二十一話 温かな言葉
文芸部の部室にて、漱たち四人は相談する。
顧問の先生から、伝説の先輩の電話番号をもらった。これを使い、彼女と連絡を取るか否か。
「昔はさ、鈴木先輩の連絡先を知りたがったよな。憧れの女性の連絡先を知ってるだけで、特別な関係になれそうな気がして」
「うむ、僕もだ。部員で知っている人はいなかったと思うが」
「誰にも教えてなかったもんな。それが、まさか先生とは」
「鈴木先輩にしては軽率な行動と言わざるを得ないな。悪用されたらどうするつもりだったのか」
女性側から連絡先を教えるのは、ややもすれば勘違いさせかねない行動だ。
ただでさえそうなのに、悩みを打ち明け、『ベテルギウスの下で』の原稿も預けていたことを含めると、特別な意味を想像してもおかしくない。『ベテルギウスの下で』の秘密うんぬんは建前であり、本当は先生のことが好きなのではないかと。
「先生を信頼していたんでしょうか? 私はあまり話しませんけど、実はとてもいい先生だとか」
「先生なら勘違いもしないし、悪用もしないと考えたのかもしれない。定年まで平穏無事に過ごしたがっている先生が、娘ほども歳の離れた教え子に手を出すとは考えにくいし」
「まあ、そこは鈴木先輩に聞けば分かるだろ。んで、どうする?」
「先輩がかけてくれたり? 部長でもいいです」
「だから、俺たちはOBだっつってんだろうが。かけるなら、現役部員の小早川か的場さんだ」
会ったことも話したこともない女性には、電話をかけ辛い。『ベテルギウスの下で』を読んだ衝撃から立ち直れていない今だとなおさらだ。
伝説の先輩を知る狭間か鷲尾崎にやってもらおうと考えたが、真っ当な反論で封じられてしまった。
ならば的場だ。女性同士ならまだマシではなかろうか。
「的場さん」
「私も気まずいんですけど」
「いつも俺のお世話をしたがってるじゃない。今こそお世話して」
「ダッサ」
「うむ、ダサいな」
「すみません漱先輩。私も思いました」
三人そろって否定されてしまった。漱自身も、後輩であり恋人でもある女子に嫌なことを押し付けるのはダサいと思う。
「分かった。分かりました。俺がやるよ」
「漱先輩、素敵です」
「的場さんに乗せられてる気がするなあ」
的場から「素敵」だの「大好き」だのというセリフを聞くたびに、なんでも許せそうになる。漱が単純なのか、男はこのような生き物なのか。
緊張で高鳴る鼓動を抑えつつ、漱は自分のスマートフォンを使い電話をかける。
『もしもし』
「突然すみません。こちら、鈴木桜さんの携帯でよろしかったでしょうか?」
『そうですけど』
「俺は、星ヶ丘高等学校の文芸部で部長を務めております、小早川といいます。本日、鈴木先輩の書いた『ベテルギウスの下で』の原稿を読ませてもらいました。顧問の先生に預けた原稿です。携帯の番号も教えてもらい、こうしてお電話を差し上げました」
軽く事情を説明すれば、伝説の先輩は納得した声を出す。
『理解しました。では、あの小説の秘密に気付かれたのですね』
「はい。鈴木先輩が書かれた『ベテルギウスの下で』は夢の世界であると」
『小早川さん、でしたか。気付いたのはあなたですか? 他の部員ですか?』
「俺です。もっとも、俺一人の功績ではありません。他の人と一緒に考え、ヒントになる言葉をもらえたので気付けました」
『ヒントをもらったにせよ、お見事です』
「恐縮です。それで、あの小説ですけど」
ここまで話してから、何を問えばいいのか分からなくなった。
書いた本人に対し、悪い感想は述べにくい。漱たちが書いた続きを配布しても構わないかどうかは確認するまでもない。
「鈴木先輩は『ベテルギウスの下で』を書くことで何を伝えたかったのですか?」
漱の質問は当たり障りのないものになった。
『答えを聞いてどうします?』
