八話 文学少女
一時間ほどして狭間はやってきた。のだが。
「先輩……随分と変わりましたね」
「ふっ、イケてるだろ?」
「ぶっちゃけ似合っていません」
高校時代は平凡だった狭間だが、今ではすっかり様変わりしていた。
髪は金髪のソフトモヒカンになっている。肌を浅黒く焼き、ピアスやネックレスもつけているせいで、完全にチンピラだ。
ピンクのシャツに、ひざ上丈の迷彩柄の短パンという服装も、よりチンピラ臭を漂わせる。
はっきり言ってしまうが、町で見かければ視線を合わせたくない人だ。いちゃもんをつけられて絡まれそうだし。
狭間の外見があまりにもアレなせいで、的場も脅えている。漱の背中に隠れ、狭間の方を見ようとしない。
「小早川先輩の嘘つき……」
「ごめんごめん。俺も、先輩がこんな風になってるなんて知らなかったんだよ」
「俺だって知らなかったぞ。新入部員が女子だなんて。知ってれば、もうちょいまともな格好をした」
「自分でもまともじゃないって自覚があるんじゃないですか。その服装で、よく学校に入れましたね」
「簡単だったぞ。堂々としていれば案外スルーされるのかもな。注意されれば小早川に助けを求める予定だったし」
「俺に助けを求める前に、外見を改善してください」
髪型を直すのは時間がかかるが、ピアスなどは簡単に外せるし、服装もなんとかなる。学校に入りやすく、何より的場を脅えさせずに済んだ。
まあ、的場の性別を伝えなかったのは漱の落ち度だ。女子がいるから脅えさせるような行動は慎んで欲しいと言っておくべきだった。
「的場さん、大丈夫だから。見た目は小物臭全開のチンピラだけど、性格まではそうそう変わらないはずだし、多分まともだよ」
「ひっでえ言い草だ。否定はできんが」
「ほらね。俺が無礼なこと言っても怒らないでしょ。優しい人なんだよ」
漱と狭間の漫才を見て、的場も少し落ち着いたようだ。
漱の背中に隠れていたが、前に出て狭間に会釈する。
「ま、的場清美……です」
そして、簡潔な自己紹介。
いつもの元気さはなりを潜め、漱と出会った頃のような状態だ。
「狭間日丸だ。日の丸って書いて日丸。よろしく、清美ちゃん」
「きよっ……」
のっけから下の名前で、しかもちゃん付けで呼ばれた的場は、再び漱の背中に隠れた。漱の制服をきゅっとつかんでいる姿に庇護欲を掻き立てられる。
「うちの後輩を脅えさせないでください。初対面の女子を下の名前で呼ぶなんて」
「悪い。サークルだとこのノリだから。しかし、小早川はまるで騎士だな。可愛い後輩と二人きりの部活とか、リア充爆発しろ」
「爆発しません。それに、俺たちは普通の先輩後輩ですよ」
的場に弁当を作ってもらったりお世話されそうになったりと、本当に普通と言っていいかどうか自信はない。
バカ正直に話す必要もないし、ただの先輩後輩の関係としておく。
「改めて、よろしくね的場さん」
「は、はい……」
呼び方を変え、ようやく自己紹介も終わりだ。
狭間の分のパイプ椅子を準備し、三人で座る。狭間は暑そうに顔を歪め、シャツの袖で汗をぬぐっていた。
「ここはあっちいな。相変わらずボロ扇風機一台だ。金持ちの私立なんだし、クーラーくらい設置してくれればいいのに」
「弱小部の部室にまでお金はかけないでしょ。囲碁部もクーラーはないんですよ。部室をもらえてるだけでも御の字です」
全国優勝する部活ですらそれなのに、文芸部がクーラーなど夢のまた夢だ。
「野球部なんか、いくらでも最新の練習器具を買えるのにな。年中遠征行ったり、湯水のように金を使ってる」
「サッカー部もそうですね」
「メジャーな運動部は強いってことか。今年、甲子園は?」
「県予選の準々決勝で負けました。相手は無名校だったんですけど、一人有力な選手がいまして、エースで4番です。その人に二打席連続ホームランを打たれ、こっちは五回を完封されて、五回コールド負けでした」
