九話 怪しい四人組
「もしもし、俺俺。は? 詐欺じゃねえよ。狭間日丸だ。忘れたのか?」
伝説の先輩の話を聞くために、漱はOBである狭間を呼んだ。
その狭間が、今度はもう一人のOBである鷲尾崎を呼ぼうと電話をかけている。
「今、高校の部室にいるんだよ。文芸部の。せっかくだし鷲尾崎も……勉強? 数時間程度だべったくらいで、受験に失敗するかよ。息抜きだ、息抜き」
狭間の声からして、電話越しの鷲尾崎は渋っていると分かる。浪人中の予備校生を誘っているのだから、渋りもするだろう。
「小早川が困ってるみたいでな。可愛い後輩のために、一肌脱いでやろうって気概は……ない? お前、それでもOBかよ。いや、分かるって。受験勉強で大変なのは分かるが」
「狭間先輩、無理に誘うのは悪いですよ」
的場が見かねて声をかけた。優しい少女だ。
「……ん? 今の声? 新入部員だ。そうそう、一年。女の子みたいな声って、女子だから当然だろ。まさかお前、一年に手を出そうってんじゃないよな。勉強で大変なんだろ。女にかまけてる余裕があるか?」
的場の声が電話の向こうにいる鷲尾崎にも聞こえたのか。
漱の知る鷲尾崎は、女子と付き合った経験のない地味な男子だ。しかし、伝説の先輩目当てで入部したように、女性が嫌いなわけではない。
「タイプって……文学少女。今風の女子高生じゃないな。優しい子だぞ。俺が汗をかいてたら、タオル使いますかって言ってくれた。初対面の変な男に、自分のタオルを貸そうとしてくれる子なんて、今時いるか?」
「狭間先輩が変な人じゃないって分かったからですよ。小早川先輩が話してくれたように優しい人でした。私にも警戒心はあります。変な人だったらしません」
「聞こえた? マジでいい子だよな。だからって、手ぇ出すなよ。俺が狙ってるんじゃねえよ。小早川が……」
狭間は、漱と的場の関係を邪推している。
漱は訂正しなかった。ムキになって否定すれば、的場を嫌っているように聞こえないか危惧したためだ。
「んじゃそれでいい。小早川たちにも聞いてみるが。ああ、じゃあ後で」
話がまとまったのか決裂したのか、狭間は電話を切った。「後で」と言っていたし、まとまったのだと思うが。
「部室じゃなくて喫茶店かどっかでって話になったが、いいか? あいつ、涼しい場所で勉強したいんだと。部室は扇風機しかなくて暑いから嫌だとさ」
条件付きというわけか。
漱は問題ない。部室が暑いのはその通りだし、クーラーの効いた喫茶店の方が話もはかどる。
ただし、的場が気になる。クーラーが苦手で、コンビニに短時間いただけで寒そうにするほどなのに、喫茶店に長時間いられるだろうか。
「俺はいいんですけど」
的場の顔を見れば、小さく頷いた。
「私もいいです。ただ、一度帰らせてもらっていいですか? 制服であっちこっち出歩きたくないので、着替えたいんです」
「真面目だねえ。んじゃ決まりでいいな。鷲尾崎にも連絡入れとく」
「場所が決まったら、俺にも教えてください。的場さんと二人で行きます。ショッピングモールのどこかですよね?」
「この辺だとそこしかないだろ。田舎は嫌になる。俺の通う大学の近くには、色々あるが」
狭間の通う大学は東京だったはずだ。ここよりもずっと都会に違いない。
狭間が部室を出て行き、漱と的場が残った。
「俺たちも行こうか」
「はい。お菓子、あんまり食べられませんでしたね」
大量のお菓子が詰まったリュックサックを背負い、的場は帰宅準備を整える。
「それを持ち帰るために、着替えるって言ったの?」
「理由の半分はそうです。真夏の部室になんて置いておけませんから。着替えたいのも本当で、この格好で喫茶店に行くのは寒いですよ」
「俺が持って行こうか? 重いでしょ」
「平気です。小早川先輩はお先に行ってください」
的場が平気と言っているし、漱も引き下がる。
漱が持つということは、的場の家まで一緒に行くという意味になる。許可してくれたならまだしも、強引に家までついて行く度胸はない。
「バス停で待ち合わせにしよっか。ショッピングモール近くのバス停」
「分かりました。超特急で着替えてきます」
「急がなくていいよ」
とは言ったものの、的場の性格からして大急ぎでくるのだろうと思った。
部室を出て鍵を閉め、外へ。
