二十四話 ありがとうございました
『ベテルギウスの下で』を書いた伝説の先輩、鈴木桜。美人で頭がよく、なんでもできる完璧な女性だ。
完璧であるがゆえに、周囲を見下してしまう欠点がある。
「厨二病」
口に出したのは的場だったが、漱も同じ言葉を思い浮かべた。
大学生になっても厨二病のままだ。
「ええ、まさにそれです。私は厨二病患者です。いつまでたっても成長しません。できません。同じ厨二病でも、白馬の王子様を夢見る少女であれば可愛げもありますけど、私は救いようがありませんよ。こうして自分の欠点を自覚したような発言をしていても、本気で悪いとは思っていません。今でも私が賢く、私が正しく、周囲はバカばかりと思っています。狭間君や小早川君を見下しています。鷲尾崎君や的場さんは比較的マシですけど、バカですね」
「漱先輩はバカじゃありません!」
「あらあら、嫌われましたか」
「嫌いです! 最初は尊敬してましたけど、嫌いになりました! 私は銀河鉄道の夜が好きなので、同じ小説を好きな伝説の先輩はどんな人だろうって思ってたんです! 銀河鉄道の夜に影響されて、『ベテルギウスの下で』っていう素敵な小説を書いた人なら、きっと素敵なんだろうって!」
「小説を好きになるには様々な理由があると思います。ストーリーが好き、キャラクターが好き、作者が好き。的場さんは、どのような部分がお好きですか?」
的場の怒りを受け流しながら、冷静に質問していた。
漱たちに対して直接「バカ」と告げたこともだし、常人とはずれている。
的場が怒る理由を理解できていないわけではなさそうだ。人の気持ちを想像することが苦手な人もいるが、その手の人は無意識に無神経な発言をしてしまう。
伝説の先輩は意識的にやっている。
「伝説の先輩がこんな人だったなんて……一応答えますけど、銀河鉄道の夜に登場する美しい比喩表現が一番好きです。ストーリーも好きですよ。銀河を旅して楽しそうだって感じます」
「私もあの文体は好きです。銀河鉄道という非現実的な物語も好きです。主人公が現実へ戻ってしまう展開だけは納得がいかず、私が書いた小説では夢にとどまり続けるようにしました」
「だからなんなんです?」
「的場さん、喧嘩腰にならないで」
「漱先輩は悔しくないんですか!? バカって言われたんですよ!」
「そりゃあ悔しいけど。俺のために怒ってくれたのも嬉しいよ」
バカと言われれば、気を悪くするのは当然だ。食ってかかったのは的場だが、彼女にやらせず漱が自分で不満を訴えるべきだったかもしれない。
「とにかく、喧嘩腰にはならないで普通に。部長も先輩も怒ってないでしょ」
「俺はムカついてるぞ。憧れてた女性が、実は内心で俺を見下してたって知ったんだ。俺がバカなのは事実だからって、ムカつかないわけがない」
「僕もだな。マシなバカとはあまりな評価だ。訂正を要求したい」
「二人とも、話を合わせてくださいよ」
「小早川も悔しいっつったじゃねえか。素直になれ。こういう女には、一度ガツンと言ってやらなきゃダメだ。んで、『これまで私を注意してくれた人はいなかったのに、初めて注意してくれた。素敵な人だわ。他の男どもとは違うわ』とか言われていい関係にな」
「姉に報告させてもらおう」
「冗談だ! 冗談だからやめてくれ! 鈴木先輩に見惚れてたせいで、ただでさえ好感度ダウンしてるっぽいんだよ!」
「……漱先輩たちの漫才を見ていると、怒る気も失せました」
漱としては、漫才のつもりはなかったが、的場は毒気を抜かれたようだった。
「伝説の先輩は嫌いですけど、喧嘩腰はやめます」
「的場さんは健気ですね。私には持ち得ない健気さです。それはいいとして、私は銀河鉄道の夜が好きですけど、こうも思ってしまう性格です。『この程度であれば私も書ける』と。実際に書けたのは的場さんもご存知でしょう。初めて小説を書いたのに、周囲に絶賛される出来になりました。的場さんが好きと言った比喩表現も書けます。つまり『あの小説、面白いね』といった話題で盛り上がることはできません。銀河鉄道の夜という名作ですら、私にとっては見下す対象になります」
「漱先輩! やっぱりこの女嫌いです!」
上下関係にきちんとしている的場が、目上の相手を「この女」呼ばわりだ。
