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ある銃術師の建国記  作者: 実茂 譲
2.王なき地
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簡単な仕事

 嵐は何時間も都を襲ったように思えたが、実際はほんの二十分程度しか経っていなかった。まだ三時にもなっておらず、嵐によって断絶した人々の営みがあちこちで息を吹き返し始めていた。全身ずぶ濡れになった銃術師は暖炉のそばに座り、あまり乾く見込みのないまま、撃ちつくしたリヴォルヴァーを取り出して、弾を込めた。そのうち内陸へと進んでいった嵐が草原のからりとした強い風を吹かせるようになると、銃術師はテラスに出た。服はものの十分もしないうちに乾いてしまった。

 旅籠のなかにはいろいろな人がいた。風刺詩を売る行商人や修行中の見習い指物師、風に干渉できるまじない師、それに内陸部の人々がいた。彼らはどろりとした濃緑の藻にバターと塩をまぜて、焼きたてのパンに塗って食べる変わった食文化を持っていた。旅人同士が情報を交換し合っていた。主に各地の産品の相場や街道にかけられた新しい関所税のことだったが、旅人たちが恐れたのはログス侯の鉄騎隊のことだった。二千を超える鉄騎隊は全身を覆う鎧とリヴォルヴァー、直刃の剣で旅人に襲いかかり、殺して荷を奪ったり、人買いに売り飛ばしたりしていた。戦い慣れた生まれついての戦士たちで平野で戦えばカーディナル・タウンの重騎兵隊では到底敵わず、この周辺の都市はみな青銅砲と砦、塹壕と防護壁で要塞化して、ログス侯の襲来に備えなければならなかった。この他にもログス侯に仕えていない人狩り隊や盗賊団がいたし、金の鬚を生やした銀の仮面の槍騎兵たちを従えた大レダン砂漠の豪族や〈百の塔〉山脈の向こうを支配する魔都の軍隊、僻地に本拠地を持つ暗殺集団など、この〈王なき地〉では武装した軍団が好き好きに暴れまわっていた。それでも少女は自分が生まれたあの地よりはここのほうが状況が良いように思った。〈王なき地〉の人々は少女と銃術師がつい一ヶ月前まで居た土地のことをただ〈最果て〉と呼んだ。〈王なき地〉は〈最果て〉よりもずっと大きな大陸で、一度に五十隻の軍艦が投錨できる港や豊かな自然を利用してあっと驚く絹や羽根帽子をつくる島々がいくらでもあった。少女には、もしログス侯その人を半マイルの距離で見つければ、五二口径のピケット・ターゲット・ライフルで――これには銃身と同じくらいの太さと長さの真鍮製拡大鏡が付随していた――その頭を撃ち抜く自信があった。こうした自信過剰はもちろん銃術師の好むところではないだろうから、少女はそんな素振りは見せないが、それでも自分が放った一発の銃弾で暴君が倒れ、多くの人々から感謝の言葉を浴びるという想像は蜜のように甘美で少女の心にとっても非常に心地良かった。

 銃術師のほうは誰も撃たずに済むのであれば、それに越したことはないと思っていた。ログス侯が目の前に現われても、その自慢の鉄騎隊をけしかけたりしなければ、彼を撃ち殺すつもりはない。ただ、少女は遅かれ早かれ、銃術師がこの暴君と対決する日がやってくると思っていた。なぜかといえば、それは彼が銃術師だからであり、そして、銃術師の行くところ流血は避けられないからだった。

 少女と銃術師は馬とフレイを旅籠に置いたまま、代言人の家へと歩いていった。高台を下ると、傷んだ脂の臭いのこもった屋台の街が待っていた。埃をかぶった生姜入り肉詰めパイや臓物料理を煮る三つ足の鍋が道に迫り出して、屋台同士のあいだにはノミ一匹入る隙間もなかった。いくつかの廃墟では雉や鶏を入れた籠や家畜を閉じ込めた部屋があり、屋台や家畜置き場から流れ出た廃水は街路の中央の窪んだところに集まり、不潔な泡の浮いた汚れた水が坂の下へと流れていった。少女は銃術師の後をついていったが、そこは日雇い人夫や洗濯女、盗人、売笑婦、サイコロ賭博師が住む貧民街で住民は始終酔っ払っていて、半日に一度刃傷沙汰か発砲事件が起きていた。最初はかなりの収入がある代言人がこんなところに家を持つだろうかと疑ったが、考えてみると近所の住民はみな都の法律とのあいだに揉め事を抱えていた。黒を白と言いくるめる口先と法の網をかいくぐる抜け目なさで無罪を勝ち取る代言人はこうした街では重宝され一財産築くことができるのだ。