昼の四時である今も、西に傾いている太陽が燦々と輝く。真上にあろうと西にあろうと、いずれにせよ辟易する暑さだ。
帰宅する的場と一旦別れ、バスに乗ってショッピングモールへ向かう。漱は面倒なので帰宅せず、制服のままで行くつもりだ。
東京などでは、バスの運賃は前払いだと聞いたことがある。ここらは後払いで、後ろのドアから乗り込み前から降りる。乗る時に整理券を取り、行き先に合わせて規定の運賃を支払うのだ。
ショッピングモールまでは三百円少々だった。
バス停を降りてから、申し訳程度に設置されている屋根の下でベンチに座る。
バスの本数は多くなく、今の時間帯なら一時間に四本程度だ。おおよそ十五分間隔で到着するので、的場がくるのは三十分後か四十五分後か。
と思っていたら、十五分後のバスでやってきた。よほど急いだと見える。
「お待たせしました!」
「あんまり待ってないから大丈夫だけど……何、その格好?」
的場が早かったことよりも、彼女の服装に呆気に取られていた。
実は、密かに楽しみにしていたのだ。的場はどのような私服なのかと。
派手な服は着そうになく、かといってヒラヒラフリフリの可愛らしい服も避けるだろう。お淑やかなワンピースあたりかな、などと想像していたが。
悪い意味で想像を裏切られた。
的場は上下ジャージ姿だったのだ。ジャージに不釣り合いな学校の通学カバンが浮いている。
近所のコンビニに出かけるわけでもないのに、華の女子高生がジャージ。真夏なのに長袖長ズボン。
「普通の服にしようよ。なんでジャージ?」
「喫茶店に行くなら、夏服は寒いと思いました」
「カーディガンを羽織っておけばいいじゃん」
「真夏なのに変な子だって見られちゃいます」
「いやいや、ジャージの方が変だって」
「学校の体育で着るジャージですよ。変じゃありません」
的場の感性が理解できない。漱はジャージの方が遥かに恥ずかしいと感じるが、的場は違うのか。
好意的に解釈するなら純朴となるし、構わないといえば構わない。
「他の人は、部活動なんだなって思ってくれますって。運動部に所属しているんだって。私が文芸部だなんて知らないんですから」
「そういう考えもあるか。とりあえず移動しよう」
狭間と鷲尾崎が待っているであろう場所へと移動する。
夏休みということもあり、ショッピングモールには若者が多い。カラオケやゲームセンター、ファーストフード店などで、友人同士で楽しんでいるのだろう。
漱たちが向かう先は、世界規模で展開している有名なコーヒーのチェーン店だ。
店の前では、ご丁寧に狭間が待っていてくれた。
「なんでジャージ?」
狭間の第一声も、的場の服装への突っ込みだ。漱にしてくれたのと同様の説明を繰り返せば、狭間はなんとも言えない顔になる。
「こ、個性的だね」
「先輩って気遣いができますよね。俺なんか、ドストレートに変って言っちゃいましたよ」
チンピラ風の外見にもかかわらず、狭間は言葉選びに気配りができている。
それにしても怪しい三人組だ。
漱は普通の制服。的場は上下ジャージ。狭間はチンピラ風。
目立つことこの上ない。自意識過剰かもしれないが注目されているような錯覚を覚え、さっさと店内に入る。
「鷲尾崎はもういるぞ。テーブルの上に参考書やノートを広げて勉強中だ」
「先輩も店内にいてくれてよかったんですよ。外で待っていてくれたのはありがたいですけど、暑いですよね」
「理由はすぐに分かる」
意味深な発言をした狭間だったが、漱も納得した。
二階席に行けば、一際目立つ青年がいたのだ。
「先輩、あれなんです?」
「俺に聞くな。あいつと二人でいたくないから、暑いのを我慢して外で待ってたんだよ。気持ちは理解してもらえると思う」
「理解できます」
黙々と勉強に集中している彼が、漱の先輩である鷲尾崎だとは思う。
断定できないのは、格好が怪しいからだ。
サラリーマンのようにスーツを着ている。しかも、真夏なのに上着を着用しネクタイを締める周到ぶりだ。クールビズという単語は、彼の辞書になさそうである。
細いフレームでシャープな印象を与えるデザインの眼鏡は、高校生の頃からかけていた鷲尾崎のトレードマークだ。真っ黒な髪の毛をぴっちり七三分けにしていると、生真面目なサラリーマンに見える。