的場が怒るのも無理はない。漱も酷いと思うが、同時に疑問も浮かぶ。
「鈴木先輩のお考えは理解しました。でも、原稿を先生に預け、個人携帯の電話番号まで教えたのはなぜですか? 『ベテルギウスの下で』の秘密にたどり着いた後輩に原稿を読ませ、電話番号を伝える必要がありますか?」
これらは意味のない行動に思える。
続きを配布しなかったのは、配布できる内容ではなかったからかもしれない。あれを配布してしまうと、下手をすれば人格が疑われてしまう。
しかし、顧問の先生に預ける必要はないはずだ。後輩に読ませる必要もなく、電話番号を教える必要もない。
漱たちを東京に招いたのもおかしな行動だ。アルバイトのお金を自由に使えるとはいえ、十五万円は軽々しく出せる金額ではないだろうに。
「鈴木先輩は、先生に悩みを打ち明けていたとも聞きました。プライバシーにかかわるからと、具体的な内容までは教えてもらえませんでしたけど」
周囲を見下しているならいるで構わない。揉め事を起こしているなら問題だが、本心を隠してうまく社会生活を送れているようだし、大人しく過ごせばいい。
それをしなかったのは、もしかして。
「鈴木先輩は、誰かに聞いてもらいたかったのでは? 自分の気持ちに気付いてもらいたかったのでは?」
「やめてください」
的場が怒っても微笑を崩さなかったのに、ここで視線が冷たくなった。
「私はそれが一番嫌いです。私を理解している風な口をきき、バカの価値観を押し付けられるのが大嫌いです。誰かに聞いてもらいたかったのは間違っていません。悩み相談ではなく、本心を隠し続けるとイライラするからですけど。本心を隠し、バカに合わせて生きるのは苦しいのです。たまには発散しておかないとおかしくなります。先生に打ち明けたのは、私の心に踏み込まずに聞いてくれたからです。今も同様です。ストレスを発散させてもらっただけに過ぎません。お金はストレス発散に付き合ってもらう報酬ですね。小早川君たちにとっても悪い話ではないでしょう。タダで旅行ができ、知りたがっていた小説のことも知れたのですから」
「すみません」
声を荒らげてはいないが、苛立った声になっていた。漱もこれ以上踏み込めなくなり、謝罪するしかできない。
伝説の先輩は、ブレンドコーヒーのカップを傾け、心を落ち着かせるように一口飲む。苛立っているとは思えない優雅な仕草だった。
「あー……俺、こういう空気は苦手なんすよね」
「狭間の性格ならばそうだろうな」
「鷲尾崎は違うのかよ。つうか、気まずい空気が得意な奴とかいるか?」
「僕も苦手だ。似た者同士の親友、なのだろう?」
「鷲尾崎がデレた! そうこなくっちゃな、義弟よ!」
気の早い発言をした狭間が、鷲尾崎の肩に手を回した。部室では「男と抱擁して喜ぶ趣味はない」と言っていた鷲尾崎も、狭間の肩に手を回す。
「小早川」
「俺もですか?」
漱も呼ばれ、狭間を中心にして男三人で肩を組み合った。
何をしているのだという気持ちはあるが、決して嫌ではない。
「私も仲間に入りたいです! 入れてください!」
「男同士の友情だから、悪いが的場さんは仲間に入れられないな」
「ごめんね、的場さん」
「狭間先輩のケチ! 漱先輩のケチ! 部長さんなら許してくれますよね!」
「ふむ、悪いが僕もダメだ」
「部長さんまで!」
「女は女同士で友情を育んでくれ。鷲尾崎さんや楠原さんとな」
「そうだよ。的場さん、ちょっと写真撮って」
「しかも雑用ですか。後輩としては先輩命令には従いますけど」
漱が頼めば、的場は自分のスマートフォンで写真を撮った。あとでデータを送ってもらおう。
「鈴木先輩、俺たちはバカなりに楽しくやってます。バカな方が人生楽しいです」
「狭間君も小早川君と同じですか?」
「偉そうなお説教とかしようってわけじゃなくてですね。むしろお礼を言いたいです。鈴木先輩が書いてくれた小説のおかげで、今年の夏休みは楽しかったです。的場さんにも会えたし、小早川や鷲尾崎とも久しぶりに会えました。その流れで鷲尾崎のお姉さんも紹介してもらえました。六人で旅行もできました。だから、ありがとうございました」
狭間のおかげで、漱も思い出せた。
伝説の先輩には恩義がある。彼女が書いてくれた『ベテルギウスの下で』に。
