143話 聖女の決意(中)
気が抜けた。正直にいうと、それが今の気持ちに一番近いと思う。
ずっとついていてくれたモードさんの口数が少ない。窺うようにしていると、頭を撫でられた。
「モードさんは反対?」
「いや、賛成だ。俺はただ怖いだけだ」
「怖い?」
「聖女様が神託を受けたが、お前もだろ」
口にはしないけれど、手紙を出したのを知っているからだろうな。
「誰かに知られたらと思うと怖いだけだ」
不安そうにわたしを抱きしめる。
心配をかけているな。
ふと腕が緩む。
「でも、お前は頑張った。ありがとう。皆の一番の不安をお前は退けたんだ」
「それは雛ちゃんが」
「俺が知ってるから」
ギュッと抱きしめてくれるから、えへへと嬉しくなる。
「竜侯爵様、お願いがございます」
騎士のひとりに声をかけられる。
何やら話しこみ、顔をあげた。
「わたし、天幕に帰っとくよ」
「誰かと一緒にいろ」
そこに王子が現れた。王子がモードさんに手をあげる。
「ティア、気を付けろよ」
モードさんが騎士と連れ立って歩いていく。
「ハナ、ありがとう」
王子にお礼を言われる。
「お礼は雛ちゃんに。雛ちゃんがご神託を受けたからだもん」
「それもそうだが、聖女様やみんなに話すべきだとハナは言った。言わずにやったらまた誰かのわだかまりになると。今、ここで、連鎖を断ち切ることができる。礼をいう。君には災難でしかなかったけれど、君がこの世界に来てくれてよかった。感謝する」
わたしはなぜか目頭が熱くなったので、頷いて応えた。
その場を去ろうとすると止められて、王子がルークさんを呼ぶ。
ルークさんが見えたので、そちらに歩き出した。ルークさんの肩にクーとミミがいる。
また籠から脱走したな。人が多いから、天幕で待っててって言っておいたのに。
わたしとすれ違った女性がガクンと倒れそうになり、え?と手を差し伸べるとその手をぐいっと引っ張られた。わたしを睨めあげた目には憎しみしかなくて、もう片方で持っていたのはナイフだ。振りかざされて、わたしは反射的に目を瞑り体を縮こませた。
誰かに抱え込まれた。その人がわずかに身動ぎした。
また別の誰かが女性のナイフをはたき落とし、女性は捕らえられた。落ちたナイフに血がついている。
「王子」
ルークさんが駆け寄ってきて、わたしを抱きしめた王子を支える。
「周りを不幸にする魔女め。また助かるのか」
王子がわたしの耳を塞ぐ。自身の傷口から流れる血のついた手で。わたしをみつめて戯言は聞く必要がないと微笑む。
わたしは今まで何を見ていたんだろう。唐突に理解した。王子はわたしを……。
王子がゆっくりとわたしからずるずるとずり落ちていく。
「ハナ様、大丈夫ですから。お前、ハナ様を天幕へ連れていけ。守れ、ハナ様から離れるな」
「はっ」
わたしはひったてられるようにして、連れて行かれる。
ルークさんが何か指示して持ってこさせた。その濃いピンク色の液体を王子にジャバジャバかけている。
「ティア」
モードさんに抱きしめられる。
「モードさん、王子が」
「ああ、最上級ポーションを使ったから大丈夫だ。基礎体力があるからな。もう少しで起き上がれるだろう」
力が抜ける。良かった。手の先が冷たくて、手を手でいじっても少しも温かくならない。無事を聞いても、微かな震えが止まらない。
モードさんは何もできなくてうろうろしていたわたしを座らせる。近くの人に何かを頼み、わたしの前に腰をおろす。心配そうにわたしを覗き込む。
水の入った桶が運ばれてきて、モードさんはそこに手拭いを浸した。絞って、わたしの顔と耳と髪を拭く。
「王子に借りができたな」
「……魔女って言われた」
「残党だろうな。お前がここにいるのは知れ渡っているだろうから、これからも危険があるかもしれない。……オーデリアに帰りたいか?」
「わたしは悪いことをした覚えはないから逃げないよ。でもそのために誰かが傷つくのは怖い」
「怖いな」
と、ギューーッとモードさんが抱きしめてくれた。
「あ、クーとミミ」
今の今まで、わたしはパニクっていたらしい。何も考えられなくなっていた。
モードさんがほっとしたように笑みをこぼした。
「ロイドにひっついているから大丈夫だ」
そこにルークさんがやってきた。モードさんと頷きあい、王子と会うかわたしに尋ねた。
わたしは頷いてルークさんとともに、王子を訪ねる。
見かけはもうピンピンしていた。
「起き上がって大丈夫なの?」
「ハナとは違うからな。ポーションでこの通りだ」
軽口をたたくぐらいには回復したみたいだ。うん、顔色も大丈夫そうだ。