「コールド負け? しかも五回? ダッサ」
「選手だって頑張ってましたし、ダサいはかわいそうじゃありません? 俺たちなんか、部活で何もしてませんよ」
結果は残念だったが、野球部は毎日厳しい練習をしていた。文芸部でのんびりと過ごしていた漱に批判できる権利はない。
「ダサいは言い過ぎたが、じゃあその高校が甲子園に?」
「そうです。春夏通じて初出場だって言ってましたね。やっぱり、エースが強いですよ。県予選は一人で投げ抜きました。ホームランも三本打ちましたし、投打の要です。ワンマンチームとも言えますけど」
「たった一人で無名校を甲子園へと導いたエースか。マンガみてえだな」
「本当にマンガですよ。決勝戦は、終盤に自分で逆転ツーランホームランを打って完投勝利。2対1で勝ったんですから。失点も味方のエラー絡みですし、エラーにも動じず投げ抜いた本物のエース、とか大絶賛されています」
事実は小説よりも奇なり。それを体現した出来事だったと言えよう。
新聞やニュースでも大きく取り上げられ、エースは一躍有名人になった。甲子園で勝ち進もうものなら、さらに大騒ぎになる。
漱の通う星ヶ丘高等学校でも、ミーハーな女子はキャーキャー騒いでいた。問題のエースは容姿も整っているのだ。
「あ、あの……小早川先輩」
「っと、ごめんね。俺と先輩だけで話しちゃって」
ミーハーではない女子がここにいることをすっかり忘れていた。
失敗したと思っているのは狭間も同様のようで、自分の頭をぺしっと叩く。
「俺としたことが。女の子を放置して小早川なんかと話してる場合じゃない。的場さんは野球に興味ないの?」
「すみません、あまり。野球だけに限らず、スポーツ全般がそうですね。観戦もしませんし、ルールが分からないのでマンガや小説も読みません。運動音痴なので、自分でやることもないです」
「あれ? 弓道部だったんじゃなかった?」
「運動音痴を少しでも克服したくて、中学校では弓道部に入ったんですよ。球技はてんでダメなので弓道です。まあ、弓道も下手くそでしたけど」
スポーツに興味のない的場の前で、野球の話題で盛り上がるのはまずかった。
「的場さんは大人しい子なんだな。なのに、自分を成長させようと前向きだし、芯が強い」
「先輩、いいこと言いますね。的場さんの長所を的確に表現してます」
「女の子にモテるには、とにかく褒めることが肝心だからな」
「台無しです」
「嘘八百を並べ立てろって意味じゃないぞ。いい部分はいいって褒めるんだよ。長所のない人間なんかいない。誰だってどこかいい部分はあるんだ」
「なるほど、勉強になります。的場さんは素敵な子だよね、って感じですか」
チンピラ風の外見なのに、狭間の言葉には含蓄があった。
大学生になり彼も成長したのだ。漱の知る狭間は、女子を相手に堂々と褒められる性格ではなかった。
漱と狭間に褒められて、的場は照れたようにうつむく。
「反応も可愛いな。外見だっていかにもな文学少女風だ。大学の女どもにも見習わせたい。どいつもこいつもチャラチャラしやがって」
「先輩がそれを言いますか?」
「俺は彼女のために変えたんだよ。昔の容姿がダサいって言われたからな。んで、変えたら変えたでやっぱダサいとさ。多分だが、そこで冷めたんだろうな。俺に興味をなくして、別の男に転んだわけだ」
「返答に困るんですけど」
「ちょっとは愚痴らせてくれ。例の話をする報酬としてな」
狭間にきてもらったのは、雑談をするためではない。伝説の先輩の話を聞かせてもらうためだ。
雑談はここまでにして本題といく。
「『ベテルギウスの下で』を書いた先輩についてですけど」
「人柄を知りたいって話だったよな。どっから話せばいいか」
考えをまとめている狭間は、まだ暑いようで汗をぬぐっていた。
そこで発言するのは的場だ。
「狭間先輩、タオル使いますか? 私のやつで恐縮ですけど、未使用なので汚くはないはずです」
