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ある銃術師の建国記  作者: 実茂 譲
2.王なき地
19/39

盗賊ティーグ

 沼の上に暗く深い森があった。あちこちの倒木や岩の陰には凶暴なカワカマスや赤ん坊を丸呑みにできる水棲トカゲが潜んでいて、その水面からは汚らしい革なめし場のような靄が立っていた。ジュニアの漕ぐ小舟は樹々のあいだをゆっくり注意深く進んでいた。銃術師はショットガンを膝のそばに置き、グレンワース・ライフルを手にして舳先に座っていた。そして、森が垣間見せる壊れた木造船や水没した開拓集落に目を配った。この手の廃墟のなかで人嫌いの変人がマスケット銃を握り締めて、舟が近づくのを待っている可能性があった。少女はカービン銃を船尾のジュニアに向けて、しっかり仕事をさせる役を仰せつかった――というよりは無言の目配せでそういう決まりになったのだ。ジュニアはもしティーグが怒り狂って、この二人を殺したら、自分は無理やり連れてこられたといって土下座して謝るつもりでいた。

 沼の森は奥に行けば行くほど、暗くなり、靄も濃くなった。ジュニアの櫂が水を掻くたびに、ボコボコと泡が浮き出して、渦を巻いた。

 真横に浮く倒木のそばに一艘の舟がもやっているのが見えた。舟の上に小屋を作っていたが、屋根を葺く藁はまばらで屋根の態をなしていなかった。小屋のなかには女物の服が何着かかかっていた。他にも香水や白粉を入れたらしい壷があり、風が吹いたらぶつかりあってきれいな音がなるように硬貨やガラス管を軒先に吊るしていた。持ち主が船底からむくりと起き上がった。ろくに髪をとかしていない鬚面の男が女物の服を着たまま、起き上がった。ジュニアが相手に挨拶した。

「よお、アンダーソン。元気か?」

「元気だといえば、元気だし――」アンダーソンと呼ばれた鬚面のおかまは不機嫌そうにむくれて、がっしりとした腕を組んだ。「元気じゃないといえば元気じゃないわ」

「なんだ、そりゃ? おかま同士の謎かけか何かか?」

「もう、ジュニア。あんたってやつは」

「むくれるなよ。せっかくの美人が台無しだぜ」

「そちらの渋いおじさまとお嬢ちゃんはどうしたの? まさか観光で来たわけじゃないでしょ?」

「こいつら、ティーグに会いたがってるんだ」

「ぶるるっ」アンダーソンは震えるマネをした。「じゃあ、ジュニア。あんたと会えるのも、これが最後ってことね。ティーグは最近機嫌が悪いらしいから、あんたみたいなスットコドッコイがちょっと口を滑らしただけでバラバラにされてトカゲの餌よ」

「なんだよ、ティーグが機嫌悪いって。性病でもうつされたか?」

「五十の蝋燭の願掛けがうまくいかないの」

「五十の蝋燭の願掛けとはまた古いまじないを持ち出すじゃねえか? 五、六百年くらい前の魔法だろ? そんなのの様式を知ってるやつがいるのか? で、その願掛けの相手は?」

「それがなんとログス侯」

「あんな大物、まじないで殺れるわけがねえよ。それが分からねえティーグでもねえだろうに。つーか、アンダーソンさんよ、そもそもティーグは今ログス侯ともめてんのか?」

「ログス侯の使いだってやつが二人やってきて、これからは沼の盗賊もログス侯の支配下におかれることになったから、上納金を払えって言ってきたんだって。そしたら、ティーグのやつ一人を生きたままバラバラにして塩漬けにして樽につめちゃったのよ。で、もう一人の使者に返事を持ち帰れって言って、バラバラ死体入りの樽と一緒に追い返したってワケ」

「あちゃあ」

 アンダーソンはしばらく沼に住むが、ログス侯の軍隊が攻めてきたら、真っ先に逃げ出すつもりだと言った。舟を家に使う最大の長所は全財産ごとそっくりそのまま移動できることだ。ただ、ログス侯はどんどんその影響範囲を広げていて、舟で逃げた先が安全だという保証はない。それでも沼でドンパチが始まれば、逃げなければいけないのだ。

