最終話 三人を優しく見守るのは
小早川漱は、肌を突き刺す冷気に身を震わせつつ嘆息する。
季節は真冬。時刻は深夜。場所は漱が通う高校の屋上。
後輩の少女が天体望遠鏡の設定に勤しむ姿を、ただ見ているしかできない。先輩なのに。部長なのに。
当初は漱が設定しようとしたが、うまくできなかった。
一年前の狭間に対し、心の中で謝罪する。時間をかけながらもやり切った彼は立派だった。
「小早川先輩、できました!」
「ありがとう。任せちゃってごめんね」
漱が苦慮しているのを見かねて、天体望遠鏡の設定を買って出てくれた後輩は、見事やり遂げたようだ。
ミスコン二位の椎名である。漱たちが書いた『ベテルギウスの下で』に感銘を受けたらしく、文化祭終了後に入部してくれた。三人目の部員となったのだ。
「どうぞ、星を見てください」
「設定したのは椎名さんだし、椎名さんから」
「何を言ってるんですか。先輩を差し置いて後輩が見るわけにはいきません。だよね、的場さん」
「椎名さんの言う通りです。漱先輩からどうぞ」
「それに、私は設定中にちょこちょこ見ました」
「漱先輩」
「小早川先輩」
的場が漱の腕を引き、椎名は背中を押す。可愛い後輩二人に囲まれたウハウハな部活動と言えなくもない。
二人の厚意に甘え、天体望遠鏡を覗かせてもらう。
小さな赤い点が見える。一年前に見たものと同じだ。
オリオン座、ベテルギウス。一年前はなんとも思わなかったそれは、今になって観測すると違った感想を覚える。
小説で何度も使った星だ。夏の思い出がよみがえってくる。
また、爆発間近であり寿命が近いとされるベテルギウスは、一年後の夜空でも輝いているとは限らない。漱が観測するのはこれが最後になるかもしれない。
妙に悲しい気持ちになり、天体望遠鏡から離れる。
「俺一人で独占しちゃ悪いし、二人も見てみて」
「私は最後でいいよ。的場さんからね」
「じゃあ、失礼して」
天体望遠鏡を覗き込む的場だが、少ししてから肩透かしを食らったような顔で漱の方を向く。一年前の漱と同じことを思っているのだろう。
「もっとでっかいのが見られると思ってた?」
「はい。綺麗なんですけど、小さな点があるだけなので、思ったのと違いました」
「俺と同じだね。先輩から聞いた話だと」
狭間がしてくれた説明を的場にも聞かせた。
先輩から後輩へ、こうやって受け継がれてゆくのだ。もしかしたら来年も。再来年も。その次の年も。
的場の次は椎名が観測しているが、何やら天体望遠鏡をいじっている。
「別の星も見てみましょう。小早川先輩にとってもお馴染みの星ですよ」
言われて覗き込めば、橙と水色の宝石が見えた。おおいぬ座のアルビレオだ。
確かにお馴染みである。『ベテルギウスの下で』で使った星だ。
それからも、三人で色々な星を観測した。冬は見ごたえのある星が多い。
ひとしきり楽しめば、不意に椎名が夜空を指差した。
「ほら、見てごらん。オリオン座が輝いている」
冬を代表する星座であるオリオン座。天体望遠鏡で観測せずとも、肉眼で見るだけでも美しい。
「私、このセリフが大好きです。文章自体は平凡で、誰でも書けそうな気がするのに、不思議と心に響くんですよ。『ベテルギウスの下で』を読んだ人にしか分からない、特別なセリフです。いつかあんな小説を書いてみせます」
椎名は小説家を目指すようになったと聞いている。
漱たちが書いた小説が、一人の少女にここまで影響を与えた。
「的場さんと椎名さんがいてくれれば、文芸部も安泰だね」
「気が早いですよ。小早川先輩だってまだ引退しませんし、一仕事残ってます」
「漱先輩なら、伝説の先輩以上の作品を残してくれるって信じてます」
「素敵な作品になるでしょうね。小早川先輩ですから!」
「漱先輩です!」
