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ある銃術師の建国記  作者: 実茂 譲
4.学生を集める
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賞金首の慢心

「ぼくにはフィアンセがいるんです」

 ウィリアムが恥ずかしそうに言った。

「いい予行演習になったな」

 雨は止み、二人は鞍上の人となっていた。

「どうか、このことを内緒にしてもらえませんか?」

「ああ」

「ありがとうございます。あなたはぼくの恩人です」

 雨に降られた魔の犬の森はなかなか割れない雲の下、濡れそぼった狼の毛のように枝を垂れていた。まだ正午をまわったばかりなのに森は薄暗かった。樹々が退いて開けた場所では花びらに薬効のある植物が一面にほとんで手つかずで咲いていた。花びらをアルコールにつけると、皮膚病に効くもので、あちこちの都で見かけたものだ。疥癬かきのアナグマがそれを知ってか花の上をごろごろ転がっていた。

 森が少しずつ都の気配に浸り始めた。道に人が増え、左右には横町と言っていいくらいの屋台の並びが顔を出し、水溜まりから塵芥の臭いが湧き出している。都の外と内を厳格に分けるための城門や城壁は崩れて、野放図な貧民街の海に飲み込まれていた。煉瓦造りの城塞には百家族以上が住み、弩砲を置いていた塔や砦にも同じくらいの貧民が綿の梱のようにぎゅうぎゅう詰めにされていた。砦のなかや瓦屋根の下からは赤ん坊の泣き声や屑肉を焼く音、女たちの口喧嘩がきこえてきた。木賃宿の入口からは指のあいだで垢がかたまった裸足が十本以上突き出ている。もう銃術師はケルベロス・デーンにいた。ごみが寄せられた壁や猥褻本を刷る作業場、紙細工のように脆そうな家々。壁を鎚でぶち破って裏庭をつなげた即席の裏通り。いかにも盗賊ギルドの領袖らしい大柄の男が子分を連れ立って肩で風を切って歩いていたが、その全ての指には金の指輪がはまっていて、鉢金にはエメラルドがきらめいていた。その有り様とまわりの人々の顔に浮かんだ羨ましげな表情を見ると、盗賊なり暗殺者なりギルドの構成員はこの都の特権階級のようだった。

 先輩隊士たちから話をせがんで予習をしたウィリアムによれば、〈銀のかささぎ亭〉という宿屋が賞金稼ぎたちの集まる宿として知られており、トマス・グーディに関する情報もそこで手に入るらしい。

「それよりは女をあたるほうがはやい」

「女?」川岸での一件以来、女性恐怖症になりつつあるウィリアムがどきっとして言った。

「たぶん、グーディはここに女をつくってる」

「どうやって、その女を探すんです?」

「グーディは一仕事して、ここに来た。待ちぼうけを食らった女の機嫌をなおすために派手に散財してるはずだ。そういう女を探す」

 曇りのまま日が暮れて、陶製のカンテラや獣脂蝋燭を入れたランプが夜を薄汚い黄色やどぎつい赤で彩った。遊興街では売春宿と酒場が並び、そこに故買屋やサイコロ賭博へとつながる半地下の階段が口を開けていた。どの店も昔は貴族や豪商の邸宅といった立派な建物だったのが、こうして落ちぶれて、正面を全部ぶちぬいて、板を張り、邸のなかを衝立と薄い板材で区切って、娼婦と酔っ払いで満たしていた。

