初試合
俺の入場と同時に観客席が沸いた。それは俺を応援するものではなく、これから無惨に殺される人間に向けての悪意を含むものであったが。
「そして対戦相手の入場です! 屈強なる迷宮の守護者、ミノタウロス選手!」
反対側のゲートから姿を現したのは、頭部が牡牛の形相をした大男だ。その身はがっしりとした筋肉に覆われ、俺の背丈よりも長い大斧を携えている。こんな怪物と普通の人間を闘わせるのが『闘技』とは皮肉にもならない。
「おい! びびってんじゃねえぞ人間!」
客席から怒声が聞こえてくる。そういえばセーレとソフィアはどこにいるのだろうか。
「それでは第5試合――始め!」
そんなことを考えているうちに、試合開始を告げる声が響いた。
「ブヲオオオオォォォ!」
それと同時に、ミノタウロスが猛然と雄叫びをあげながら突進してきた。その巨体からは想像もつかないほどに素早い。その気迫に思わず後ずさってしまうが、ここで退いては勝ち目は無い。俺は気を持ち直し、迫り来る巨体を真っ直ぐに見据えた。
『魔力による肉体の強化は単なる筋力や防御力の向上に留まらない。高い集中力があれば動体視力や思考力の向上も可能である。ただし、元となる肉体で不可能なことはイメージがし難いため、死徒によって限度は異なる』――
本にあった通り、意識を集中させれば怪物の動きがはっきりと目で追える。俺は紙一重で怪物の突進を回避した。
「ブルルルル、オオオオオォォォ!」
怪物は避けられたのを気にも留めず、再度向かってくる。その速度は凄まじいが、動き自体は単調だ。今度はすれ違い様に隠し持っていた包丁を怪物の脇腹に突き立てた……筈であった。
「ッッ!」
突き立てた筈の刃は分厚い筋肉の鎧に阻まれ、怪物に傷一つ与えることはできなかった。
(まあ、そうだよな)
こんな怪物に包丁一つで勝てるとは思っていない。俺は大して落胆もせずに次の一本を取り出す。対するミノタウロスは、俺が回避することを学んだらしい。斧を構えるとゆっくりと歩み寄ってきた。こうなると先程のようにはいかず、俺はジリジリと下がり壁に追いやられる。
「何やってんだ闘え! 反撃しろ!」
そんな野次に一瞬気をとられた瞬間。
「オオオオォォォォ!」
(あ、やべ)
思わず腕でガードしたのが間違いだった。魔力による強化を図ったはずの俺の右腕は、あっさりと千切れ飛んだ。それを見た客席から歓声があがる。
「おおっとケイ選手、早くも絶体絶命か!?」
アナウンスの煽りが入る。一方の俺は、自分の右腕の断面を見ながら奇妙な感覚を覚えていた。
『死徒はその肉体が仮初めであるが為に、微妙な魔力によって意図的に痛覚を遮断することもできる。戦場で死徒の兵士が恐れられる一番の理由がこれだ』
右手を切り落とされたのはショッキングな光景ではあったが、その痛みはあの夜、ログにやられたものよりも圧倒的に少ない。痛覚がないのは戦闘においては有利かもしれないが、考えていた以上に不気味なものだ。
ミノタウロスが止めを差すべく再度斧を振り上げる。その大振りな動きは俺が手負いと読んでのことだろうが、あまりにも単純だ。俺は怪物の動きを見ながら慎重に、かつ最低限の動きで回避した。
「おおっとケイ選手、なんとか回避したが万事休すか!――――おや?」
過剰を盛り上げていたアナウンスが止まる。俺の右腕の切断面から白い煙が立ち昇っていることに気づいたのだろう。予想外の光景を目にしたためか、ミノタウロスからの追撃も来ない。
そうして多くの目に見守られる中――俺の右腕は、元の通りに再生していた。
(なるほど)
確かにこれなら死なずに済みそうだ。再生した右腕は動かすのに全く支障はない。もっとも、気分的な違和感は拭えないのも事実だが。
「さあ、悪く思うな」