こういう時、なんて言うのが相応しいんだろう。庇ってもらって、怪我をさせてごめんなさい? ちょっと違う気がする。やっぱり……
「助けてくれて、ありがとう」
お礼を言えば、優しい笑顔をくれた。優しさが染みて、胸が痛くなった。ものすごく痛くなった。
雛ちゃんが今日魔力を使っているので、万全を期すために封印の地への出発は明日になった。
みんな今日は自由に過ごすようにと指令が出て、お酒を飲み始める強者たちもいた。
モードさんは気分転換に黄虎に乗せてくれると言う。服にも血がついてしまったので着替えたのだが、モードさんが渡してくれたのは可愛らしい涼しげなワンピースで、黄虎に乗るには不向きなものだ。街に行くんだからと言われて納得していると、ルークさんがその格好にひっつめた髪はあんまりですと、一部可愛く編み込んでくれた。モードさんも冒険者風ではなくシンプルな上下ではあるけどカッコイイ。デートに連れ出してくれるみたいだ。クーとミミを探していると、ロイドといるそうだと言われた。
黄虎に乗る。風がビュンビュン吹いているが、モードさんの魔法に守られて、優しい乗り心地だ。スカートだから横座りでモードさんの膝の上にガッチリ守られている。わたしを抱え込み尋ねる。
「怖かったな。元の世界に帰りたくなったか?」
なんてタイムリーでピンポイントな問いかけを。空の上で逃げ場はどこにもない。……逃げる必要もないんだけれど。
近しい人が怪我をするのは、それもわたしを庇おうとしてだったりしたら、本当にそれはとても怖いことだった。そして、それが王子だったから、余計に複雑だった。
王子はナイフから守ってくれただけじゃなく、傷ついた体でわたしの耳を塞ぐようにして嫌な言葉を聞かせないようにした。王子の想いに気づいてわたしが思ったことは、あなたに想われたり守ってもらう資格なんてないのに。わたしはあなたに酷い態度をとってきたのにという罪悪感だった。
いろいろあって、わたしが召喚に巻き込まれたのは王子のせいじゃないってわかっているのに、そんなことをいう資格もないのもわかっているのに、わたしは何故か、召喚に関して王子を許せないでいた。許すと言えなかった。王子がわたしを庇って怪我をして、そして心も守ってくれようとしていることに気づいて初めて、自分の中にあるその黒い見たくない感情を見ることになった。
モードさんに問われて、答えを難しく思う。
「なんていうか。帰りたいとも帰りたくないとも、違うんだ」
「ティア、ゆっくりでいいぞ。ちゃんと、聞くから」
モードさんにはわかっちゃったんだ。王子がわたしを庇って怪我をして、怪我をしてもなお守ってくれようとして、心の中はパニックなことを。思い返してみれば、王子はいつもわたしを守ってくれていた。わたしは当然と思っていたのかなんなのか、その思いの上にあぐらをかいていたのだ。王子が実際傷つくところを見るまで、考えが及ばなかった。
「もちろん、帰りたい気持ちはある。でも、それはずっとじゃない。家族とか友達とかに会いたいレベルで。わたしはこっちで元気で楽しいからって。ただ、心配かけた人たちにそれを伝えたいだけ。今はもうモードさんと一緒にいたいし。帰れないってわかってから気持ちにケリをつけてきた。だから帰る、帰れないは本当のところ重要じゃない。わたしは、わたしが許せなかったのは……」
黄虎が地上に舞い降りる。
モードさんが先に降りて、わたしを抱き上げてくれる。
「お前が許せなかったのは、なんだ?」
「わ、わたしが許せなかったのは」
見たくなかった感情だ。そこに何かがあるのは気づいていたけれど、見たくなくて放っておきたかった感情だ。考えを巡らせては袋小路にあるこの思いにいつも回れ右してきた。ただ行き止まりだったかのようなふりをして。わたしは目を閉じる。
「……帰りたいって気持ちをなくしたら、向こうで生きてきたわたしが可哀想だと思ったから」
モードさんの手がわたしの両頬に添えられる。ゆっくりモードさんを見上げる。
「わたし頑張って生きてきた。ううん、嘘だ。特別頑張ってない。普通に生きてきた。時々奮起して頑張ったり。楽しいことをみつけて、夢中になったり、いいことがあれば喜んで、頑張ったらご褒美あげて。そんな風に生きてきた。たとえ人からどう思われようと、わたしは精一杯、それなりに楽しく生きてきて幸せだった。幸せだったはずなのに、それを帰れない、じゃなくて帰らないってなったら、今までの自分を否定しているようで、それが怖くて哀しくて許せなかったの」
