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『お化けバスターズ! あらゆる霊障、掃除機で吸い取ります!』


 今すぐにでもコロンビア・ピクチャーズに訴えられそうなその店先の看板は、千代田線根津駅を降りて、古い町並みをしばらく歩いたところにあった。


 不忍(しのばず)通りから民家と商店が肩を寄せ合う小道に入って、さらに何度も何度も曲がり角を曲がった先の奥地だとしても、店の周りには気味が悪くなるくらいに人気がなかった。絶好の散歩道として知られ、多くの観光客が我が物顔で道を往く谷根千(やねせん)エリアだというのに誰も居ない。夕焼け空とカレーの匂いさえ加えれば、昭和情緒にあふれた素敵な小道と化すのに。それなのに人っ子一人居ない。


 その原因はきっと、こんなうさんくさい看板を堂々と掲げているこの店のせいなのだろう、と少年は思うことにした。どこに根っこがあるのか。それがわからないほど繁茂したツタで覆われていて、誰がどう見たって廃墟そのものな店構えなのにである。その上、あんな権利リテラシーのかけらもない看板を掲げているのだから、こんこんとトラブルを吐き出し続ける泉と見なされても不思議ではない。触らぬ神に祟りなし。地域住民もこの区画に足を踏み入れてしまった観光客も、かのことわざを胸に踵を返すはず。かくして自然と人気はなくなって、あとはこの不気味なしじまが残るだけとなったわけだ。


 となれば、少年は変わり者であった。なにせ、誰も近寄ろうともしない件の店に、自ら歩み寄っていったのだから。


 少年には悩みがあった。親兄弟友人に話せず、その上真っ当な相談所に持ち込めないようなとびきりの悩み。だからこそ、こんないかにも信用ならない場所に足を運んだのだ。


 もちろん、彼とて葛藤はあった。本当にここが目的の場所であるのか、そもそも本当にこんなところを頼ってもいいのか。決心がちっともつかなくて、何度も何度も、このうさんくさい店の前を行ったり来たりを四、五回ほど繰り返していた。


「……だめだ。尻込みしてるだけじゃ」


 六度目の往路。ツタだらけの店前に差し掛かった頃合い、少年は独言とともにようやく決意を固めた。ずぼらなグリーンカーテンの間から、わずかに顔をのぞかせる合板製のドアへとおずおず。おっかなびっくりな足取りで近付いて、劣化で黄色くなったドアベルをためらいがちに押し込んだ。


 黄ばんだボタンとは対照的に、とても澄んだ音色が響く。けれども待てども待てども、ドアの向こう側から人の気配は伝わらず。留守か? 休業中か? 少年はもう一度ベルを鳴らす。


 ごとり。ドアの奥から物音が聞こえた。人の居る気配。足音。徐々に徐々にと少年へと向かってくる。それを聞いて少年の緊張感が高まる。さあ。こうなった以上、もう後には引けない。悩みの解決を後回しにできない。今日、ここで問題を片付けるのだ。


 がちゃり。解錠の音。次いでノブが回って、耳障りな軋みを上げながらドアが開いて――


 そして絶句。少年はあんぐり。なぜなら現れた人間があんまりな姿であったから。


 ドアを開けたのは男であった。鳥の巣のようなもさもさ頭が個性的。無精故の髪型かもしれないが、なんとかおしゃれの範疇に入るだろう。けだるげに下がった眉尻と顔の造形がいいおかげで、カビのように根を張る無精ヒゲもサマになっていた。


 だが問題はその下、体にあった。具体的に言えば男の服装。趣味なのか、それとも別の理由があるのか。それは定かではないけれど、本当にどういうわけか。


 男はいわゆるチャイナドレスを身にまとっていた。赤色で女物。安いナイロンの光沢でテカテカとしていて、しかも太ももの中頃までしかないような、とても丈の短いやつ。おかげで、目に優しくない毛むくじゃらな太ももが露わになっている。強烈極まりない。