「俺と的場さんは付き合っています。夏休み中から付き合い始めました。きっかけになったのは『ベテルギウスの下で』です。あの小説がなければ付き合っていませんし、部長や先輩とも再会しなかったと思います。ありがとうございました」
「僕からも、ありがとうございました」
男子三人がお礼を言えば、的場も不承不承といった様子で言う。
「伝説の先輩は嫌いです。こんなに性格の悪い人は初めて見ました。でも、漱先輩と私を結びつけてくれたのは、確かに『ベテルギウスの下で』です。ありがとうございました」
「……みなさんはバカですね」
今の「バカ」は見下した言い方ではないと感じた。
組んでいた肩を離してから、狭間はニカッと笑う。浅黒く焼けた肌から白い歯がこぼれた。
「バカな方が楽しいって言ったじゃないですか」
続いて鷲尾崎が、眼鏡をくいっと持ち上げつつ。
「狭間ほどバカになれとは申しませんが、少しはバカになるのも悪くありません」
最後は漱だ。
「鈴木先輩、よろしければ明日一緒に遊びませんか? 夢の世界じゃありませんけど、夢の国と呼ばれるテーマパークに行く予定なんです。俺たちと一緒にバカ騒ぎしてみましょう」
「遠慮しておきます」
テーマパークへ誘ったものの、拒否されてしまった。
「ダメですか?」
「興味がありません。バカ騒ぎは苦手なのです。それに、三組のカップルでデートをするのでは? 私が入るわけにもいきません。女性三人は特に嫌がるでしょう。ねえ、的場さん。あなたの大好きな小早川君を、私が盗っちゃいますよ」
「漱先輩は渡しません! たった今、嫌いな人から敵になりました!」
「的場さんも嫌がっていますし、やめておきましょう。それで、まだ聞きたい話はありますか? なければお開きにします」
「最後に一つだけ。鈴木先輩の住所を教えてもらえませんか? 悪用はしないと誓いますので」
「目的は?」
「俺たちが書く『ベテルギウスの下で』を送付したいからです。こんな不完全な作品ではなく、俺たちが納得のいく形に仕上げた作品をお届けしますよ」
本物の『ベテルギウスの下で』があるのに、漱たちが書いた偽物を配布していいものかどうか躊躇していた。
今日、話を聞いて決意できた。伝説の先輩のためにも『ベテルギウスの下で』を書いて配布しようと。
「何を書いたところで、俺たちの小説は偽物にしかなりません。本物は鈴木先輩が書いた一作のみです。ですけど、本物に勝る偽物があったっていいですよね。『眼もさめるような、青宝玉と黄玉の大きな二つのすきとおった球』ですよ」
「銀河鉄道の夜にあった表現ですね。白鳥座の二重星、アルビレオ」
「宝石ではないけれど、本物の宝石のごとき輝きを放つ星です。俺たちの星を、アルビレオをお見せします」
「大きく出ましたね。いいでしょう。ショートメールを送ります」
漱のスマートフォンにメールが送られてきた。東京都から始まる住所が書かれている。
聞くべきことは聞いたので、これにてお開きだ。
「今日はありがとうございました」
「お礼を言い過ぎですよ。先ほどから、何度『ありがとうございました』と聞いたか分かりません」
「感謝していますので。バカと言われたのはムカつきましたよ。俺も聖人君子ではないのでムカつきます。ただし、感謝しているのも本当です」
「そうですか。では、感謝を受け取っておきます。東京旅行を楽しんでください」
伝説の先輩と別れ、宿泊するホテルに向かう。
かなり長時間話し込んでいたせいで、既に夕方の六時だ。夏なので日没前だし暑いが、妙な寂寥感があった。
夏は終わる。暑さは続いても夏は終わりだ。よく観察すれば、夏と秋の違いも感じ取れる。
一ヶ月前の同時刻と比較すれば、やや薄暗い気がする。日の入り時刻が早くなっているのだ。うるさく暴力的に聞こえていた蝉の声も、夏が終わって聞けなくなると思うと寂しい。
夏の空によく見かける入道雲も減っている。夏が終わる時特有の空気の匂いもする。
じきに涼しくなり、秋がきて冬になる。桜の季節である春を過ぎれば、再び夏。
四季は巡る。言うまでもなく当たり前のことだ。永遠の冬もなければ永遠の夏もない。
春の桜が散っても、一年後には美しい花を咲かせてくれる。
鈴木桜。名前にふさわしく、美しく咲き誇る女性だ。
これから書き直す小説では、星と共に桜も使ってやろう。漱は密かに決めた。