「タ、タオル? いいっていいって。女の子のタオルは使えない」
「小早川先輩と同じことを言うんですね。男子はみんなそうなんでしょうか?」
「大抵の奴は遠慮すると思うぞ。気にせずに使う男もいるが、俺は気持ちだけ受け取っておく。ありがとな」
狭間の言葉を聞いて、やはり性格は変わっていないと思った。
タオルを受け取る男が悪いと言いたいわけではない。的場の厚意を理解した上で、丁寧に断った狭間が誠実なのだ。
的場にも届いたのだろう。緊張がほぐれ、口元に笑みを浮かべる。
「小早川先輩は、嘘つきじゃありませんでした。狭間先輩は優しい人です」
「よかったですね、先輩。後輩の女子からの好感度アップですよ」
「感動で泣きそう。いい子だなあ。おい、小早川。大切にしてやれよ」
「大切って、俺たちは別に」
付き合っているわけではない。的場は漱を慕ってくれるが、先輩としてだ。
漱も的場を後輩として可愛いと思うし、妹っぽいとも思うが、交際相手として見ているかというと疑問符が浮かぶ。
漱とて普通の男子高校生だ。彼女が欲しいとは思う。
的場に不満があるわけでもない。的場の性格上、押して押して押しまくれば、あるいは彼女になってくれるかもしれない。
だが、交際するイメージが湧くかというと湧かないのだ。
「ま、二人の関係はどうでもいいとして、俺の先輩の話だが」
野球の次は恋バナになりそうだった空気を、狭間が切ってくれた。
「一言で言えば、文学少女だ。友達とバカやるよりも、一人で静かに読書することを好む。部活でも、あんまり会話はしなかった。的場さんに似てるかもな」
普段の的場は元気あふれる少女だが、そこを言い出すと長くなるので横に置く。
「美人だったぞ。チャラチャラした女子高生って感じじゃなくて、清楚な美人。当然、男子にも人気あった。俺が先輩目当てで入部したって話はしたと思うが」
「聞きましたね。先輩も部長もそうだったと」
「俺たちだけじゃない。文芸部の男子は、ほとんど狙ってた。告白した先輩もいたが、盛大に玉砕して落ち込んでたな。よほどこっぴどくフラれたんだろ。文芸部以外の男子からも告白されてたみたいだが、彼氏を作ったって話は聞かなかった」
「好みの男子がいなかったんでしょうか? 高校生なら、お試しで付き合うくらいしてもよさそうなものですよね」
現代日本の高校生で、将来のことを考えて本気の交際をしている男女が果たしてどれだけいるか。
顔が好みであったり趣味が合ったりすれば、軽い気持ちで付き合う人も少なくないと思う。全員がそうだとは言わないが。
「告白を断った理由までは、さすがに分からん。そこまで突っ込んで聞けなかったしな。もしかしたら、隠れて付き合ってた可能性もある」
「いいところのお嬢様だったりしたんですか? 私のイメージは、マンガに登場しそうなお嬢様です。婚約者や許嫁がいたり」
的場の質問に、狭間は首を横に振った。
「普通の家庭だったはずだ。今のご時世、許嫁なんてあるか? 仮にあっても、だとすれば学校中の噂になってもおかしくない」
「そうですよね。この高校も、割と普通の学校ですし、お嬢様は通いませんか。変な質問してしまってすみません」
「いいよ。んで続きだが、読書家なだけじゃなく、勉強もできた。大学も偏差値の高い国立に現役合格したな」
美人で男子に人気があり、勉強もできた。自殺を考えそうな人には思えない。
「俺も変な質問しますけど、大きな悩みを抱えていたとかありません? 自殺を考えていたとか、不治の病だったとか」
「自殺ぅ? ねえよ。病気も同じだ。もちろん、話を聞いたわけじゃないが、そんなそぶりはなかった。友達とバカをしないっつっても、いじめられてたわけじゃない。俺たち部員とだって普通に接してくれてたぞ」
狭間がキッパリと否定したため、漱の考えは間違っていたとなる。
聞けば聞くほど、恵まれた環境下にいる高校生だ。