王子がどうこうで許せなかったわけじゃない。巻き込まれたことを許す許さないは、もう心の中で決着はついていた。それでもしつこく許せないと言ってきたのは、誰のせいでもなくて、今までの自分を否定するみたいで、それが哀しくて、今までの自分が可哀想で、今までの自分が憐れな気がして許せなかっただけ。ただの自分勝手な理由なだけだ。心のどこかでわかっていたのだろう、だから王子と対面すると、それに気づきたくなくて、酷いことも言ってきたし、酷い態度だったと思う。それなのに、そんなわたしを王子は……いつも助けてくれて……。
モードさんがいつまでもわたしの髪を撫でていてくれる。落ち着いてきていつの間にか俯いていた顔を上げると、モードさんが優しく言う。
「お前は思い違いをしているぞ。どこで生きてきたとしても、今までのお前が今のお前を作っているんだ。お前と会って、お前を好きになった奴は、今までのお前を含めて丸ごと好きなんだ」
「わたしそんな理由で王子を許さないって言ってきたんだよ。ずっと苦しめてたのに、助けてくれて。さっきだけじゃない、王子にはずっと助けてもらってたのに、王子が傷ついているのを見て、やっと自分の感情の問題だって認めたんだ。王子が痛い思いをしている時に、わたしは罪悪感にかられるしかできなくて……わたしはそんなひどいやつで……優しくしてもらう資格ないのに」
「それだったら俺もそうだな。俺はティアじゃなく、王子が傷ついたと聞いてホッとした。良かったと思った。それにな、ティアを助けてくれたのに、今お前の心を占めているのが憎たらしいんだ。酷いだろ」
わたしたちはしばらく言葉なくみつめあった。
「もっと、酷いこと言おうか。お前が帰りたいか尋ねたが、帰りたいと言っても、俺はもうお前を帰さない。帰す気はさらさらなかった。酷い者同士、お似合いだな」
………………………………。
「……ほんとだ、お似合いだね」
わたしは歩み寄って、モードさんを抱きしめる。彼もわたしを包んでくれる。
ああ、わたしはこの人の前で自分をさらけ出していいんだと思った。
別に今更善い人面をする気はないし、そう望まれているわけでもないこともわかっている。
でも、好きだから、好きな人だから、よく思われたいって気持ちが働く。
だから醜い心は見えないといいなと、どこかで思っていた気がする。
でも、いいんだ。この人の前ではありのままでいいんだ。
モードさんがわたしの手を引っ張る。黄虎はいつの間にかいなかった。
引かれるままに歩いて、街に入る。きっと数日以内に練り歩いた街だろうに、記憶になかった。
聖女の訪れた街と幟が立っていて、苦笑いしてしまう。
モードさんがジュースを買ってくれる。お店の人はあんたたち運がいいねぇ。今日は聖女様が訪れた記念でおまけがいっぱいだとジュースもマシマシで入れてくれた。
お礼を言って屋台を離れる。
串焼きもおまけ付きだ。甘い飴細工みたいのも買ってもらって、手を繋いで街を歩いていると、だんだん気分も上向きになってくる。モードさんが足を止めた。
「ティア、教会だ」
「うん」
「結婚しようか」
「え? どうしたの、急に?」
「婚約してるんだから、急じゃないだろ」
「モードさん、危険区域に行くけど、危険はないよね?」
だってこのタイミングで結婚しようって、なんかフラグみたいで怖いんですけど。
「危険は……わからんが。教会があったから、いいかなと思ったんだ」
「そんなふらっとするものでいいの?」
「お前が良ければな」
「じゃぁ、結婚する!」
勢いで言ってるような自分に唖然としながらも、素直になれている気がした。嫌な感情と向き合ったからか、放出したからか。それでも、そんなわたしを受け止めてくれたからか。
それにこれはフラグじゃないよね。そうだよ、フラグにしなければいいんだもん。大丈夫だ。
手続きをして、手を繋いだまま教会の一室にふたりで入る。
神様の像の前にある、楽譜台みたいのがあって、本が置かれている。その下には指輪を置くためのスペースなのか、リングピローのようなふかふかなクッション入りの入れ物があった。モードさんはポケットから指輪を出した。そこにふたつの指輪を置いた。
モードさんは用意してくれていたんだ。そしていつも持ち歩いていてくれたんだ。
指輪を置くと、楽譜台に置かれた書がひとりでにめくれた。
モードさんがわたしに向き合う。
「この部屋は何人も干渉することができない、音も決して拾うことのできない部屋だ。俺にも、もし一生を共にしたい護りたい者ができたら、真名を伝えたいと、呼んで欲しいとそう思ってきた。だから告げるが、別にお前の真名は言わなくていい。俺の真名はステアロードという」
