馬に罪はない
草原にはかつての魔法王国を偲ばせる遺跡がぽつぽつ見つかった。だが、そうした遺跡はみな摩り減り、草に覆われていて、ボリスが説明するまではただの岩や地面のでこぼこくらいにしか思えなかった。ボリスはありし日のウィズダムは学院であるとともに、王国の民の巡礼地であり、大陸じゅうから旅してきた巡礼者たちのために街道にはよく磨かれた石が敷かれ、藁布団を用意した宿屋や簡素だが栄養たっぷりのスープを出す料理屋がたくさんあり、それらはみな無料で利用できた。王国の富は減るどころか年々増え続けていて、国庫に収まりきらず、こうして放出せねばいけなかったのだ。王国の古いことわざで『富によって栄光を得んとするもの、全てを分け与えよ。いかなる城も遠征もこれに勝る栄光はなし』といわれているくらいなので、王は善政をしいて、できるだけ民のもとに金貨や銀貨が行き渡るようにした。
「気前が良すぎて、滅んだんじゃないの、あなたの王国」アリソンが何もない草原を見渡して言った。
「そうではない。みなが驕って魔法を邪な目的で使用するようになり、神々の怒りを買って滅んだのだ。それに王国はわたしのものではない」
「王の王国だものね」
「違う。王国は王と全ての民のものだ」
銃術師は鞍の上で南のほうを眺めていた。そこには蛮族が住むというが、それと同時に馬もいる。王国をより優れた心地良いものにするには馬が必要だ。そのためには蛮族と交渉を持つ必要がある。銃術師はできれば、血の流れない形で話し合いができればいいと思っていた。
銃術師はまだ兵隊だったころの戦闘を思い出していた。パーマーズ・ミルの戦いと呼ばれたその会戦では敵と味方がパーマーズ・ミルと呼ばれる風車小屋の小さな丘を取り合って、三日間ぶっ通しで戦い、両軍ともにもう数千の犠牲者を出していた。だが、将軍たちはあきらめようとしなかった。駄々っ子のごとく丘を欲しがった。風車は跡形も無く吹き飛び、丘の土は砲弾ですっかり穴だらけになり火薬の臭いが染みついていた。数千の人命を生贄に捧げてまでして奪取する価値があるとは思えなかった。銃術師のいた連隊はその丘がある主戦場へ向かうべく、森に挟まれた街道を歩いていた。主戦場は一マイルも離れていないところで、砲火とライフルの一斉射撃の音が途切れることなくポンポンパチパチときこえてきた。森の途切れたところから戦場が見えたが、白く濃い硝煙の幕で何も見えず、ときおり思い出したように火の玉がぐわりと噴き上がって、手足のちぎれた兵隊が空に舞い上がった。自分たちがこれからあそこに向かうのだと思うと、ひどく嫌な気分になった。自分たちを率いる将軍たちがヘマをしでかしたことくらいは平の兵卒でも予想はついた。一度に相手の陣地を攻めるつもりが兵を小出しにして、敵の砲兵隊に各個撃破の機会を与えているのだ。連隊の士官たちの仕事はこの集団自殺を最後まできちんと成し遂げることだ。元帥は全ての連隊長にもし兵士が前進を拒んだら、十人に一人の兵士を無作為に選んで銃殺する権限を与えていた。そして、兵士たちはやつらが本当に銃殺をやることを知っていた。銃術師の連隊を率いるのはシーマス・パトリオヘッドという大佐だった。鬚も白い年寄りで帽子に入りきれない白髪が帽子の縁から爆発するように飛び出していたくだらないやつだった。いつも大きな凝った作りのパイプを吹かしていて、本人はそれが威厳として兵士の目に映ると信じていた。とんだマヌケ野郎だったが、部下を自殺攻撃に繰り出させることに関しては人後に落ちることのない男だった。部下が全滅するたびにどういうわけだが、その男は評価され階級が上がった。銃術師が初めにパトリオヘッドを見たとき、彼は予備役から引っ張り出された年寄りや少年兵を束ねる民兵隊の大尉に過ぎなかった。それが一年もしないうちに大佐になりライフル連隊を率いていた。今度の攻撃が終わると、准将に昇格できるらしいと噂が流れていた。勲章と階級章を稼ぐために人を地獄送りにしているこの畜生はなかなか死なず、戦場を愉快に飛び回っていた。敵であれ、味方であれ、兵隊が倒れるのを見るのが楽しくてしょうがないのだ。
