フォークとスプーン、それに皿
徴兵されて一番最初の戦いがサウスラウンド・トップの戦いだった。小さな丘に付近の製材所から持ってきた丸太を積んで、防壁と銃眼をつくると、立ったまま再装填が出来るくらいまで塹壕を深く掘った。中隊を率いる大尉は灰色の目をした男で自分が合図するまで撃つなと何度も繰り返していた。
若き日の銃術師はこの日初めて「敵」を見た。自分をただ敵であるという理由で殺そうとしてくる人間だった。折り返し襟が赤い白の軍服を着ていて、黒い毛皮の前立て付きシャコー帽をかぶって紐を鬚の生えた顎の下に通していた。寒い日だった。敵は布にくるまり、銃を抱えたまま、彼らを守っていた森から姿を見せた。中隊長が撃て!と叫んだので、銃術師は撃った。鳥やリス以外のものを撃ったのはこれが初めてだった。だが、最初の弾が当たったかどうかは分からない。何せ森から一歩出た途端、敵兵は大鎌で薙いだように倒れていくのだ。彼が撃っている先込めのライフル銃はリス撃ち銃などよりもはるかに強力な銃弾を発射できた。二発目を装填し終わったころにはまた次の部隊が森から飛び出してきた。腕が引き攣るまで込め矢で弾を押し込み、撃って、また込め矢で弾を押し込んだ。白い兵隊たちは丘の裾一面に倒れていた。やられてもやられても敵は丘のほうへ突っ込んできた。
結局、銃術師は何人殺したのか分からないまま戦闘が終わった。
自軍の被害は込め矢で銃弾を押しこんでいる最中に銃身加熱のせいで暴発して、手を串刺しにされたものが二人。それだけだった。
勝利に沸く戦友たちを尻目に銃術師は慄いていた。
もし、自分たちの将軍があんなふうに突っ込めと命令したら、おれたちはどうなってしまうのだろう?
それに対する答えは翌日に出された。今度は自分たちが防壁を越えて、森へ走っていく。樹々に隠れてこちらに狙いをつけた敵兵のいる森へ。
この腐って肥大した都市がなぜこの荒野でここまで繁栄しているのか、特に食糧事情が悪化していないのか、からくりが分かった。この街には鉄道が引かれていた。聞いたこともない名前の鉄道会社だったが、鉄道であることには変わりはない。これがどんどん物資を積んで、駅に入っていくから、この街の住人はなんとか生きていけるのだ。
駅は他の建物と同様に背が高くて汚らしかった。外の七色漆喰を剥げるにまかせていたし、煤を逃がすための穴が天井にないらしく、駅のなかは煤で充満し、みながマスクなり覆面なりをつけていた。そのくせ持ち主である鉄道貴族の紋章だけはきちんと入口にかけてある。白と青の縞模様の盾に真鍮で作った金色の翼が飾られていた。
積荷は塩をすり込んだ豚肉や燻製の魚、豆、それに奴隷。鉄道で運ばれる奴隷は逞しい男か料理のうまい女奴隷と相場が決まっている。まれにどこかの国で学者をしている奴隷が売られることもある。奴隷はみな頭が悪いと思っているらしいが、奴隷のなかにも知識人はいる。銃術師は一度、そんな奴隷を見たことがあった。サウル・タウンでのことだ。やはり大きな奴隷市があって、そのなかに三十代の立派な押し出しの奴隷がいた。本人は哲学者を名乗っていて、彼を巡る競りのあいだ、こんなことは間違っている、わたしはこの人道に外れた行為に断固として抵抗すると厳かに告げた。すると、競り落とした持ち主がその奴隷を殴って歯を何本かへし折った。それで抵抗はお終いだった。哲学者はぐったりと頭を垂れて、鎖の引くほうへとぼとぼと歩いていった。
奴隷商人と駅司令官の監督で、列車には石炭と奴隷をどんどん積んでいった。鉄道の持ち主は一度にたくさんの奴隷を別の町へ運んで利鞘を大きくしたかったので、数人の虚弱なものが死ぬことを覚悟の上で貨車一つに百人の奴隷を積んだ。老若男女問わず、鉄道員は引っかけ棒で奴隷の首を引っかけては棍棒を使って、車輌に無理に押し込んだ。貨車のなかは座り込む余地もないだろう。ろくな食事は与えられず、糞便は垂れ流し、そして、荒野の熱が疫病となって襲いかかる。
銃術師の懐では少女が目を伏せていた。自分もああなる運命だったのだ。機関車が蒸気を吹く合間に、奴隷たちの悲鳴や水を求めるすすり泣きが聞こえた。少女は震えながら耳を塞ぎ、目をつむった。