心の中で繰り返し、そして言葉に出す。
「ステアロード……さん」
「ステア、でいい」
「ステア」
わたしが呼ぶとモードさんは軽く目を瞑った。
「わたしも呼んで欲しい。乃亜。樋口乃亜っていうの」
「のあ、か」
なぜか涙が出た。モードさんの指で涙が拭われる。
40年以上呼ばれてきた名だ。もう、こちらでは必要ないと思った響き。もう、そう呼ばれることなんてないと思っていたのに。
「俺は、のあと、一緒に時を過ごしたい」
「わたしも」
ああ、名前を呼ばれるだけで、こんなに簡単にわかることだったんだ。向こうの世界のことも、何ひとついらないものじゃなかった。黒髪に黒い瞳のちょっと不機嫌顔のわたしが、歩み寄ってくる。姿の変わったわたしは別物のような気がしていたけれど、そんなことはなかったんだ。わたしは、わたしだった。そう思えた時、元のわたしと今のわたしがピタリと合わさった気がした。
「俺は、のあを愛している。命ある限りお前を護る。護らせてくれ」
「わたしもステアを愛してる。あなたが護ってくれるみたいに、わたしもステアを護るから」
大好きな優しい笑みだ。
わたしの手を取り、書の上で手を重ねる。
空中に誓いの言葉が浮かびあがる。
「私、ステアロードは、神の御前において、妻・のあを愛し、生涯守ることを誓います」
わたしのパートの文字が浮かび上がる。
「わたし、樋口乃亜は、神の御前において、夫・ステアロードを愛し、生涯共にあることを誓います」
モードさんがわたしの薬指に指輪をはめてくれた。
キラキラ輝く宝石が入った細いカットの素敵な指輪だった。わたしの薬指にピッタリだ。いつの間にサイズを。わたしも指輪を手にとり、モードさんの薬指に指輪を通す。キラッと指輪の宝石が光を反射する。
そうして顔が近づいてきて、わたしたちはお互いに護り合い、共に生きていく約束を交わした。
班ごとに焚き火が炊かれているからか、あたりは明るい。
バラックさんとロイドがなぜか意気投合していた。
王子が普通にしている。もう本当に大丈夫なようだ。心からホッとした。
『ティアー』
『ティア〜』
胸に飛び込んできたふたりの頭を撫でる。
戻ってきたわたしたちを見て、王子が目ざとく祝福してくれる。
「おめでとう。結婚したんだな」
わたしは心からお礼を言った。
「ありがとう」
ずっと守ってくれてありがとうと、気持ちを込めて。
『ティア、嬉しいんだな。にゃら俺しゃまも嬉しいぞ』
「ありがとう」
クーに頬擦りだ。
『結婚しゅたのね、おめでとう』
「うん、ありがとう」
ミミに頬擦りする。
『コウビしゅたの?』
「……それはまだ」
『しゅる時は言ってね。母しゃまが、しゅるときは一緒にいちゃダメって』
知ってる。日記に添削っていうか、返信というかに、書いてあったね。
「わかった」
ありがたいんだか、気恥ずかしいんだかわからないけど、頷いておく。
「おお、ついに結婚したのか。おめでとう」
「ありがとうございます」
バラックさんにもお礼だ。
「おめでとう。赤子でも結婚するんだな。人はすごいな」
「ありがとう、ロイド」
「ありがとうございます」
わたしの肩に手をかけたモードさんがみんなにお礼を言う。
コホンと王子が咳払いをする。
「この際、早く子供を産め」
「俺たちの速度でいくので」
モードさんが言って咳払いをする。
「2男3女だろう」
「勘!?」
思わず素で、大きな声で反応してしまう。
王子は頷いた。
「ハナの娘は私が嫁にもらってやる」
生まれてもないっていうか、できてもいない子のことで何を言う。
「子守は得意だ」
ロイドの言葉は説得力がありすぎる。
「俺も番にしてやるぞ」
バラックさんまで。
「ハナ様とモード様のお子様なら、パーフェクトな拷問の仕方を教えて差し上げてもいいですよ」
それ、おかしいから、ルークさん。
全くみんな気が早過ぎだ。
「俺たちの子のいく末を案じてくれるのは嬉しいが」
そーだよ、モードさん言ってやって、気が早いって。
「娘の気持ちを尊重するからな」
モードさんもか。
わたしはよく現実主義だと言われた。ファンタジーとか好きなくせに、現実的だと。
今も変わらずそうで、気が早すぎだと思うけれど、まだ不透明な未来を語らう、嬉しくて優しい時間が少し心地いいのはわかると思った。未来を語らう人たちがいることを嬉しく思った。
読んでくださって、ありがとうございます。
211202> 登りが→幟が
誤字報告、ありがとうございましたm(_ _)m
211205>災害→災難
適切に、ありがとうございましたm(_ _)m