俺は魔力で身体能力を強化し、ミノタウロスとの距離を詰める。そこまで速い動きではなかったが、虚をつくことには成功したようだ。固まったままの怪物の背後から首元にしがみつき、急所であろう眼を狙って今度こそ刃を突き立てた。
「ブヲオオオォォォォ!」
雄叫びをあげるミノタウロス。しかしよろめきながらも、圧倒的な膂力で俺を振り払った。
「!!」
俺は盛大に吹っ飛ばされたが、ついた傷は浅い。全身から血の代わりに早くも白い煙が上がっていた。
目玉を抉られた痛みに悶えるミノタウロス。勝機は今しかない。俺は再度距離を詰めると、目が潰れて死角となった右側に回りこむ。そして飛び上がって先程突き立てた包丁を掴むと、思い切り奥へと押し込んだ。
「ヲオオオオオオォォォォォ!」
激痛で暴れまわるミノタウロス。俺はその動きに振り落とされそうになるが、かろうじて踏みとどまる。これが致命的な一撃を与える最後のチャンスかもしれないのだ。
「オオオォォォ……」
暴れていたミノタウロスの動きがようやく止まり、その場に倒れこんだ。俺は返り血に塗れた自分の体を見ながら、ようやく一息ついた。罪悪感がないといえば嘘になる。しかしそれを上回ったのは、自分が本当に死ななかったことへの安堵であった。
ふと気がつくと、先程までの喧騒が嘘のように観客席が静まり返っている。沈黙の間を縫うように、ボソボソとした声が耳に入った。
「おい、今の、何だ……?」
「あいつ人間だろ!? さっき腕を切り飛ばされたよな!?」
当然のことながら、俺が人間ではないことは早くも露見したようだ。観客の中には、俺が死徒あることまで気づいた者もいるかもしれない。俺は足早に控え室へと向かった。
呆けていたバニーガールが慌ててマイクを取る。
「えー、ただいまの試合ですが、なんというか、その……人間のケイ選手、まさかの逆転勝利です!」
俺は深く追求されないうちに、そそくさと控え室に戻った。
観客席では、一人の獣人が頭を抱えていた。
「ありえねえ……なんであの野郎、生きていやがる。おまけに、死徒になっただと……?」
ログは呆然と立ち尽くすしかなかった。彼はあの夜に主人を怒らせたために(それは彼にとって理不尽そのものであったが、)殺されかけ、屋敷を逃げ出してかつて共に悪事を働いていた仲間のもとを転々としていた。
自分が殺した筈の人間が生きている。それも不死身の肉体となって。その事実から考えられるのは、あの人間がお伽噺だと思っていた存在――死徒になった、ということだった。
「ありえねえ、ただの人間が死徒になるなんて……」
「ええ、仰る通りです」
「なっ!?」
突如背後から声を掛けられ飛び上がるログ。その視線の先にいたのは、いつか出会った不気味なマスクの男だった。たしか、元の主人がラウム商会長とか呼んでいたか。
「あの人間はまず間違いなく死徒でしょう。問題は、誰が彼を死徒にしたのか、です。どうやら君は、何か知っているようですが?」
ログは息を呑んだ。この男の威圧感は尋常ではない。下手な態度をとれば殺されるかもしれない。
だがこの男に取り入れば、あの憎らしい人間と、俺を殺しかけたあの女に復讐できるのではないか――ログは媚びた笑みを向けた。
「ええ、実は心当たりがあるんですよ、旦那。奴とは因縁がありましてね……」
「それは良い。実は私も彼と因縁がありましてね。売った商品には責任を持たねばなりませんから」
男はマスクの下で微笑んだ。
「まずは情報収集といきましょう。これからあの人間を連れてきたという管理局に向かいます。貴方も道すがら、詳しい話を聞かせていただけますか? 勿論、相応の謝礼は用意しますよ」
ログは心の中でニヤリと笑った。願ってもない提案だ。
二人の男はいつの間にか観客席から消えていたが、それを気にかける者はいなかった。
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