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ある銃術師の建国記  作者: 実茂 譲
2.王なき地
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わしらにあるもの

 東門を出て、石磨きの川の岸辺を上流へ馬を進めていくと、何百種類もの鳥が求愛の合唱をする黒い森や川を下る鱒の群れを見ることができた。鱒はとても小さく、カワカマスや水鳥にあっという間に食べられてしまうほど頼りなかった。銃術師は珍しく饒舌になり、鱒のことを教えた。少女の生まれた場所では鱒はいなかったから、鱒について知っていることはバターで炒めればおいしいことくらいのものだった。だが、銃術師の生まれた場所ではどの川にも鱒がいて、透き通った透明の水のなかをゆっくり泳いでいる姿を何度も見かけたのだ。鱒は初め、斑点のある石のような色をしているが、海へ下る準備ができると、鱗が見違えるような銀色に変化する。小さな銀色の鱒たちは海へ下り、三年後にはたくましい大きな鱒となって生まれた川に帰ってくるのだ。今、石磨きの川を下っていく鱒たちもそうして海へと下っていく。スズキや海鳥や人間に食べられることがあっても、鱒たちは必ず生き残る。そして、川へと帰っていき、次の世代へ命をつなぐのだ。

 少女は銃術師が鱒について話しているのを聞いているうちに、彼が鱒を羨ましいと思っていることに気づいた。放浪の末、帰る場所を持たない銃術師は鱒のように美しい生命をなぞることを許されずに死んでいく。その過程は悲しさ故に美しいであろうことを少女は知っていたが、当の銃術師は様々なものを見すぎたため、自分がどんなふうに見えるのか、きちんと判ずることができなくなっていた。岩の上で流れが黒く膨らみ、そのなかを光の滴りのごとく泳いでいる小さな鱒たちの力に憧れ、そして、その努力が万に一つも実ることを許されていることを羨んだ。

 森が水辺へと迫り出して、ついに道が森のなかを通るようになると、二人は木漏れ日を浴びながら、鞍の上でゆられた。いい陽気で風が涼しく、葉に触れるたびにフレイが耳をぴくぴく動かしていた。

 釣り上げた魚とトウモロコシの粥で五日間を暮らし、六日目の夕暮れどきに二人は石磨きの川の源流を見つけた。透き通った水面に紫と茜の入り混じった暮れる空を映し、それを湧き水で戯れに崩しながら、冷たい水が静かに流れていた。水辺の平らな砂岩の上に十数人の男女が座って、大きな鍋にニンジンを入れて糖蜜で焼いているのを見つけた。少女も銃術師も武装しているにも関わらず、この一団に混じり、食事を一緒に取ることが許された。彼らは旅の楽士や逃亡奴隷、宿無しにまじない師と性別も年齢も雑多な流浪民の集まりで、少女たちと同様に空を屋根に森を壁にした根無し草の暮らしをしていた。銃術師は釣った一フィートはある鱒を三尾とトウモロコシの粉を二袋、一団の長らしい男に渡した。たくましい肩の上にバンダナを巻いた真四角の顔をどすんと置いたような男で何となくかつて軍役についていたように思えた。少女は他の女たちと一緒にトウモロコシ粉を練っていた。ざらざらしたフライパンにはラードとニンニクがたっぷりこすりつけられ、食欲の沸く匂いがしてきた。丸めた練り粉をフライパンに落とすと、パチパチと拍手のような音がして、練り粉が細かくふるえた。

 男たちのなかでも年長なものたち――少なくとも四十は越えているものたちは糖蜜鍋の底をくすぐっている焚火に集まって腰を下ろし、それぞれの手持ちの噛みタバコを交換し噛み始めた。男たちは顎以外の部分をまったく動かさず、目の前で踊る火を見つめていた。ときおり、たまった唾を鍋にぶつからないよう焚火に吐くくらいのことはしたが、それ以上の動きは何もなかった。鼻唄に合わせて頭を揺らしたりせず、貧乏ゆすりしたりせず、キツネが藪を通って突然音が鳴っても、四人の男たちはぴくりとも動かず、タバコを噛み続けた。

 食事が出来上がると、男たちはタバコを焚火に吐き捨てて、出来上がった料理を食べ始めた。鱒のソテー、ニンニク風味のコーン・フリッター、糖蜜でウイスキー色になったニンジン、それにトウモロコシ粥。少女は夢中で食べた。特にニンジンが最高でこんなに甘いニンジンなら毎日だって食べたい、と言った。