 櫂を操りながら、ジュニアは少女と銃術師にこれまでティーグが行った残虐非道な行為の数々を披露した。これで決意を翻させようと思ったのだが、少女に言わせれば、それほど酷い話でもなかった。むしろ、奴隷にされたときにきいた話のほうが恐ろしいくらいだった。銃術師のほうは銃術師としての経験の前に兵士としての経験があった。銃術師は兵士ほど美しい職業はないと思っていた。死に向かうその姿はどんなにみすぼらしい軍隊でも簡単に栄光のヴェールに包まれてしまい、美しくなってしまう。だから、兵士の持つ全てを恐れなければいけないのだ。

 ジュニアの顔色の悪さから、少女たちはもうティーグの縄張りの奥深くまで入ってしまったことが分かった。肛門から口へと槍で串刺しにされた骸骨が数体ほど水面から姿を現わし、その他にも山羊の頭蓋骨や首を刎ねた野鶏を吊るしたものなどが枝の先から見えるようになった。

「止めろ」

 銃術師が命じ、ジュニアは大急ぎで舟を止めた。間もなく、ぼろ服に金の首飾りや銀の彫刻入り兜、襟にテンの毛皮を使ったビロードのマントを身につけた盗賊たちが筏に乗って、霧のなかから現れ、少女たちに銃を向けた。ジュニアは泣きそうな顔をしていて、ティーグの手下たちに何か言い訳のようなことを言っていたが、恐怖で喉がつっかえて、言葉になっていなかった。

「ティーグに会いたい」

 銃術師が話した。盗賊たちは銃術師のことは知らないし、きいたこともないが、その言葉を軽視しないほうがいいことを本能で察知した。

「お頭に会って、何がしたい?」

「カーディナル・タウンの代言人が起草した私掠許可証を返してもらいたい」

 盗賊たちがお互い頭を寄せ合って、ひそひそと相談した。

「お頭に会いてえんなら、銃は預けてもらう」

「ティーグは銃を?」

「持ってる」

「じゃあ、おれの銃は渡せない」

「お頭と対等の立場で話そうってのかよ?」

「位に意味はない」

 ビロードのマントを羽織った盗賊が銃術師を睨みつけた。銃術師はそれをにらみ返すわけでもなく、霧のほうをまっすぐ向いていた。直接睨まれたわけでもないのにビロードマントの男のうなじの毛が逆立った。銃術師の灰色がかった蒼い眼に煉獄の門を見たような気がしたのだ。

 盗賊のなかで一人、一番小さなカヌーに乗っていた小男が二本の大樹のあいだに湧いた霧へと消えていった。

 しばらくして、小男が戻ってくると、お頭が会う、と言って、後に続くよう、顎でしゃくった。

 ジュニアは恐ろしさで歯をカチカチ鳴らしながら、震える手で櫂を漕いだ。もし、この恐ろしい会見が終わったら、すぐにスワンプバードの町を出て、もっとまともな場所で暮らそうと心に堅く誓った。

 数分後、沼の盗賊たちの集落に着いた。大樹の伸ばした根の上や沼に打ち込んだ杭の上に茅葺き屋根の小屋や屋根付きの回廊があった。どの小屋も粗末な板造りだったが、これまで奪った財宝でごてごてに飾られていた。絵画や銀食器などは沼の湿気で水っぽくなり、錆が浮き価値を失っていたが、盗賊たちは気にしなかった。サファイアをはめた王冠や騎士の物語りを縫い取ったタペストリー、象眼細工を施した黄金の銃がまだ無事だったからだ。

 集落のあちこちで煮炊きをする煙が上がった。今朝網で獲ったばかりのドジョウやカマツカといった川魚がぶつ切りにされ、米と一緒に香辛料をきかせたスープのなかに放り込まれていた。

