報復
途中で服を商う店によって、袖が長めのタートルネックの短上衣とぶかぶかだが裾は絞ったズボン、長めの手袋、ベルト、それに丈夫な長靴を買って、それを少女に着せた。
そして、また二人で馬にまたがると、光と声が交差する夜の大通りを下っていき、あの神官の屋敷がある礼拝堂へと辿り着いた。屋敷を囲う塀は漆喰塗りで門は開きっぱなしになっていた。馬で乗り入れると、ひっくり返したバケツの上で居眠りをしていた老僕が声を上げかけたが、その前に銃を抜いて、黙らせた。しばらく表で時間をつぶして来いという代わりにサパタ銀貨を一枚放ってやり、老僕を屋敷の敷地から追い出した。繋ぎ柵に馬をつないで、銃を抜くと、屋敷の扉をそっとふれた。鍵がかかっていた。だが、窓からは黄色い灯が漏れているから、あの神官が中にいるのは間違いがない。
灯の漏れた窓を覗き込むとあの神官の後ろ姿が黒い影になって見えた。不細工な形にかたまった獣脂蝋燭をテーブルに立て、金勘定をしているようだった。実際、神官の左には銀貨がこぼれた袋があり、右にはジュリアン銀貨が十枚ずつに積み上げられていた。積まれた銀貨のそばにはペッパーボックスといわれる小型の多銃身ピストルが無造作に置かれていた。
銃術師は窓から下がり、その下の壁を手で押してみた。日干し煉瓦以上のものが使われているとは考えにくい。少なくとも鉄は使われていない。銃術師は繋ぎ柵に戻ると、ショットガンを抜いて、撃鉄を二つ上げた。そして、鉄格子の下の壁――神官の背後へ続けざまに二発散弾を放った。轟音が狭い庭に反響したが、おかまいなしに銃術師は崩れかけた壁に突進して、肩でぶつかり足で蹴り崩しながら、体を神官のいる部屋のなかへねじ込んだ。
神官は突然の轟音に驚き、壁をぶちぬいて現われる侵入者にすっかり魂消てテーブルと飛び上がると、ペッパーボックスを銃術師のほうに向けて、邪悪なものを退治するためのお祈りのようなものを一心不乱に唱えていた。よく見ると、銃の火門座には雷管がはまっていなかった。これで何かの攻撃のつもりらしい。テーブルの上は数え終わった銀貨とまだの銀貨が混じりあい、何枚かは床の上に高く澄んだ音を立てて落ちていた。
「この、クズが」
銃術師は神官の手から銃をもぎ取って、部屋の隅に投げつけると、ショットガンの銃床を思いっきり横にふって、台尻を神官の脇腹に叩き込んだ。肋骨が折れた確かな感触を得た。神官は壁まで吹っ飛ばされた。ショットガンを放ると、今度は神官の襟首をつかんで、反対側の壁へ投げつけた。また壁に当たって、神官が床に倒れた。そして、銃術師は猛禽のように飛びかかり神官の顔をドシンドシンと踏みつけた。銃術師の分厚い靴底が神官の顔にぶつかるたびに震動でテーブルの上の銀貨がちゃりっと音を立てた。
また体を持ち上げて、そのまま戸棚に叩きつけると、戸が壊れて銀貨を入れた袋がいくつも並んでいるのが見えた。同じように売られていった子どもたちが袋に閉じ込められているようにも見えた。
銃術師は壁に開けた穴をかえりみた。少女が立っている。その顔には怒りらしいものがきちんと浮かんでいた。
当然だ。銃術師はリヴォルヴァーを腰のベルトから抜くと、少女に持たせた。そして、撃鉄を上げてやった。少女は両手で銃をしっかり持って、神官を睨んだ。
顔は潰れて、目は腫れて塞がり、裂けて崩れた唇から何か謝罪と赦しを乞う言葉がもれたようだが、銃声で全てが吹っ飛んだ。
神官は股ぐらを押さえながら、悲鳴を上げていた。四四口径の弾丸が命中し、神官の性器はぐちゃぐちゃになった赤い肉塊と化した。
少女は銃を返した。殺すつもりはないようだと思った銃術師は最後に一発蹴りを入れて、その場をあとにした。