 少女が若い男や女たちと一緒に食器を洗うために水辺へ行くと、四人の男たちはタバコを噛まず、ただ熾きを眺めていた。鍋を煮る使命を果たした熾きはゆっくりその火をゆらしながら、鬚に覆われ、皺の刻まれた男たちの顔を赤く照らした。

「あんたはずいぶん遠いところから旅をしてきたな?」四人で一番の老人が突然、銃術師にたずねた。

「ああ」

「それは〈最果て〉よりも遠い大陸か?」

「そうだ」

「そこには何がある?」

「ここにあるものと変わらない。鉄道があって、都があって、戦争がある。人はみな不幸だ」

 二人の男――一団の長と学者のような顔をした男が呻った。二人は仲間がみんな死んでしまい、最後の一頭となった絶滅寸前の動物のような絶望を感じていた。だが、老人だけが厳しくも柔和な顔をして、西の果てにも幸福はないという事実を受け入れた。

「あんたの故郷に魔法はあったかね?」

「ない。まじないや占いはあったが、気休めだった」

「ここには魔法がある」

「そうらしいな」

「だが、消え果てつつある」

「そうか」

「それも王がいないがためだ」

「〈王なき地〉だからな」

「王がいたころは違ったという。種は播くそばから芽吹いて実をつけ、イナゴの群れを畑ではなくて海のほうへ飛ばしてやることもできた。争いが起きて国じゅうの戦士の剣が抜かれれば、賢者が集まって、誰もが納得し、心から受け入れられる解決法を提示することができた」

「いい王だったんだな」

「悪い王などおらん」

「おれの国の王は悪党だったよ」銃術師が言った。

 少女は同年代の女の子と混じって花や星について話していた。だが、話の内容はさっぱり頭に入らなかった。銃術師の話を聞こうと耳を澄ませていたからだ。銃術師が過去を話すことなど、ほとんどなかった。それも〈最果て〉の向こうにある未知の大陸の戦争についてとなると、皆無なのだ。

 銃術師が話を続けた。

「おれは〈助言者〉の集落を焼いた軍隊にいた。〈助言者〉は変な男だった。戦争で荒廃した地域を巡っては見返りを求めず助言をしていた。神さまに祈れとか、ここに水路を作ろうとか。簡単な法律の助言もできたらしい。次第にこの〈助言者〉を慕って、人が集まった。ほとんどが戦争で焼きだされて家も畑も失った人々だった。人が集まると、〈助言者〉は一ヶ所に留まり、町を作り始めた。その人口が三万くらいになった途端、国王が〈助言者〉の逮捕を命じた。国王とその取り巻きは不安になったんだな。〈助言者〉が、戦争なんてやめちまえ、とか、国王を縛り首にしろ、と民衆に助言するのではないかと思ったらしい。だが、〈助言者〉はささやかな助言以外の何もしていなかった。〈助言者〉のなかで一番大きな助言は彼らの住む町に大きな聖堂を建てることだった。おれが銃を担って出発したとき、命令は逮捕だった。だが、〈助言者〉たちの町に着くと、命令は銃殺に変わっていた。おれたちは十万の軍勢で、武器になりそうなものといえば、鋤や鍬しか持っていない三万人に襲いかかった。三万のうちの半分は女や子ども、年寄り、片輪や盲だった。おれたちは〈助言者〉とその信者たちを皆殺しにして、町を焼き払った」

 しん、とした。男たちだけでなく、女や子どもたちも銃術師の話に引き込まれていた。見事な語り口や話の面白さではなく、もっと深いところに突き刺さるその声が聞き手たちを捉えたのだ。

「その王は王ではない」老人が重い空気に抗するように口を開いた。「王の名を騙った簒奪者だ」

「たぶんそうなんだろう」

「この大陸にもそれと似たような悪党が大勢いる」

「ああ」

「やつらとわしらの違いが分かるか?」

「ああ」

「言ってみてくれ」

「やつらは城の豪華な寝室で羽毛をたっぷり入れた布団に包まれ、家族や友人、愛するものに手を握ってもらいながら死ぬことができる。おれたちはのたれ死ぬ」

 老人が首をふった。

「魔法だ。やつらになくて、わしらにあるものは魔法なのだ」

「だが、あんたの話では、それは消えつつある」

「そうだ。残念なことだがな」

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