目覚め
高校最後のイベントである卒業式は呆気なく終わり、俺は適当な友人達と飯を食べたりした後、帰宅と共にベッドに倒れこんだ。
一部のクラスメイトは別れを惜しんで涙を流していたが、今日一日を通して、俺にそんな感慨は一切沸いてこなかった。
何の感慨も得られない自分は、もしや異端の存在――などと、昔は本気で考えていたものだ。
自分は異端でも何でもない。ただ感受性と感情表現が人より少し劣っただけの、平凡な人間だ。
平凡さを自覚して、故に少しだけ捻くれてしまった、ただの人間だ。
「(もう、寝よう――)」
自分には平凡な人生がお似合いだ。自分に出来ることだけをして生きていけばいいのだ。60点位の人生を目指して、55点ぐらいの人生に落ち着こう。
「(これからの人生もそんなふうに、毎日を淡々とこなしていけばいい――)」
後から思い返せば。
そんな俺の下らない展望は、この日を最後に潰えたのだった。
◆ ◆ ◆
どこか懐かしいような湿った土の臭いに鼻腔をくすぐられて、俺は目を開けた。
薄暗い視界の中で目の前にあったのは、苔むした灰色の壁。そしてその壁は俺の周囲1メートル程を円状に囲っており、つまりは井戸のような形をしていた。
それならばと、俺は顔を上げて真上に視線を向ける。10メートル程も先に、丸く切り取られた夕焼け空が見えた。
「(ここは……枯井戸か?)」
寝起きの頭で推察できたのは、その程度のことであった。そしてそれを認識して次に頭に浮かんだのは、当然の疑問であった。
「(……なぜ?)」
確かに昨日は疲れていて、帰るや否やベッドに倒れこんだのは憶えている。それから眠りに落ちるまでの僅かな時間に、いつもの下らない夢想をしていたことも記憶にある。
だが、この状況はなんだ。なぜ井戸の底にいるのか。そもそもこれは現実なのか――そんなパニックになっていた俺の脳内は、外部からの刺激により俄かに静まり返った。
「おい――まだ庭の掃除が終わって――もう日が暮れちまう――さっさと――」
井戸の外から微かに聞こえた声。内容は聞き取れない部分もあったが、近くに人がいることは確かである。俺は目一杯息を吸い込むと、18年の人生の中でも最大音量の叫び声を絞り出した。
「だーれーかー! たーすーけーてー!」
自分がなぜこんな状況にいるのかは分からない。だが少なくとも、岩壁を道具も無しに10メートルも登れる才能は自分には無い。確実に。だから俺は恥も外聞も捨てて叫び続けた。
それは10秒であったか、あるいは1分であったか。全身全霊で叫び続けていた俺の努力は、奇跡的に報われることとなった。
「誰か、いるんですか?」
見上げるばかりだった丸い空の端から、おずおずと小さな影が現れたのだ。投げかけられた声は小さく、か細いものであったが、俺にとっては間違いなく救いの糸であった。
「助けてくれ、頼む!」
俺の必死の呼びかけに対し、影はしばらく黙り込んだ後に、「……お母さんに聞いてみます」と言って姿を消した。
程なくして、再び上から声が聞こえた。俺が最初に耳にしたと思われる、女性にしてはやや野太い声だ。
「おおい! 本当にそこに誰かいるんかね!?」
「そうです! 助けてください!」
相手が年上らしいということと、まさしく命綱を握られているという状況から、自然と敬語になってしまった。そして、声の主らしき影と、先ほどの小さな影がまたも頭上に現れた。
「なんだってそんな所に……まあいい、ここに縄でもかければ固定できるだろう。おいアンタ! 納屋から適当なモン持ってきな!」
「は、はい!」
小さな方の影が頭上から消える。一時はどうなるかと思ったが、なんとか一命はとりとめたようだ。俺はようやく一息ついた。
しかし気のせいだろうか――大きな影はやけに耳が大きく見えたのだが。




