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ある銃術師の建国記  作者: 実茂 譲
3.ウィズダムへの旅
28/39

馬とムニエル

 コンパスを頼りにソローフィアの森を三日かけて南東へ歩くと、木立がまばらになり、草原が目の前に開けた。東の彼方に黒いゴツゴツした建物の集まりのようなものがあった。地図とその書き込みが正しければ、それはサラントン川上流にあるフォート・ヘイズという開拓者たちの砦ということになる。開拓者の砦というから、きっと耕作地に囲まれ、周りに浅い堀を掘って逆茂木を放り投げ、肝心の城壁は先を尖らせた丸太を並べてあるのだろうと思っていたが、実際に近づいてみると予想を裏切られた。フォート・ヘイズは築城学と測量術の素養がなければ造れない稜堡と深い堀を組み合わせた立派な軍事要塞だった。城壁は石でできていたが、頭上を守るための屋根があり、また死角のない射撃ができるように計算して銃眼を切り、角面堡は互いに援護しあっていて、敵がどこから攻めてきてもその横っ腹へ弾丸がふりかかるように設計されていた。銃術師は守備隊が誤解して撃ってくるのを避けるために噛みタバコを吐き捨てた。そして、全員の武器に白い布切れ、または白く見える汚れた布切れを巻いて白旗をつくらせた。そして、それを掲げながら巻き上げられた跳ね上げ橋のそばまで言った。城壁の上からまだ青年と少年の境目くらいの若い声がした。

「そこで止まれ!」

 先頭を進んでいた銃術師が片手を上げて、一行を立ち止まらせた。

「お前ら、何者だ? 返答次第じゃ頭に風穴が開くぜ」

 それはおどしではなかった。守備隊員が構える長銃は着火方式こそ火打ち石式だが、きちんと旋条を刻んだ長銃身のライフルだった。

「ウィズダムの湖へ旅をしているの!」アリソンが相手に聞こえるよう大声で答えた。銃術師は喉の傷のせいで、あまり大声を上げることができなかったのだ。

「一晩の宿と食糧をもらえれば、代金は払うわ」

 守備隊員たちが寄り集まって、相談をしているようだった。

「よし、入れてやる。だが、武器の類を預けてもらう。それが嫌なら去るがいい」

 もう一週間以上野宿をし、パサパサのコーン・ブレッドと干し肉、味の薄いスープ以外の何も口にしていなかった一行はその条件を呑んだ。

 鎖が派手に擦れる音がして、跳ね上げ橋が降り、城門が開いた。青い頭巾をかぶった守備隊員が詰め所にいて、武器の類を全て出すように命じた。ボリスは剣と刃杖を渡すだけで済んだが、銃術師とアリソンは軍隊の武装解除のようだった。詰め所の武器置き場がリヴォルヴァーやライフル、ショットガンとカービン銃、雷管と火薬、数種類の弾丸、それに短剣や斧などでいっぱいになった。

 立派なのは要塞だけで、肝心の開拓民たちが住む建物は丸太小屋だった。それぞれの小屋には薪小屋があったが、その小ささから、このあたりの冬はそう辛いものでもないらしいことが知れた。土の質も悪くない。もしこの大陸の人間に気力があれば、このあたり一帯を小麦とトウモロコシ、そしてサトウキビで埋め尽くすこともできるだろう。だが、フォート・ヘイズの人間は要塞から離れた場所で畑仕事をすることを恐れていた。少なくとも要塞の警鐘がきこえる範囲内にいようとしたため、なかなか耕作地が広がらなかった。

 まもなく銃術師たちは住人に囲まれた。彼らは北の都から第二、第三の開拓団がやってくるのを待ち望んでいたのだ。この地では人口と力は同一のものであった。僻地の開拓民は誰でも銃を扱えたし、一番下手な射撃者でも長銃で百五十ヤード離れた敵に命中弾をくれてやるだけの腕前があった。彼らが耕作地を増やすにはとにかく人口増加が必要だった。

「あいつらはおれたちを送るだけ送って、それっきりだ」住人の一人で雑貨屋を営む男が文句を言った。〈あいつら〉というのが誰を指すのか自分でもよく分かっていなかったが、とにかく彼は〈あいつら〉を責めた。「このへんの人狩りを根絶やしにできるだけの頭数がそろえば、いくらでも畑を耕し放題なんだ」

「無理じゃよ、それは」やぶ睨みの老人が首をふった。「ここには家畜がいない。イーグルクロウもディアサヴィンもいないんだ。いるのは馬だけ」

「馬だと?」銃術師がたずねた。「このあたりには馬がいるのか?」

「ああ、あんたさんが乗ってるような馬がここからずっと南東へ行けば、うようよいるさ。だがね、こう言っちゃ悪いが、馬は蛮族の乗り物だよ」

 銃術師はかつて人間不信が極致に達していたときでさえ馬への尊敬を失わなかった。彼にはここの開拓民が手の施しようのない阿呆に見えた。馬ほど人間の相棒にうってつけの生き物はいない。沃野の馬の群れはそれだけで一財産だ。馬鍬を受けつけるようにきちんとしつければ、播種面積を大きく広げられるし、軍馬としてしつければ、人狩りたちを蹴散らすことも容易い。だが、銃術師は何も言わなかった。自分が五百人近い人間の生き方を左右するような忠告をできると自惚れてはいなかったからだ。

 砦の宿屋に荷物を放り込むと、アリソンはボリスを誘って、砦のなかを見てまわろうとした。ボリスは王の近くを離れられないと言ってしぶったが、銃術師は一人物思いにふけっていたいようだった。

