控え室にて
試合開始を告げる声と同時に、人狼が一瞬で距離を詰める。重厚な鎧を纏ったリザードマンの反応が一瞬遅れた。その隙をついて後ろに回り込んだ人狼が、その豪腕でリザードマンの頭部を兜ごと掴み、そのまま一回転させる。
リザードマンの手から大剣が落ち、後を追うように巨体がゆっくりと崩れ落ちた。
「なんと!? あまりにも呆気ない決着! 勝者は……シバ選手!!」
人狼が勝利の雄叫びをあげる。客席からは割れるような歓声と罵声が上がっていた。
なるほど、闘技場の名は伊達ではない。ここは殺し合いの場だ。数人掛りで会場から運び出されるリザードマンは、ピクピクとその四肢を痙攣させていた。
そんな様子を眺めていると、後ろから声がかけられた。
「やあ、キミも出場するのかい?」
声の主は人間だった。しかし、普通の人間ではない。見るからに高級そうな紫のローブを纏い、手には30cm程の宝石が埋め込まれた杖。おそらくは魔術師というやつだろうか。
「そうだけど、何か?」
「可哀想だと思ってね。その身なりじゃ、いつものショーの相手役だろう?」
なるほど、古代ローマで罪人が猛獣と闘わされていたように、ここでもそういった余興があるということか。最も、出場するのは罪人とは限らないようだが。
「そっちは随分と余裕そうだな」
「当然さ。僕は人の身でありながら数多くの魔物を葬り続け、とうとう『ウィザード』の称号を手にしたエリートだからね! 今ではここの人間の中でも人気筆頭さ。キミのような奴隷とは違うんだよ」
男は勝ち誇ったような顔で肩を竦めた。よく見ればそれなりに整った顔立ちで、人気があるというのも納得だった。鼻持ちならない奴ではあるが、魔術という自身の力で勝利を収めてきた男のことを、俺は悪く言う気にもならなかった。
「では奴隷君、そこで見ているといい。僕の華麗なる勝利を。冥土の土産には十分だろう!」
男は最後までペラペラと喋りながら、会場に向かって行った。程なくして、会場からのアナウンスが響く。
「さあ第3試合、テンプルウィザードのクレス選手の入場です! クレス選手はここまで7勝0敗! 今日はどんな魔術で勝利を掴むのか!」
クレスと呼ばれた男は不適な笑みを浮かべたまま、怒声と歓声の飛び交う観客席に向けて手を挙げる。その姿には確かにベテランの貫禄があるように見えた。
しかしそんな彼の態度は、続くアナウンスの声によって呆気なく崩れることとなる。
「対するは、本闘技場の出資者の一人でもあります、土精のウルバン選手!……の、筈でしたが、急遽体調不良のため選手交代となります!」
会場がざわめく。
「代わりの出場者はウルバン氏が所有する魔物! 無慈悲なる魔造の悪魔! ガーゴイルの『オグマ=Ⅱ型』選手です!」
アナウンスと同時に、会場から割れんばかりの歓声があがった。
「おい、どういうことだ! 急な選手交代、それも魔力耐性の高いガーゴイルだと!?」
一方のクレスは狼狽しきった声でバニーに叫んでいるが、実況席にいる彼女は全く気にした様子もない。
「会場の皆様、ご安心ください! このガーゴイルはウルバン氏自らが手を加えた逸品! ご本人に全く引けを取らない実力とのことです! よってオッズの変更はございません!」
「ふざけるな! ガーゴイルといえば魔術師の天敵だろう!? あまりにもフェアじゃない!」
どうやらあの男は嵌められたらしい。魔術師とはいえ、人間が勝ち進むのを歓迎しない者は多いのだろう。そして偶々、今日が処刑の日だったということだ。
その証拠に、人気筆頭だと言っていたあの男の負けは確定しているというのに、会場は不満の声よりも圧倒的に大きな歓声で埋め尽くされていた。
そうしていると、反対側のゲートから灰色の彫像が数人がかりで運ばれ、クレスの真正面に設置される。あれがガーゴイルという魔物だろうか。
「それでは第3試合――開始!」
無慈悲にも試合開始の宣言がされると共に、石にしか見えなかった彫像がゆっくりと動き出した。片方だけで人間一人を包み込めるほどの翼を広げ、足元を繋いでいた鎖を引きちぎる。そして鰐のような顎を向けると、男を目掛けて一直線に飛び掛かった。
「ゴガアアアアアァァァァ!」
「……っ! 畜生が! 《聖導の捕縛網》!」
クレスの声と共に、ガーゴイルとの間に何本もの光の柱が立ち昇り、更にその間に網目状の光の線が張り巡らされた。突進してきたガーゴイルは網に捕らわれる。しかし――
「グ、ロアアアァァァァ!」
咆哮と共に、光の網は呆気なく引きちぎられた。
だがその間に後退していたクレスが、すかさず追撃の呪文を唱える。
「銅像がもどきが、灰になりやがれ――《聖女の鉄槌》!」
上空から降り注いだ鈍色にの光弾がガーゴイルに直撃し、観客席に届くほどの爆風が巻き起こった。
「ハア、ハア、やったか……?」
しかし彼の願いも虚しく、煙の中から現れたガーゴイルが目にも留まらぬ速さで飛び掛かる。無常なことに、その身には傷一つ負っていない。そして呆気なく、ガーゴイルの手が男の心臓を貫いた。
「嘘だ、俺が、こんな……」
男の口がパクパクと動くが、それを全く意にも介さず、ガーゴイルは機械的に手を引き抜き、握っていた赤黒い物体――おそらく心臓を握りつぶした。クレスが地面に倒れ伏すと同時に、会場から一斉に歓声があがった。
「ここで決着! 連勝中のクレス選手でしたが、遂に敗れました!」
会場中が沸き上がる。この闘技場で開催されるのは、最初の試合のような強者同士の真っ当な戦いばかりではないのだろう。
「第5試合に出場されるケイ選手ですね?」
俺に呼び掛けたのは、受付にいたオークの男だ。
「次の試合になりますので、ご準備をお願いします」
「準備、と言われても」
俺は唯一の武装である、屋敷から持ってきた包丁を見せる。そんな俺の様子を見て、オークの男は哀れむように言った。
「手紙や言伝があれば聞きますが?」
なるほど、そういう意味での準備か。ここではただの人間が出場することは死とイコールなのだろう。
だが幸いなことに、俺は既に死んでいる身だ。
「大丈夫ですよ、お気遣いありがとうございます」
「はあ、そうですか……」
人間に同情してくれるとは人のいいオークだ。そんなことを考えているうちに、俺の番が来たようだ。
「さあ続いて第5試合! 本日最大オッズの試合となります! 果たして奇跡は起きるのか!? 人間の奴隷、ケイ選手の入場です!」
俺は入場口に向かいながら、オークの男に言った。彼は事前確認の担当者。つまりこれから起きることについて、何らかの責任を取らされる立場である。
「頑張りましょう、お互いに」
いよいよ初陣だ。死徒の力とやらについてもこれではっきりするだろう。逸る鼓動を抑えながら、俺は闘技場へと向かった。
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