 銃術師はウィリアムを連れて、いくつかの酒場をまわった。どれも低い天井と窓のない部屋でグロテスクに溶けていく獣脂蝋燭の針金シャンデリアがぶらさがっていて、テーブルは脂でべとべとしていた。余所者相手にそんなに簡単に情報を引き出せるわけはなかったが、銃術師が睨むと、だいたい酒場の店主か口を割った。銃術師の目のなかにはどこまでも墓標がつづく荒野のようなものが見え、その目を見ると、厄介事に巻き込まれる前に全て知っていることを話すほうがいいと思えてしまうのだ。それでもしばらくはアタリがなかった。四軒目の酒場ではちょっとした撃ち合いがあった。女をめぐって、二つの異なる盗賊ギルドのメンバーがリヴォルヴァーを抜いて乱射したのだ。盗賊二人がそれぞれ腕と足を撃たれて、床に転がり、件の酌婦は頭に流れ弾を受けて血の海に倒れていた。盗賊ギルド同士の抗争が勃発すると思った客たちは素早く逃げて、店主も死体と怪我人を外に追い出すと、早々に店を閉めた。

 監獄川を越えてから薄々思っていたことだが、どうも人の命が値崩れを起こしている。殺人が起きても、人々はさほど取り乱さず、自分に火の粉がかからないように適切な行動を取れた。そういった冷静さを手に入れるには似たような刃傷沙汰なり発砲沙汰なりを十度くらい見る必要があった。事実、ウィリアムはこの悪徳の都のもつ瘴気にすっかり驚いて、出来事に対する感想を述べることができなくなっていた。「うわあ」とか「ひどい」くらいのことは言えるが、そこまでなのだ。デ・ロイテル家の御曹司は人間のクズのなかを生きたことがないので、語彙に不便しているのだろう。

 六軒目の酒場を出た途端、暴走したイーグルクロウが屋台や通行人を薙ぎ倒しながら通り過ぎていった。数人の怒れる男たちが銃を抜いて、どんどん離れていくイーグルクロウ目がけて発砲した。イーグルクロウの持ち主は鞍から放り出されて頭を打ったらしく、大の字に倒れていた。瞬きする間に男の持ち物が次々と盗られていき、最後は下着一枚で転がっていた。戦利品を巡って二人の女が包丁を取り出して争った。小競り合いには事欠かない都だった。

 十一軒目の酒場でついにアタリを引いた。手配書と全く同じ姿――服まで同じでグーディが情婦と一緒に竜舌蘭の焼酎をあおっているのを見つけたのだ。一緒になって酒を飲んで笑っている情婦の左目には青あざがあった。その笑い方にはどこか不自然さがあったが、グーディは気づいていない、あるいは気づいていても気にしていないらしい。

「生死にかかわらず、エステル金貨三十枚か?」銃術師が念を押してたずねた。

「はい。生死にかかわらずです」

 ウィリアムは小声で答えながら、つばを飲んだ。銃術師はうなずきながら、店に足を踏み入れた。グーディが寄りかかっているカウンターまで十歩と離れていなかった。銃術師が声をかけた。

「おい、グーディ」

 その首にエステル金貨三十枚をかけられるだけあってグーディの身ごなしは速かった。酔っ払っているにもかかわらずだ。リヴォルヴァーを握りながら振り返ろうとしたが、その半分もいかないところで銃術師の十字を刻んだ弾が首を撃ち抜いた。グーディは勢いを余らせて、体をまわし、ちぎれた動脈から派手に血をまいて倒れた。おがくずを巻いた床で血溜まりはどんどん大きくなった。銃術師はグーディの手から銃を蹴飛ばした。グーディの子分のようなやつがいるかと思ったが、この男は一人で飲んでいた。グーディの死はケルベロス・デーンという街がいかにおたずねものにとって心休まる場所であるか、とはいっても油断が過ぎると思わぬ落とし穴が待っていることの生きた実例――いや、死につつある実例となった。女がどう動くか、銃術師はそれが一番気になった。女を撃つつもりはないし、撃ちたくもなかったが、それでも女が襲ってくるなら膝を撃ち抜くくらいのことはしないといけなかった。

 女は骸のそばにしゃがむと、財布を抜き取り、クラウン王国金貨七枚を取り出すと、四枚を銃術師に渡し、三枚は自分の胸の谷間にねじ込んだ。そして、グーディの顔に唾を吐き、その場を後にした。

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