後輩二人の期待が重い。恋人の的場は分かるとしても、椎名まで過剰に漱を持ち上げる。『ベテルギウスの下で』を書いたことが過大評価につながっているのだ。
ここ最近の文芸部では、的場がもう一人増えたような光景が見られる。部室へ行けば、二人そろって直角にお辞儀するのだから、まるで怪しい宗教だ。やめさせるのにどれだけ苦労しているか。
贅沢な悩みを抱える漱だが、二人が言っているのは文芸部の新しい伝統の話だ。
三年生が小説を書いて後輩に託し、後輩が続きを書く。これを伝統にしようとしている。漱たちが『ベテルギウスの下で』を通じて行ったことを、今後もやっていこうと。
問題は漱に書けるかどうかだ。
単に書くだけであれば、夏に書こうとしていた男同士の友情物語でいい。正反対の性格をした二人がいがみ合っているあたりで終わらせ、無二の親友になる場面を的場と椎名に書いてもらう。
しかし、『ベテルギウスの下で』と同じようにするのだから、同様の秘密を盛り込む必要がある。もちろん、的場にも椎名にも秘密は伝えない。
二人は漱の書いた小説を読み、込められたテーマや伝えたい想いを考証する。
とんでもない大仕事ができてしまった。
「他人事みたいに言ってるけど、二人だって三年生になった時は書かなくちゃいけないんだよ? 秘密を盛り込んだ小説とか書ける?」
「私たちは書きませんよ。だって、三年生になった時は、漱先輩の小説の続きを書きますから」
「ずるい!」
「ずるいと言われましても、順番的にそうなっちゃいます」
「小早川先輩、がんば!」
冬空の下で、三人の文芸部員は語り合う。あたかもジュン、アキラ、イオリの三人のように。
「ジュンたちみたいですね」
的場も同じことを思ったのか、そう口に出した。
「配役は、漱先輩がアキラ、私がイオリ、椎名さんがジュンでしょうか」
「恋人同士の役をちゃっかり取ってるね。私がイオリじゃダメ?」
「ダメ! 漱先輩の恋人役は、椎名さんでも譲れない!」
「四月から入部していれば、私にもチャンスが」
「椎名さん!」
揉めているような雰囲気だが、この二人は仲がいい。一緒にカラオケにも行っているらしく、カラオケ嫌いの漱は寂しい思いをしていたりする。
カラオケ以外でも、男が一人のせいで若干肩身が狭い。来年度の新入部員に期待しよう。
「いいもんいいもん。『ベテルギウスの下で』みたいに、オリオン座に願いをかけるから。素敵な彼氏をもらうの」
「星にお願いなんてしなくても、彼氏作ればいいのに。私と違って椎名さんはモテるでしょ。クラスの男子とか、椎名さんを好きな人多いと思うよ」
「モテる女は辛いなあ。年上が好みだから、同い年の男子には興味ないのに、なぜかモテちゃうんだよねえ。いやあ、まいったまいった」
嫌味っぽい発言なのに嫌味さを感じさせないのは、椎名の人徳のなせるわざだ。
「これがミスコン二位の余裕……」
「来年は的場さんも参加しようよ。私が可愛く変身させてあげる。文芸部員でワンツーフィニッシュを決めるの。小早川先輩もメロメロだよ」
「漱先輩がメロメロ」
「俺は今でもメロメロだよ」
「うわっ、お熱い! ひゅーひゅー!」
漱にしては珍しく歯の浮くセリフを言えば、椎名にからかわれた。
的場は相好を崩し、喜んでくれている。
漱と的場の関係は順調そのものだ。鷲尾崎と楠原、狭間と織姫も順調らしい。椎名もすぐに恋人ができるのではないかと思う。
全員が幸せでハッピーエンドかと思いきや、違うのが悩ましいところだ。
『ベテルギウスの下で』を書いた伝説の先輩、鈴木桜。彼女だけは、今も孤独の檻に囚われている。他者を見下し、対等な人間がいないと思い込んでいる状態だ。
自業自得だからどうでもいいと考えるには、深く踏み込み過ぎた。
「的場さん、椎名さん。春休みになったら旅行に行かない? OBの人たちも誘って東京旅行に」
「漱先輩は、伝説の先輩のことを気にかけているんですか?」