 あまりの男の姿に少年の悩みも緊張も理性も、小惑星リュウグウあたりにまで吹っ飛んだ。はやぶさ二号ともこんにちは。そのせいで少年は、呼び鈴で家人を呼び出したのにもかかわらず、どんな用事で訪れたのかを伝えられなくなってしまった。男の方も奇っ怪な姿を見られていることの羞恥か、あるいは気まずさか。口をへの字に曲げたまま、むっつりと押し黙ったまま。


「……」

「……」


 二人の間に気まずい沈黙が訪れる。このままではいけない、何か言わなければ。少年は大慌てでかけるべき言葉を探した。

 チャイナドレス。中国。ならこれだ。


「に、ニーハオ?」

「……ニーハオ」

「ええっと……その。とてもよくお似合いです。はい」

「待て。違うんだ。少年。これには深いわけがあるんだ」

「いえいえ。ご謙遜なさらず。本当にぴったりなので」

「本当に違うんだ。違うんだって。頼むからよく聞いてくれ」


 他人のパーソナリティには最大限の敬意を表すべし。少年の言葉は、そう教育された世代が故の模範解答。しかし男からすればとてもではないが、花丸を与えるべき代物ではなかったようだ。違う。俺にそんな趣味はない。違うんだ。と、ひとしきり否定した後、男は矢継ぎ早に今の格好に至るまでを語り出した。


 洗濯機が壊れてしまい着るものがなくなってしまったとか、最後に残ったお召し物がビンゴ大会で当ててしまったチャイナドレスだとか。とにかく男は、少年の誤解を解くべくマシンガントーク。少年が口を挟む余地すら残さず弁明に努めた。


 少年はむかっ腹が立った。はやぶさよりも一足早く戻ってきた彼の理性は、帰還早々鋭く感じとったのだ。男はさきほどから、自分の名誉のための言葉しか口にしていないことを。その上、男の目は空を向いたり、自らの足下に向いたり。せわしなく動くものの、少年を一切見ようとしないことを。

 

(僕には。客になる資格すらないっていうのか……!)


 これは突然の来訪者で顧客見込みでもある少年に、男がまったく興味を抱いていないことを意味していた。他人の関心がどこに向いているのか。それらに極めて敏感な少年は、そんな男の態度が腹立たしかった。まして少年は、藁にもすがる思いでうさんくさい男に、自らが抱える悩みを打ち明けようとしていたのだ。相談しようとした者が、こっちを見ようともしてくれない――これほど不誠実なことがこの世にあるだろうか。


 だから少年は声を荒らげる。男の弁明を中断させるために。男の注意を一瞬でもいいから、自分に向けるために。


「あ、あの!」


 少年は怒気混じりの一言でもって、強引に男の一人語りを断ち切った。


「うん? なにか?」

「あなたは。その。幽霊とかが見える、そんな人でいいんですよね?」

「いかにも。生業にできる程度にははっきりと。信じるか否かは君に任せるが」


 男は自信たっぷりに頷いた。女物の採寸では無理がたたっているのだろう。わずかなひと動作でさえ、安物のナイロン生地はみちみちと不穏な軋みを上げていた。


「信じます。ですから、その目でしっかりと僕を見て欲しいのです。見定めて欲しいのです。その目で見たとき――僕は」


 少年は言葉を一旦そこで区切った。息を吸って、吐いて。一拍の間を作る。その目的は言うまでもない。このあとにつながる言葉を強調するために。強調した言葉で、目の前の男の注意をひくために。


「――きちんと生きていますか? それとも死んだ者として見えていますか?」


 ぎょろり。男の目がはじめて少年を見据えた。果たして目論見は上手くいった。


 ――僕は生きているのか? 死んでいるのか? それを教えてくれないか?


 この疑問は自称霊能力者である男の興味をひくのに十分であったようだ。そしてこれは同時に、少年が持つ心からの疑問でもあった。自分は生きているのか、死んでいるのか。最近の少年はそれが判別できなかった。


「へえ」


 つむじからつま先まで。なめるようにじろじろと少年を眺めたあと、男は一度うんと頷いた。男の中にあるなんらかの基準を満たしたのだろう。


 ――合格だ。入りたまえ、お客人。


 そう言わんばかりに、真っ赤なチャイナドレスは半身になって、ドアの向こう側に横たわる暗闇を顎でしゃくった。

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