 先導する盗賊の筏によってティーグの屋敷に案内された。屋敷といっても、他の家より一回り大きいだけで、粗末な建材に豪華な装飾品を無造作に投げつけているのは変わっていない。通されたのはちょっとした露台になっていて、根を泥水に浸した大樹の洞には雪花石膏でつくられた長髪の美青年の像――純白の邪神像が安置され、蝋燭の火がその灯心でちらちらと踊っていた。

 その祠の前でティーグが横になってくつろいでいた。褐色の肌に長い黒髪が印象的な若く、美しい女だった。ヘソが見えるトカゲ革の胸衣と銀貨の首飾りをし、腰にはやや短めだが幅の広い剣が吊るされていた。銃は肩から斜めにかけたベルトに二丁。すぐそばでは料理係らしい少年が大人の手のひらぐらいの大きさがあるオヤニラミのヒレを包丁で切って、毒のある棘を取り除いていた。香辛料と赤ワインをきかせた米とオヤニラミのスープはこの女盗賊の大好物だった。

「あんたたち、あの強欲じじいに雇われてきたそうだね?」

 ティーグは横になったまま言った。銃術師はうなずいた。

「私掠許可証のことだって?」

「ああ」

「あのクソじじい。あたしがあの許可証にいくら払ったか知ってるかい? 星金貨一枚だよ! 相場なら十年は効力のある許可証が作れたはずなのにあいつ、こっちの足元見て、三年しか効き目のない許可証を出しやがった。あのときはこっちも子分は二人しかいなかったからね。あのクソじじいはたかが文書屋の分際でカーディナル・タウンでいっぱしの顔役気取りさ」

「期限の切れた私掠許可証など持っていても仕方ない」

 ティーグは起き上がり、あぐらをかいた姿勢で鉛の円筒型書類入れを取り出した。

「でも、こっちは商船を襲うたびにこいつを見せびらかす。荷を奪われたやつらは署名は見るけど、日にちまでは見ない。だから、許可が切れたことが分からない。これであのケチなクソじじいにたっぷり仕返しをしてやれる。たとえば、ログス侯の商隊に襲撃を仕掛けて、こいつを見せるとかね。あんたたち、あのじじいにいくらで雇われたんだい?」

「答えてもいいが、その前にどうしてそんなことをきくのか、知りたい」

「あのじじいの倍払うから手ぶらで帰ってくんない?」

「それはできない」

「なんで?」

「信用にかかわる」

 ティーグは腹を抱えて笑った。転がって足をバタつかせて、祠の前に敷いた粗い敷き毛布を何度も手で打った。

「信用? 信用って言ったのかい? このくそみたいな世界であんたは人を信用するのかい?」

「おれが信じるかどうかはどうでもいい。問題はおれ以外の人間がおれを信じるかどうかだ」

 ティーグの顔から笑みが消えた。銃術師の真剣さが伝わったからだと少女は思っていたが、実際にはこの女盗賊は銃術師の顔に自分と重なるものを探していたのだ。

「あんたとあたし。意外と似てるかもしれないね」

「そんなふうに自分を卑下するべきじゃない」

「分かった。これ以上、あんたと話してるとそのうち笑いすぎて腸がねじれて死んじまう。ほら、これがお探しの私掠許可証さ」

 銃術師はそれを受け取ると、そのまま少女に渡した。少女にとっての誇らしい瞬間で、自分が銃術師にそれなりに信用されていることを周囲の人間に見せるチャンスだった。少女は鉛の筒から許可証を取り出して、代言人のサインを確認した。

「問題ないわ」

「邪魔したな。食事を楽しんでくれ」

 背を向けた銃術師と少女に、ちょっと待った、と声がかかる。

「今日の出来事を覚えておいてほしい」ティーグはそう言ってから、少し考えて、また続けた。「こっちは返さないって選択肢もあった。でも、返した。こっちはいつだって、あんたと対等で話す準備があるってことを覚えておいて」

 銃術師は振り返り、大きくうなずいた。

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