「王さまは瞑想の時間が必要なの」

 そうきいて、ボリスは王のそばを離れるつもりになった。

 立ち並ぶ丸太小屋のあいだに小さな菜園や燻製小屋があり、イーグルクロウを大きな石臼につないだサトウキビの搾り場があった。子どもたちはサトウキビを噛んでいて、民家の煙突からは白くねっとりとした煙が上がっていた。小麦やトウモロコシは開拓民が生きるための作物だが、サトウキビは現金を得るために育てていた。砦が造られたとき、目端のきく指導者が製糖工場とラム酒の蒸留所を作っていた。ここで出来上がる赤い粒状の粗糖とラム酒、それにリスや草原ウサギ、羊の毛を売り、その金で草原暮らしに必要なもの――塩、蝋燭、布地、銃と弾薬、それに結構な数の書籍を手に入れていた。

 書籍はこの退屈な草原暮らしを生きるための必須のもので、どんな下らない文字の羅列でもいいから読んでいないと、この何の変哲もない草原の果てしなさに頭がおかしくなってしまい、自分で本を書き始めるのだ。執筆病といって、これはかなり厄介な病気だった。書かれるのはたいてい王子と姫の出る古典的な物語で、執筆のうちに現実と物語の区別がつかなくなり、城壁を登り遠くへ目を凝らし、自分が創造した物語の登場人物たちが自分をこの退屈な土地から連れ出しにやってくるのを切ないため息をつきながら待つのだった。

 この手の物語のたいていは駄作であり、焚きつけにされる運命だったが、まれに誰をもうならせる素晴らしい作品が現れることもあった。素晴らしい物語とそうではない物語の違いは登場人物たちが本当に現われて、その作者を連れていってしまうことだった。彼らがどこで何をしているのかは神のみぞ知る。

 アリソンはそんなことをまともに信じるほど自分は子どもではないと思っていたが、住人たちは口を揃えて、人をさらっていった物語のことを言うのだった。

「前の守備隊付き帳簿係がそうだったんだよ」毛皮屋の前で座っていた若い女が言った。まだあどけなさが残る女の左には死んだウサギが山積みになっていて、女はその毛皮を器用に剥ぎながら話した。「天使の物語を書いたんだ。とても美しくて優しい天使の話をね。それは誰が見ても素晴らしい物語だった。あのときは、このままじゃ、この人は連れて行かれると思って、あたしらが必死になって書くのをやめさせようとしたんだ。けど、インクを隠せば、そこらの草からインクを作っちまうし、ペンと紙を隠せば、指で砂に物語を書いていったのさ。そして、物語を書き終えると、天使がやってきて、帳簿係を空へ連れて行ったのさ」

「天使はどのような姿を?」ボリスがたずねた。

「ガラスのように透き通る羽と金色に輝く衣を纏って、髪は白銀のように眩しかった。みな天使が来た理由を分かっていたから、なんとか帳簿係を救おうとしたんだけど、無駄だった。相手は天使なんだからね。帳簿係は天使の右手を握って、一緒に空へ飛んでいった」

「竜巻で飛んでいったんじゃないの?」アリソンが言った。

「そんなわけあるもんかい。あれは間違いなく天使だったよ。天使が連れて行ったんだ。わたしらは天使と帳簿係が見えなくなるまで、空を見上げていた。で、見えなくなると、みんなして、まあ、結局、これでいいってことにしたんだ。だって、帳簿係はこの砦ができたころからの住人でもう三十年以上、ここで帳簿をつけてばかりいたんだもん。仕事ばっかりで奥さんをもらい損ねて、五十を越えても一人で寂しく暮らしていた。ひょっとすると、神さまが帳簿係を哀れに思って、天使を遣わしたのかもしれない。たぶん帳簿係は幸せに暮らしていると思うんだ」

 二人は人間をさらう物語について意見をかわしながら、要塞でただ一本の表通りを歩いた。端から端まで鉄砲で届くくらいの決して長いとはいえない通りには野菜畑を挟んで小さな店や料理屋、なんでも修理する古道具屋が並んでいた。食料品屋では水タバコ用の葉は血のように赤い糖蜜で固められていて、宿り樹の模様のスタンプが押された新鮮なバターは虫を寄せないようガラス製の鐘のなかに入っていて、お客が来たときだけ、鐘をどかして、バターを切った。バターを前にアリソンの喉がごくりと鳴った。この乳白色の塊はここ数日、彼らに縁のなかったものだ。新鮮なバターと砂糖がたっぷりあれば、ぱさぱさのコーン・ブレッドをおいしいおやつに変身させることができる。もちろん世の中には粉末バターとか何の油をつかったのがよく分からない代用バターの話をきくが、本物の岩塩入りバターがその王座を譲り渡すことはないだろう。フォート・ヘイズのすぐそこをサラントン川が流れている。アリソンはその川の中州を行き接ぐいくつかの橋を渡ったのだが、橋桁にぶつかって水が黒く盛り上がったところ、鱒が数尾泳いでいるのを見かけた。あの鱒をこのバターでムニエルにしたら、どれだけの喜びを得られるだろうか? もし魔法があるのならば、新鮮でおいしいバターをいつでも使える魔法があればいい。旅の苦労がずっと楽になるから。

 その夜、アリソンは期待どおり、バターをたっぷり使った鱒のムニエルを食べることができた。その味は素晴らしく、将来何かの壁にぶつかったとき、このムニエルのことを思い出せば、決してくじけることはない、そんなムニエルだった。

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