 代言人の家は貧民街によくある三階建ての建物で一階は靴屋や肉屋、革細工屋に貸して、二階から上は自分で使っていた。他の建物との大きな違いは代言人から法的な助言をもらおうと待っている人の列が建物からはみ出て、道へ死んだ蛇のように長々と伸びていることだった。助言一つにつき、クライン王国金貨一枚か象牙の貨幣二枚、あるいは黒曜石の貨幣二枚の値段がついていた。ざっと見ただけでも、この行列に助言をするだけで金貨三十枚を代言人は手にすることができるのだ。法廷での弁護になると、報酬はエステル金貨か宝石でしか受け取らなかった。少女と銃術師は並んでいる悪党たちに目もくれず、どんどん建物の奥へ進み、階段を上っていった。三階の廊下では代言人見習いの青年が机を出して、客たちの受付を行っていた。銃術師が来ると、羽ペンを動かす手を止めずに、黙って通るように首を動かした。少女と銃術師が代言人の仕事部屋に入ると、代言人はちょうどある密輸業者と話している最中だった。密輸業者の男は肩幅の広いやり手の商人らしい男だったが、彼の密輸船が港湾の税吏に目をつけられ、荷を降ろすことができないでいた。代言人は港湾税吏長に働きかけて、明日の夜、一晩だけなら見張りを外すことができるといった。それだけで十分だった。密輸業者は助言料のクライン王国金貨一枚に口利き料の五枚を加えて、その場で支払った。代言人は屋台の親爺がやるように金貨を噛んで贋物かどうか調べたりはしなかった。代言人はきちんと約束を果たすだろう。

「おお、来たか。銃術師どの。それにそちらは相棒どの――ということになるのかな?」

 銃術師は、何か不満があるのか? と言いたげに目を細めた。

 代言人は、いやいや、あんたが連れて歩くというくらいだから、普通のお嬢さんとは違うのだろう、と取り繕ったように言った。

「報酬はきちんと二人分払う。わしは約束を守る男だ。ためしにそこに並んでいる悪党たちにきいてみるといい」

 青白い肌をした痩せた老人だった。長い山羊鬚が事務机の上に垂れていて、ローブの袖から見えるのは細い枝のような骨ばった手だったが、この鶏がらのような手こそが代言人の貴重な財産だった。世間では誤解されがちだが、代言人に必要とされる最も重要な資質はよくまわる口ではなく、一分の隙もない法律文書を書く能力なのだ。実際、代言人の部屋は革で装丁され鍵をつけた本が床が抜けるくらい大量にしまってあった。こうした文書作成能力があるからこそ、法廷での雄弁さを獲得できるのだ。

「話は簡単なことなんだ」代言人は前置きをはぶいて、鬚をしごきながら言った。「わしは三年前、ある盗賊のために私掠許可証を用意したことがある。その許可証の有効期間は三年で更新が必要なのだが、その盗賊は三年が経過しても無効となった私掠許可証をふりまわして略奪に明け暮れているそうだ。いくら無効とはいえ、起草者の名前欄にわしの名が入っている私掠許可証で盗賊行為をされては害がわしにまで及ぶ。そこで銃術師どのと相棒どのにはこの私掠許可証を取り戻してもらいたい。報酬はエステル金貨で十枚。一人五枚の約束だからな」

 銃術師はうなずいた。

「その盗賊――ティーグというのだが、まあ十人ほどの徒党を組んだケチなチンピラだ。ここから象牙街道を五日ほど東へ進んだところにスワンプバードという町があって、その郊外の沼地に隠れ家を持っている。スワンプバードにはわしが飼いならしておる船頭がおるから、そいつに舟で案内させる」

 代言人は四つ切りの紙を取り出して、素早く何かを書きつけ、最後に自分の署名をした。

「これをスワンプバードの〈くたばりぞこない亭〉という酒場に下宿しているジュニアという男に渡すといい。ティーグの元まで案内してくれる」

 銃術師はその紙を受け取り懐に入れた。

「それで報酬だが、前払いで一人につき二枚、あわせて四枚払おうと思うんだが――」

「全て終わった後で十枚払えばいい」銃術師が言った。その声は氷の洞窟の奥から響く魔王の声のように背筋をぞっとさせるものがあった。「あんたを信用する」

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