銃術師は少女を乗せて馬で大通りを闊歩しながら、これからどうすればいいか考えた。普通の人間は逃げる。だが、人間というものは逃げるものを追いたがる習性がある。実際、銃術師の後ろには数人の男たちが集まって、ひそひそ言葉を交わしている。兜をかぶり、鎖帷子のシャツを着て、長銃を背負い、幅広の蛮刀を腰に吊るしている賞金稼ぎどもだ。もし、ここで逃げれば、すぐに自警団でも追撃隊でも好きな名前のついた暴徒の集まりができあがり、神官を半殺しにした犯人を狩り立てる。いや、やられたのは神官でなくてもいい。この街で一番とるに足りない人間でも構わない。やつらがやりたいのは酒を煽って徒党を組んで、一日ほど馬を走らせ、犯人を追いつめて、その脅えた顔を鞭で打ち、縛って引きずって都に凱旋することなのだ。
だから、逃げずにこの街で一泊する。あれだけのことをしたのに逃げる気配を見せずに悠々と過ごしているのを見ると、男たちはあいつには神官を半殺しにしてもお咎めなしにできるほどの強い後ろ盾がいるらしいと勝手にあれこれ考えてくれる。考えるという行動ほど熱狂を冷ますものはない。そのうち、リンチにかける情熱が失せ、いつものように、どこかの酒場で正体を失うまで酔っ払うことになる。
隊商宿に宿を取る。井戸と家畜用水飲み場がある大きな中庭を囲む四角形の二階建て宿屋で一階は柱廊が中庭を縁取り、商品の倉庫があった。食料や反物、香辛料、銃、宗教画を描くのに使う顔料の原料などが商会の焼印が押された袋に詰められていた。人は二階の部屋に泊まる。焦げたトウモロコシの粉の匂いがする部屋には錫の水差しと木の寝台が二つ、それに小さな盥の他には家具らしいものが見当たらなかった。
中庭には駄獣が囲いのなかに集められ、商人たちが革袋に入れた葡萄酒を回し飲みしながら、どこか余所の町の穀物相場の話をしていた。戦争の噂や傭兵募集の噂、反乱を起こした将軍とその将軍側についた豪族たちの話、どこの街道が危なくて、どこの街道なら安全か。
商人たちには商売敵などという言葉があるが、人間のなかで最も人間同士で結束しているのは商人ではないだろうかと銃術師は思う。彼らは顔を合わせれば、自分が知っている町や相場、作物の出来不出来、硬貨投機の可能性の近況を交換する。そのうちのいくつかは黄金を生み出す素晴らしい情報だったりするのだが、商人たちは無頓着に教えあう。
部屋で少女と向かい合う。少女はもう疲れて新しい服を着たまま、眠ってしまった。
誰かおれにこの子をどうしたらいいか教えてくれるやつはいないだろうか? 何事も一人で何とかする生活が何十年と続いていた。だが、今回は手に余った。かといって、この街に置いていくのでは、何のために聖騎士帝国金貨を捨てたのか分からなくなる。
そもそもおれは自分を分かったことがこれまで一度でもあっただろうか?
土を耕していたころはまだ若く、努力は必ず報われると信じていた。だが、それが蜃気楼に過ぎなかったことを戦争で思い知り、妻の裏切りで家族に流れる血はこの一帯の池の水ほどに穢れていることが分かった。
結局、自分に対して、いつも正直だったのは戦争と銃だけだ。
戦争は世界がどうしようもないほど焼け爛れていて、救いだそうにももう手遅れであることを包み隠さず彼に教えた。そして、銃は人のように彼を裏切ったりはしない。
少女が自分を裏切ることを恐れるつもりはない。ただ、このまま少女を連れて歩いたところで、自分みたいな人間をもう一人こさえることになるだけだった。
こんな日に眠るとろくでもないことを思い出すだろう。
だが、ひどく疲れていた。
心が疲れていたのだ。
その先にあるのがたとえ休息でなくても、彼は目に見えるもの全てを追い払うように瞼を閉じてしまいたかった。