眼鏡はいい。スーツや髪型も、まあいい。
店内なのにマスクまでつけているのはなぜだろうか。
多くの突っ込みどころと疑問を抱えつつ、鷲尾崎のいる席へ近付く。
「部長、お久しぶりです」
「うむ、久しぶり。小早川は変わっていないようで何よりだ。このバカの姿を見た時は頭痛がしたぞ」
「お前にだきゃ言われたくねえよ」
バカと言われた狭間が反論した。
こればかりは、狭間に同意したい。頭痛がしたと言っている鷲尾崎の気持ちも分かるが、真夏なのにスーツでマスクの男に言われれば狭間も反論したくなる。
「俺の先輩たちは、どうしてこんなに……」
嘆いてしまう漱を責められる者はおるまい。
嘆いてばかりいてもなんなので席に着く。ファミレスのようなボックス席で四人座れるため、漱と的場が隣同士で、狭間と鷲尾崎が隣同士だ。
的場の紹介もしたいが、荷物を置いて先に飲み物を買ってくる。
「狭間、僕の分も頼む」
「金は払えよ。コーヒーでいいのか?」
「うむ、ドリップコーヒーのグランデだ」
先に到着していた鷲尾崎は飲み物を買ってあったが、飲んでしまったようだ。狭間に買ってきてくれるよう頼んでいた。
サラリーマンがチンピラをパシリにする光景は、なかなか見られるものではなかろう。
三人で注文しに行く。漱はよく分からないので、鷲尾崎と同じドリップコーヒーにしておいた。
狭間はカプチーノを、的場はチョコ系のフラペチーノを注文していた。
二階に戻り、今度こそ的場の紹介といく。
「部長、彼女が今年度唯一の新入部員です」
「的場清美です。よろしくお願いします」
「うむ、鷲尾崎だ」
苗字だけを名乗った鷲尾崎だが、これには理由がある。彼は自分の名前が好きではないのだ。
そうとは知らない的場は、無邪気に質問する。
「あの、下のお名前は?」
「う……む、まあ、そこは気にしないでくれると助かる」
「彦星だ」
「狭間!」
隠そうとした鷲尾崎に対し、狭間はあっさりと暴露してしまった。
鷲尾崎彦星がフルネームである。
言うまでもないが、七夕伝説に登場する彦星から取っている。わし座の一等星、アルタイルだ。
苗字が鷲尾崎で、名前が彦星。隠したがるのも無理はない。
「彦星、アルタイルですね。素敵なお名前だと思います」
「……天使だ。初対面の相手に名前をバカにされなかったのは初めてだ」
的場が褒めたため、鷲尾崎は感激していた。
部室での狭間といい、どちらも単純だと思う。
「紹介も終わったところで……部長。その格好はなんですか?」
「普通のスーツだが?」
「予備校生なのに、なぜスーツなのかと聞いています。夏なのに上着とネクタイまで着用していますし、おまけにマスクも。風邪でもひいてます?」
「スーツは身を引き締めるためだ。大学の入学式用に仕立てたが、僕は落ちた。二度と同じ過ちを繰り返さぬために、毎日スーツを着て自らを鼓舞している。来年こそは入学式でこれを着るのだと。身を引き締める目的なのだから、クールビズにしては意味がない」
「はあ……分かるような分からないような」
「マスクは風邪の予防だ。夏だからといって安心はできない。風邪をひいて寝込んでしまえば、その分勉強ができなくなる」
昨年までの鷲尾崎は、堅苦しい口調ではあったものの、特段変わり者ではなかった。受験の失敗とは、人をここまで変えるのか。
いや、鷲尾崎が特殊例かもしれない。
「頭はいいがバカってやつの見本だな」
「狭間に言われたくはない。チンピラのような外見になりおって。僕が一番嫌う人種だ」
「人を見た目で判断すんな。俺は俺だ」
「ふむ、中身まで変わっていれば友達の縁を切っていた。今日だって予備校に戻っていたさ。よくも悪くも変わっていないからこそ、僕はここにいる」
「鷲尾崎のしゃべり方も変わってねえな。『うむ』とか『ふむ』とかを実際に使う奴は、お前以外に知らねえよ」
見た目も性格も全然違うが、なんだかんだ仲の良い二人ではある。
「小早川先輩の先輩たちはユニークですね」
的場が言葉にした瞬間、男子三人の心は一つになっただろう。
ジャージを着ているお前が言うな、と。
怪しい三人組は、怪しい四人組へと進化を果たした。店内で最も異様な空間はどこだと問えば、全ての客が満場一致で漱たちだと答えるに違いない。