第10話 追憶⑩
約1000人に及ぶ大部隊が聖国へ突入しようとした時、セフィラが待ったを掛けた。
「あ、そうだ。マーネ、ルークあんた達はこの私が直接聖女の元へ送ってやるよ」
『え?』
あたしとマーネの声が重なる。
待ってそんな事聞いて無かったのに──
さすが大精霊と言うべきか、何の詠唱やアクションも無く、気が付くと目の前にリースの姿が……
「え?」
『ひ、久しぶり……』
またしても2人の声が重なった。
あたし達3人の時間は少しの間止まっていたと思う。
だってあまりにもいきなりすぎるもん!
先に停止状態から回復したのはリースだった。
「ふ、2人共……どうして……!?」
リースはあまりの衝撃に口をパクパクしている。
あたしもようやく頭が落ち着き出したので、冷静に状況を確認する。
えーっと、あたし達はリースを助ける為と、"聖職者達"を潰す為にここまで来た。
そして、今目の前には助ける対象のリースがいる。
……え、じゃあ最初からセフィラに言ってさっさと連れ去れば良かったじゃん!?
ま、まぁいいや……今とりあえずリースに言うことは──
「……先に前隠しなヨ……」
「ふぇっ?」
リースは今、産まれたままの姿である。
衝撃的な再会のせいで、自分の裸体を見られている事を忘れているみたいだ。
あたしに指摘され、ようやく自分の姿に気付いたのか、リースは慌てて顔を赤く──
──しなかった。
「……あはは……嫌なとこ見られちゃいましたね」
『……!!』
あたしとマーネは無意識に拳を握り込んでいた。
まるで、体を見られる事が当たり前かの様な反応を見せるリース。
あたし達が来なければ、この後何をされるのか想像するのは容易だった。
何も言わないあたし達にリースが口を開く。
「……2人共、何をしに来たんですか?もしかして助けに来たんですか?」
マーネがリースの瞳だけを見つめて返事をする。
「そうだ。一緒に──」
「帰って下さい」
一言。
僅かその一言に、とてつもなく大きな壁を感じた。
でも、あたしのマーネはそんなことじゃ怯まない。
「待たせて悪かった。一緒に帰ろうリース」
「嫌です。もう私の事は忘れて家族皆で幸せに生きて下さい」
今までリースからこんなにも冷たい感覚を感じた事は無かった。
彼女は完全に心を閉ざしている。
「俺達の家族にはお前も含まれているんだ。いいから行くぞ!」
マーネがリースの肩に自分の上着を掛けようとする。
しかし、リースはそれを払いのけた。
「さ、触らないで下さい……!」
マーネの上着が宙を舞う。
それが地面に落ちると同時にリースがあたし達を睨む。
「私の体はもう汚れているんです……!こんな私を他の誰かに……ましてやマーネ兄さんにだけは触れて欲しくないんです!!」
涙を滲ませ、強く拒絶される。
「私、今日まで色んな男の人に抱かれてきました。きっとお腹には誰かの子がいるでしょう。こんな汚い私を、大好きな人に触って欲しくない!!」
あたしの頬には気付いたら涙の筋が出来ていた。
リースはずっと耐えていたんだ。
今さら呑気に現れたあたし達に、強い憎しみを抱いて当然なのに……
「マーネ兄さん達が私を想うならもうほっといて下さい!こんな私に触れてマーネ兄さんを汚したくない……こんな私を……もう見ないで下さい……!」
彼女はマーネやあたしに、恨み言は一つも言わなかった。
泣き崩れてしまったリースに、マーネは拾い直した上着を再び掛けた。
リースに寄り添うようにマーネは肩を抱く。
「俺が不甲斐ないばかりにすまなかった。あの時、俺がもっと強ければお前に辛い思いをさせずに済んだのに……」
「そう思うなら帰って下さい!今さら皆の所に戻っても……もう辛いだけですから……」
あたしはどうすればいいのか分からなかった。
リースの受けた苦しみは決して消える事は無いだろう。
ならここに置いて、聖女として色んな人を助ける方がまだ心が楽なのではないか。
そう思い始めてしまっていたんだ。
でもマーネはあたしと違って、ちゃんと答えを出していた。
「リース、お前は汚れてなんかない。出会った時から変わらない、俺の大切な家族だよ」
「汚れてない……?多くの醜い男の人にいいように弄ばれたこの体が……?てきとうな事言わないでっ……!!」
マーネを強く睨み続けるリース。
そんな彼女に、それでも優しく声を掛ける。
「テキトー言ってんじゃねぇよ。今の話を聞いてもお前を見る目は何も変わらない」
「……止めて下さい……その優しさが辛いんです……」
「止めない。リースが一緒に帰ると言うまで俺はお前に触れ続けてやる」
その行為自体がリースの心を癒すと信じているんだろう。
でもあたしは辛そうなリースをこれ以上見ていられなかった。
もしも、自分が同じ目に遭った時、あたしも自分に触れて欲しくないと思うだろうから……
リースは段々と涙を溢れ出し、あたし達の本心を探ろうとし出した。
「……どうして私なんかに構うんですか……マーネ兄さんにはルーク姉さんがいるじゃないですか。ルーク姉さんも、私が居ない方が嬉しいでしょう?」
あたしには、まだリースをどうしてあげるべきか明確な答えを持っていない。
それでもこれだけは言える。
「そんな訳ない!!あたしにとってもリースは大事な家族だもん!!」
「私もマーネ兄さんが大好きだったんです。大好きな人を取った貴女を、私が家族だと思っているとでも?」
