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ある銃術師の建国記  作者: 実茂 譲
1.銃術師
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帝国金貨で贖うもの

 少女一人分、身が軽くなった。

 夕方、銃術師は顎鬚をしごきながら、タバコを噛み、馬を預かってくれる居酒屋に入ると、黒い唾をぺっと吐き、ジュリアン銀貨でカウンターをコツコツ打ちながら、火酒を一杯注文した。その焼けつく酒を一飲みにし、もう一杯注文するころになると、表が騒がしくなり始めた。

 居酒屋は通りから少し引っ込んだところにあって、店の前は空き地になっていた。その空き地で篝火が焚かれ、大勢の観衆が集まっていた。

 銃術師はそれを見に、扉のほうへ席を移した。見ると、駄獣に曳かれた牢屋馬車が入ってくるところで、ダンダラ頭巾をかぶった奴隷商人が音頭を取り、手下の屈強な男たちが牢屋から首輪と鎖で鈴なりにつながった奴隷を引っぱり出しているところだった。

 赤い光のなかで競りが始まった。最初の男は旅の祐筆で字がかけて帳簿もつけられると奴隷商人が請け負った。サパタ銀貨五十枚から始まった競りはエステル金貨二枚で決まり、その場で男は売り払われた。旅の祐筆の絶望めいた表情はいかに銃というものが旅をする人間にとって頼れる相棒であるかを示している。銃術師のリヴォルヴァーはどれも使い込んでいて古びて見えるが、どの部品もきちんと銃油を塗られ、なめらかに動く。銃のいいところはきちんと手入れをしてやれば、それに応じた働きを見せてくれることだった。旅の祐筆はろくな武器も持たないまま、人狩りの一隊に捕まったのだろう。銃術師は長いこと世界を彷徨ったが、どの世界にも銃と火酒と人狩りは存在していた。銃術師も何人か人狩りの襲撃隊を撃ち殺したことがある。どこでも奴隷はいい商売になるらしい。

 最初の男が売られると、後も似たような感じで競りが進んだ。屈強な力仕事向きの奴隷はおらず、年寄りと女子どもばかりでさほど大きな値はつかない。買い手のついた奴隷は新しい主人のもとへと売り飛ばされて、運がよければ屋敷の召使い、悪ければ鉱山で死ぬまで働かされる。

 今回の競り市はあまり盛り上がらないと思った奴隷商人は最後のとっておきを出した。

 あの少女だった。着ているものは、もっとぼろぼろになっていて、涙で濡れた頬が篝火の火花で光って見えた。

 奴隷商人は少女をある滅ぼされた王族の娘だと言って、馬用の鞭でうつむいていた少女の顔を上向かせ、その顔をしっかりと見せた。観衆のどよめきから、どうやら今回の競りで一番の出物と認められたらしい。値段は強気でクライン王国金貨一枚から始まった。最初は六人が競っていたが、最後には幼児性愛と嗜虐趣味のある豪族と街で最も悪徳に染まった娼館を経営している老人の一騎打ちになった。既にエステル金貨十二枚の値段が付いているのを、サパタ銀貨二枚、三枚と少しずつ上乗せしていた。

 銃術師はこの世はろくでもなくて、人間はその世の中ですら生きるに値しないどうしようもない生き物だと知っているつもりではあったが、それにしてもひどい。

 だが、こうなることは薄々感づいていたのではないかと自分に問いかける。あの神官、何もかもが怪しかった。普通ならあんなやつ三歩の距離にも近づけさせない。近づいたら銃の台尻でぶん殴ってきた。それが少女をとっとと片づけるために銃術師は例外を設けたのだ。

 そして、その結果を銃術師は見ているわけだった。

 二人の買い手はギリギリの値段を見極めようとしながら、銀貨一枚単位で値を吊り上げている。そのとき、豪族がエステル金貨を一枚、競りに加えた。ひゅうと誰かが口笛を吹いた。

 娼館の主はさすがにそこまでは出せないらしい。

 これで決まりか。まわりのひそひそ声で豪族の性的趣味に関する評論があって、あの娘は三日ともつまい、いや二日で死ぬだろう、とまるで競りでもしているように言い合っていた。そんな話をする連中のそばにいたくもないと視線を移したそのときだった。

 銃術師の目が少女の目とかちりとあった。

 その目は見捨てられた絶望も裏切りに対する怒りもなく、ただ優しく笑いかけていた。ほんのわずかな自由を与えてくれた相手に対する感謝の微笑みだった。

 さあ、いないか、と奴隷商人が声を上げる。いないなら、この娘は――。

 そのとき、観衆が二つに割れて、道ができた。

 その道を銃術師はただ歩いていた。

 奴隷商人はポカンとしている。

 銃術師は神経を張り巡らせて、素早く目を配って、まわりの人間のうち何らかの形の銃を持っている人間が三十二人いると看破した。

 そして、三十二人と撃ち合いをして勝てるかどうか、本気で考えた。

 銃術師の手は腰のベルトに差したリヴォルヴァーに伸びていた。

 奴隷商人が腰を抜かして、へたり込み、牢屋馬車のなかに逃げ込み、その手下の用心棒のうち半分が武器に手をやり、半分が人垣のなかへ逃げた。

 空気がかたまって、その場にいる全員を押し潰そうとしているようだった。息をするのも難しいくらいの殺気立った雰囲気に酌婦が泣き声を上げ、見物の男たちは口を開けたまま顎を小刻みに震わしていた。

 銃術師はリヴォルヴァーの握りに手をやると、それを抜くかわりにホルスターの内側に隠した一枚の硬貨をつまみ、引っぱり出して、高くかかげた。

 それは〈大改鋳〉以前の聖騎士帝国金貨だった。エステル金貨百枚の価値がある最高品質の金貨を高く掲げると、銃術師は牢屋馬車に入っていき、まるでぶたれる頭をかばおうとしている奴隷商人の手を引っぱって、帝国金貨を手に押しつけた。そして、鍵束を奪い取って、外に出て、少女の手枷と首輪を外した。

 銃術師は何も言わずに少女の手を引っぱって、その場を後にした。

 大勢の人間を驚かした銃術師の行為はすぐにちょっとした尾ひれがついて、街じゅうの噂話になった。

 だが、一番驚いているのは銃術師自身と少女だっただろう。

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