道を曲がると開けた場所に出て、四百ヤード先に騎兵隊が縦列隊形を組んで、平地へと進んできているのが見えた。山奥の暮らしが長く目がいい銃術師にはその騎兵たちの様子がありありと見て取れた。みな若く自信に満ちていた。空色の軽騎兵たちはぴったりとした服に身を包み、その胸を金の糸で肋骨風に飾り立て、熊の毛皮を裏地にした空色の半外套をマントのように肩にかけていた。みな緑のシャコー帽をかぶり、手入れの行き届いた口髭を生やして、揉み上げや襟足の髪を昔風に編んで垂らしていた。先頭を行く指揮官は白い口髭に合わせて白粉をふった鬘をつけていて、胸を張って堂々と道を歩いていた。向こうにもこちらが見えているはずなのに、まるでそのみすぼらしい敵を敵と認めるのも嫌だといわんばかりに高飛車な態度で戦場へと進んでいった。
連隊長はすぐ自分の部隊を着剣させて二列横隊を組ませた。空色の美しい軍服を着て馬具を飾り立てた騎兵に対して、こちらは狂人に率いられたボロボロの灰色の軍隊で、これが戦争を讃美する物語ならば、主役はあちらで、こちらは悪役といったところだった。銃術師たちが隊形を整えたころ、騎兵隊はサーベルを抜き放ち、横隊に並んで、こちらへ突っ込んできた。
連隊は前のものが膝撃ちの姿勢を取り、後ろのものは立って狙いをつけた。銃術師は馬を撃ちたくなかった。騎兵を撃つのは分かるが、人間の都合で戦争に引きずり込まれた馬を撃つ理由が銃術師にはなかった。連隊長は照準を五十ヤードに合わさせて、射撃用意の姿勢を取らせた。
――わしが撃てというまで撃つな。馬を狙え。撃ったらすぐに次の弾を込めて、好きに撃ってよし!
数にして二百の、自信に満ちた騎兵たちが剣を抜いて突っ込み、彼我の距離が五十ヤードを切った瞬間、撃て!と命令があった。銃術師は馬ではなく騎兵を狙った。
だが、無駄だった。他の仲間の弾が結局馬たちを薙ぎ倒してしまったのだ。骨が砕け、地に倒れ、臓物をまき散らした馬たちの悲鳴が銃術師の心を苛んだ。だが、銃術師はもう次の弾を込めていて、雷管をはめると、よろめきながら立ち上がった騎兵隊の指揮官を撃った。同じように指揮官を狙ったものが三十人近くいたせいで、この哀れな初老の士官は七〇口径弾の嵐を浴びて、地面に拍車付きブーツを履いた両脚だけを残してバラバラに吹き飛ばされた。そこからは一方的な虐殺だった。倒れた馬の下敷きになったもの、負傷して蠢いているもの、そして何とか立ち上がったもの、全員に弾がふりかかった。大柄の軍曹がサーベルとカービン銃をふりまわして、何とか部下を立ち上がらせて、態勢を整えようとしたが、次々と放たれる弾に一人また一人と倒れて、ついには軍曹自身が顔を撃たれて砕けた下顎が落っこちた。この世で一番寒気を覚える音は下顎がなくなった男がわめく声だ。銃術師は軍曹を狙い、顔のうち残った部分を吹き飛ばした。
世界が引っくり返ったようだった。あの美しく着飾った騎兵たちは一人残らずズタズタにされて、その残骸が死に掛けた馬たちのなかで呻くか血反吐を吐くかしていた。
二百人の騎兵が全員やられると、連隊は行軍の隊形に戻り、重い砲の音を響かせる主戦場へと向かうべく、馬と騎兵が転がった地を横切った。パトリオヘッド大佐は浮き浮きしているようだった。死体が彼好みに仕上がっていたからだ。銃術師は腹が裂けて、腸が足にからまった馬が鳴くこともなく立とうとすることもなく静かに涙を流すのを見た。銃術師はそれを決して忘れることはなかった。




