は、文字通り綺麗さっぱり消えて無くなったのだ。
これが……高坂が望んだ結末だったのだろう。
でもな、高坂……お前が居なきゃこんな未来があっても何も嬉しく無いんだよ……!!
俺はこの先ずっとお前と一緒に……!!
あぁ、そうか……あいつが居なくなって初めて気付いた。
俺はこの先──大人になってもずっと高坂と一緒に居たかったんだ。
ずっとあいつの隣で、あいつの笑顔が見たかった。
俺はそれ程までに、あいつが好きだったんだ……
葬儀が終わり、家に帰っても何もやる気が起きず、ただ呆然と天井を見上げていた。
ふと、思い出す。
高坂からの、バレンタインデーに貰ったチョコレート。
俺は自室のテーブルの上に、大事に置いていたガトーショコラが入った紙袋を開けた。
綺麗に粉砂糖が振られ、見ただけで美味しいのが分かる。
入っていたのは2カットで、一つを自分に。
そしてもう一つを、すぐ隣に置いた。
フォークを突き刺して、一口。
「……苦い……」
それは涙が出る程痛烈に俺の体に、記憶に、染み込んでいく。
俺はこの味を忘れる事は決して無いだろう──
お読み下さりありがとうございます!
長くなってしまいましたが、次回からは舞台を戻してのお届けとなります。
いよいよ最終章後半戦の幕開けですので、ぜひよろしくお願い致します!