恵まれていた人間が『ベテルギウスの下で』に込めたテーマとは一体。
「美人で読書家で優等生。他に特徴はありません?」
「特徴ねえ。頭がいいから、俺たちじゃついていけない話はしてたが。妙に哲学的な……なんだったかな」
腕を組み考え始めた狭間。
しばらく考えるが思い出せないようだ。
「すまん、忘れた」
「天体観測の時を彷彿とさせますね」
「三年も前のことだぞ。覚えていられるか」
狭間の言う通りだ。漱だって、三年前のことを事細かに覚えてはいない。
むしろ、これだけ覚えていた狭間は凄いと思う。伝説の先輩は、記憶に残りやすい人だったということか。
「伝説の先輩は、銀河鉄道の夜がお好きでしたか?」
「伝説の先輩? って何?」
「あ、すみません。私と小早川先輩の間では、この呼び方で浸透していまして。今話題にしていた女子の先輩のことです」
「納得した。伝説ね。小早川たちがどう呼ぼうと構わないが、名前は鈴木だ。下の名前は忘れた。鈴木先輩としか呼ばなかったし」
平凡な名前だ。イメージと全然違う。
「伝説の先輩が鈴木……私のイメージが……」
「俺のイメージとも違う。伊集院とか皇とかなら分かるけど」
「お前ら、全国の鈴木さんに謝れ」
至極ごもっともな突っ込みをされてしまい、漱と的場はそろって謝罪するという奇妙な光景が繰り広げられた。
謝罪も済ませたところで、漱がもう一度質問する。
「名前はともかく、銀河鉄道の夜はどうです?」
「宮沢賢治の?」
「チンピラ風の先輩の口から、宮沢賢治の名前が出るって違和感あります」
「うるせえよ。仮にも文芸部員だったし、宮沢賢治くらい常識として知ってるっつうの。銀河鉄道の夜も読んだ。暗い話だし意味不明な言葉は頻出するし、嫌いだったが」
「今、私の中で、狭間先輩への好感度が大幅にダウンしました」
「なぜゆえ!?」
的場に否定され、狭間は大げさに驚いていた。
「的場さんは銀河鉄道の夜が好きなんですよ。自分が好きな小説を嫌いって言われたせいです」
「好みは人それぞれだと分かっていますけど……」
「しょうがねえだろ。的場さんの言葉じゃないが、好みは人それぞれだ」
「いえ、私が悪いんです。下手に取り繕って好きって言わず、正直に話してくれてありがとうございます」
「素直な子だなあ。小早川は幸せ者だ」
恋バナはいいので、伝説の先輩の話だ。
「銀河鉄道の夜だよな。鈴木先輩が好きだったかどうかは知らん。なんで銀河鉄道の夜を気にするんだ?」
「『ベテルギウスの下で』が銀河鉄道の夜に似ているからです」
的場と話し合っていた内容を狭間にも教えた。テーマのことや、登場人物たちの共通点など。
「はあ……全然気付かなかった。言われてみればって気がする。そりゃあ、俺たちが書いた続きがしっくりこないわけだ」
「今年こそ続きを書きたいんですけど、そのためには『ベテルギウスの下で』に込められたテーマを知らなければって思いました」
「だから鈴木先輩の人柄か。そういう話なら、鷲尾崎も呼ぼうぜ」
「鷲尾崎……って部長の名前でしたっけ?」
「お前、疑問形になるなよ。薄情な奴だな。あと、今の部長は小早川だぞ」
漱が現在の部長なのは事実だが、自覚があるかというと話は別だ。漱にとっての部長はただ一人だ。
その一人の名前があやふやだった件は、なるほど薄情者である。
「いつも部長と呼んでたせいで。部長もこっちにいるんですか?」
「知らねえの? あいつ、受験に失敗して浪人中だ。今は予備校に通ってる」
「初耳です。部長、成績よかったのに」
「レベルの高いとこを狙い過ぎたんだよ。滑り止めも受けなかった。俺みたいにそこそこの大学で満足しておけば、今頃キャンパスライフを満喫できたのに」
会話をしつつ、狭間はスマホを操作し始めた。鷲尾崎に電話をかけようとしている。
OBの二人まで巻き込み、話がどんどん大きくなっていくのだった。