まるで挑発するかのような物言いにカチン、と来た。
あたし知ってるもん。リースがあたしどう思ってくれてたか。
「ふーんそんな風に言うんだ。じゃあどう思ってるか言ってごらんよ」
「決まってるでしょ?邪魔な人だったんですよ、ずっと!急に私達の中に入って来て……ずっと煩わしかった!ここに来てやっと貴女の顔をみずに済んで清々したくらいです!!」
一息で言い終えたリースは「ハァ……ハァ……」と息を切らしている。
今の言葉が100%嘘だとは言わない。
リースにとって、マーネを取ったあたしが邪魔だったのは本心だろうから。
でもネ、リースのもっと心の奥の気持ちをあたし知ってる。見せてあげる。
「嘘だネ」
「……なっ……これが私の本心です!分かったらさっさと帰って下さい!!」
「今のは心からの言葉じゃないでしょ。リースの本心はここにあるもん」
あたしはくるっと後ろを振り返る。
あたしが着ているのは防護服。
背中には、誕生日に孤児院のみんなが書いてくれた寄せ書きがあり、当然その中にはリースのもある。
そこには短く──
「"いつも美味しい料理をありがとうございます。これからもマーネ兄さんを助けてあげて下さい"」
「……背中にあるのに……たまたま覚えてたんですか」
首だけリースに振り向くと、少しだけ驚いたような表情をしていた。
でも残念。違うヨ。
「そんな訳ないじゃん。全員のを覚えてるヨ。あたしが何回これを見たか──どれだけ嬉しかったか」
「ははっ……だから何なんですか……!ただその時思った事をてきとうに──」
「違うでしょ」
あたしは断言する。
だって──
「リースがマーネをあたしに任せてくれるって事はさ、あたしをマーネの家族だって認めてくれたって事でしょ」
「……!」
「あんたの大好きな人を任せるんだもん、それだけであたしをどう思ってくれてるかなんて言わなくても分かるヨ」
「どうして……!どうして……私を諦めてくれないんですか……!」
あたしもここまで伝えてようやく気持ちが固まった。
泣き崩れているリースをほっとく訳にはいかない。
絶対、諦めてなんてあげない。
マーネは最初からそのつもりだからだろう、リースの肩を持ったまま立ち上がらせる。
「リース、一緒に帰ろう?俺に出来る事なら何だってしてやる。お前は俺達に必要な人間だ」
「……なら証拠を見せて下さい」
「……証拠……?」
リースは俯いたままマーネから一歩距離を取った。
これ以上を踏み込めるものなら踏み込んでみろ、そう言わんばかりに。
「私を汚れた女だって見てない証拠……私を必要だと言う証拠を……」
それを聞いたマーネは、少しあたしの方を見た。
ハァ……リースの為だからネ。
それだけは諦めてあげるヨ。
「リース」
彼女の名前を呼ぶと同時に、マーネはリースが空けた距離を何の躊躇いも無く詰める。
そしてリースの顎を優しく持ち上げて、2人は唇を重ね合わせた。
「……っ……」
「……証拠、これなら満足か?」
ごく僅かな時間だったケド、リースの心を晴らすには充分だっただろう。
「……こんな私にこんな事をして……これじゃ私、ルーク姉さんの言う事を断れなくなっちゃいました……」
「ヒヒ、ファーストキスを諦めてあげたんだから当然でしょ!」
リースは大粒の涙を流しながら、ようやく笑顔を見せてくれた。
ったく、どんだけマーネの事が好きなんだか。
あたしだって負けないケド!!
キスを終え、赤面しているマーネはリースの手を取った。
「リース、最後にお前の口からどうしたいか教えてくれ」
「私は……」
リースは少し下を向いたが、すぐに顔を上げた。
「帰りたい……私の大事な家族の元へ……大好きな人と一緒に……!!」
「あぁ、帰ろう。本当に遅くなって悪かった」
「本当ですよ……!マーネ兄さんの体で償って下さいね」
「お、お前そんな事言うタイプじゃなかったのに!?」
「ちょっと!そっちの初めてはさすがにあたしだから!!」
「お2人とは経験値が違いますから、マーネ兄さんを骨抜きにしてあげます」
くそっ……このままじゃ本当に取られかねない……!?
こんな、孤児院では当たり前だったやり取りが凄く心地いい。
もう帰って来ないと思っていた光景がここにあるから。
感傷に浸っていると、あたしのとてもいい聴力だから聞き取れた小さい声で、リースが呟く。
「ただいま。ルーク姉さん、マーネ兄さん──」
あたしは、心の中でおかえりと返す。
──その時だった。同時に2つの出来事が起こった。
まずあたし達の元に乾いた柏手の音が聞こえた。
「困りますねぇ、聖女様を勝手にされては」
更に、この場に砲撃が飛んできた。
「リース……マーネ……?」
気が付くとあたしの目の前から部屋の風景は消えていた。
急に現れたあのアロハシャツの男も、リースとマーネもそこには居ない。
あたしの眼下に広がるのは、大聖堂で戦う"聖職者達"と魔族。
部屋のほぼ全てが先程の砲撃で吹き飛び、あたし一人だけが残った。
「嘘……でしょ……?」
たった一瞬で2人が消えた、いや吹きとんだ。
お願い、返事をして。
ただその思いで喉が裂ける程に2人の名前を叫んだ。
「リースーーーー!!!マーネーーーーー!!!」
あたしの絶叫は空へと消え、この声に反応が返って来る事はなかった。
お読み下さりありがとうございます!
本日更新が遅くなりすみません…
明日もよろしくお願いします!