「まあね。文芸部に新しい伝統ができたことを伝えようかなって」
「ショートメールでいいじゃないですか。心に踏み込まれるのを嫌がっていましたし、干渉するのはやめといた方がよくありません?」
「私は会いたい! 『ベテルギウスの下で』を書いた先輩に会いたい!」
「椎名さんまで」
「旅行が嫌なら、鈴木先輩が帰省した時に会うとか? 新旧文芸部員が集まって、ここで春の天体観測をする」
こちらの方がいいかもしれない。OBやOGと現役部員の交流会だ。顧問の先生も呼べる。
文芸部なのに天体観測なのはご愛嬌として。
「天体観測なら私も賛成です。春の星座を見てみたいですよね」
「おおぐま座の北斗七星、うしかい座のアークトゥルス、おとめ座のスピカ、しし座のデネボラ! 星座に興味のなかった私でも覚えた!」
「となると、天体望遠鏡がいるか。いつまでも天文部のやつを借りられない」
一年前に引き続き、今日も天文部から借りている。年に一度程度ならまだしも、頻繁に借りるのは申し訳ない。
「いっそ買っちゃいましょう!」
「椎名さんは簡単に言うけど高くない? 私も欲しいけど、お小遣いで買える?」
「東京旅行の旅費の代わりに、望遠鏡を買えばいいんだよ!」
椎名は買う気満々で、スマートフォンを使い値段を調べている。
だが、想像以上に高かったようだ。
「たっか! 高級品で数百万!?」
「安物は? 俺たちはあくまでも文芸部員だし、高級品にこだわらなくても」
「数千円で買えるやつもありますけど、安物買いの銭失いになりそうじゃありません? どうせならいいやつが欲しいです!」
「漱先輩。今調べたら、自作望遠鏡とかあるみたいですよ。春休みに私たちで作りましょう。椎名さんはどう思う?」
「的場さん、ナイスアイディア! 面白そう! 材料の購入に、部費を少しでも使わせてもらえたりするかな!?」
「どんどん文芸部から遠ざかっていく……」
天体観測まではまだいいとしても、文芸部なのに自作望遠鏡だ。
文芸部とは一体なんだろうか。
的場と椎名は、天体望遠鏡の購入から製作に気持ちを切り替え、二人で話し込んでいる。
どちらかというと、この二人がアキラとイオリではなかろうか。わずかな嫉妬心を抱え、漱は変な妄想をする。
そこで、屋上の扉が開く音がした。
「おーい、まだ終わらないのか?」
姿を見せたのは顧問の先生だ。これまた一年前と同様、天体観測に付き添ってもらい、外は寒いと言って屋内に引っ込んでいた。
「先生! 私と的場さんで相談したんですけど、望遠鏡作りたいです!」
「作りたいです!」
「急にどうした。小早川?」
「二人がやる気なので、俺には止められません」
「先生……じゃなくて、パパぁ、望遠鏡作りたいよぉ」
「パパぁ」
「やめんか! 教え子に『パパ』なんて呼ばせていると知られたら、俺の平穏な教師生活が壊れる! 小早川! 部長のお前に任せたからな!」
先生は校舎内に引っ込んで行った。相変わらず頼りにならない。
「小早川先輩!」
「漱先輩!」
二人は漱の名前を呼び、声をそろえて「望遠鏡!」と叫んだ。
天体観測がお気に召したようだが、まさかここまでとは。
「素人に作れる代物じゃなかったら作らないよ。ちゃんと調べて、作れそうだって分かってからね」
「やった!」
「漱先輩、大好きです!」
手のかかる妹が一人増えた気分だが、嫌ではない。
後輩の少女二人に振り回されっぱなしになっている漱を、冬の星座が見守る。
『ベテルギウスの下で』に登場した夢の世界とは違い、目もくらむような星空ではない。町の明かりがあるため、見える星は限られる。
静謐に満ちた世界でもない。的場も椎名も実に賑やかだ。
無粋な雑音もある。世界には三人以外の人もいる。
それでも。
三人を優しく見守るのは、オリオン座のベテルギウスだった。