首を鎖で一列につながれた奴隷たちの一人が狂ったように暴れまわった。あたしはあんな家畜小屋に入らない、入るもんか! たぶん年老いて零落した娼婦だったのだろう。殴りつけようとした鉄道員が逆に鼻をかみつかれた。女はそのまま左右に首をふり、鉄道員の鼻を食いちぎってしまった。鉄道員が地面に転がり、のたうちまわった。血が止まらずに鼻を押さえる指のあいだから葡萄酒の袋を突いたように流れていた。
すると鉄道の警備兵が長銃の台尻で女奴隷の頭を殴った。一発目で膝をつき、二発目を食らうと地面に倒れて動かなくなった。係員が鍵を差し込んで、女奴隷の首の枷を外した。こうして一人欠けた状態で奴隷の行進が復活した。女奴隷はピクリとも動かず、ただ地面に打ち捨てられていた。
銃術師はその場を後にした。もう、この都市を出よう。ろくでもないことばかりだ。銃声がした。振り返ると、鼻を食いちぎられた鉄道員が大口径のリヴォルヴァーを駅舎から持ってきて、女の頭に弾を撃ち込んでいた。銃を打つたびに反動で鉄道員がよろめき、女の頭は蹴飛ばされたように跳ねた。
この都は大通りを中心にして街が造られていた。南の大きな門からまっすぐ大通りを行けば、北の門から都を抜けられた。大通り沿いは書物だの香草だの白鑞の食器だのを売る店で溢れていた。商人たちは細切れにされた区域に密集して、自分の売り物を広げていた。料理屋もあったが、焼いた肉を皿もなしでテーブルに放り、客もそれを手づかみでガツガツ食べていた。全員がリヴォルヴァーか単発式の火打ち石式ピストル、そして長銃を持っていた。人狩りや隊商の警備、逆に襲撃、あるいは戦争もやるあらくれたちだ。
銃術師はおそらく多くの人が自分をこの男たちと同じ分類にくくるのだろうと思い、嫌な気持ちになった。あんなケダモノどもとひとくくりにされることがどれほど人をくさくささせるのか分からないやつがいる。
おれはきちんと皿を使う。フォークもスプーンも使う。銀食器というわけにはいかないが、手づかみで物を食うくらいなら飢えて死ぬ。銃術師は人生には投げやりな態度を示していたが、それでもいくつかの一線は引いていた。子どもは撃たないとか、火酒は一日に三杯までとか、馬をきちんと尊敬するとか。
自制心が大切なのだと大声で叫んでやりたい気分だ。それに刃向かうやつには片っぱしから鉛玉をお見舞いしてやれば、人間がもう少しまともな生き物になるんじゃないのか? なんせ、今のままでは人間は弱いか、ずるいか、暴力的か、くらいしかパターンがない。
北の門から都を出た。背の高い建物が密集した汚らしい町だった。東へ曲がる道を取り、そのまま歩いていく。土饅頭のような小屋がいくつも並んでいて、透けて見える紫の衣をつけただけの若い女たちが道を行く男たちを誘っていた。腐った町は門から溢れ出て、そこらじゅうに打ちひしがれたような家を建てていた。どの家も日干し煉瓦と泥で出来ていて、戸口に扉はなく、目の粗い布を垂らして、それを扉の代わりとしていた。何日も体を洗っていない男たちの体臭と酒の密造小屋からただよう胸のむかつく雑穀の発酵臭がする。もし、神さまが人類を滅ぼすという非常に賢く、憐れみ深い選択をしたとき、真っ先に焼き尽くされるであろう人々がそこには住んでいた。毒入りの酒を出したり、徒党を組んで追い剥ぎをしたりする連中が薄暗い家屋のなかで悪巧みをしていた。ここはあの腐った都にすら住むことを断られた人間の吹き溜まりだった。
銃術師はここでまず一人撃ち殺した。その男が泥小屋のなかから長銃で銃術師を狙ったからだ。銃術師が銃を抜いて、その男の眉間を撃ちぬくと、その家の入口に垂れた布がバタつき、鶏と豚と裸の太った女が出てきた。家主が死んだと分かると近所の住民が総出で略奪に走った。
銃術師にとって人を撃つことは息をするのと同じくらいありふれたものであった。ただ、男を撃つとき、左手で少女の目を隠してやった。あまり意味が無い心遣いのようだったが、それはやがて大きな変化を彼にもたらしていた。