「気になっているので知りたいといいますか……今年、文芸部では、『ベテルギウスの下で』の続きを書こうとしました。小説に込められた想いやテーマを考えながらです」
『続きを書くために、答えが知りたいと?』
「いえ、一応書けはしました。書いている中で秘密に気付けたわけでして。ただその、俺たちが書いた小説と鈴木先輩の小説が全然違っていたせいで、鈴木先輩のお気持ちが気になってきて」
『曖昧ですね。それではお答えできません』
伝説の先輩には、はっきりと断られてしまった。
電話越しの声は穏やかで、優しげだ。しかし有無を言わさぬ力強さもある。
漱が言葉に詰まっていると、横から的場が制服を引っ張った。電話を代わるように要求している。気まずいと言っていたが、話したいことができたのだろうか。
「すみません、他の部員に代わります」
伝説の先輩に断ってから的場に代わる。
「文芸部一年の的場です。伝説の先輩とこうしてお話できて光栄です。あ、伝説の先輩とは鈴木先輩のことです。私たちの間では、この呼び方で浸透していまして。まあ呼び方はともかく、私が聞きたいのは」
的場はわずかに溜めを作ってから、とんでもない言葉を口にする。
「もしかして、狭間先輩や鷲尾崎先輩を見下しています? お二人だけではありません。全員を見下していませんか? だとすれば、私はあなたを軽蔑します」
「的場さん!?」
的場がここまで厳しい言葉を使った事実が信じられない。狭間や鷲尾崎もぎょっとしている。
漱は止めようとしたが、止めずともそれ以上は話さなかった。伝説の先輩の話を聞いているのか、お互いに無言なのかは分からない。
やがてスマートフォンを漱に返してくれた。
「漱先輩と話したいって言っています」
「あ、ありがと。もしもし、小早川です。うちの一年が大変失礼な発言をしてしまいすみません!」
電話を代わるなり謝罪した漱だが、伝説の先輩は笑っていた。
『お気になさらず。面白い一年生ですね。そして、小早川さんよりも核心に迫っているようです』
「核心?」
『答えるつもりはありませんでしたけど、的場さんが気に入りました。答えてもよいと思います。今は夏休み中ですし、ご旅行とかできますか? 私のところへ遊びにきませんか? 旅費は私が持ちますので、お時間があればぜひこちらへ』
「あの、いきなり過ぎて。旅費を出していただくのも悪いですし」
『みなさんでご相談してみてください。私の卒業後、文芸部が大きく変わったとも思えませんし、部員数は少ないですよね。数人程度であればご予定をすり合わせるのも難しくないでしょう。旅費も問題ありません。何人いらっしゃいます?』
「二人です。普段は俺と的場さんだけですけど、今は小説を書くために鷲尾崎先輩と狭間先輩にも協力してもらっています」
『鷲尾崎君と狭間君ですか。懐かしい名前ですね。では四人でご相談を。決まり次第、再び連絡してください』
「あ、ちょっと」
漱が止める間もなく、伝説の先輩は言うだけ言って電話を切った。声が聞こえなくなった電話を持ち、呆然としてしまう。
「漱先輩? 私のせいで、伝説の先輩に怒られちゃいました?」
「怒られたわけじゃなくて……なんだったんだろ」
「旅費とか言ってたが、どこをどうしたらそんな話になるんだ?」
狭間に聞かれたので、遊びにこないかと言われたことを伝える。旅費も伝説の先輩が出してくれると。
「鈴木先輩のとこへ遊びに? 高校時代の先輩は、部員と遊びに行ったことなんてないぞ」
「遊びにと言われたことも驚くが、僕や狭間の分も旅費を出すと?」
「多分。四人でご相談をって言ってましたし」
「仮に行くとしても、どこですか? 日帰りできる場所です?」
「ごめん、聞いてない」
あまりにも唐突であり一方的に告げられたので、具体的なことを聞いていない。
と思えば、ショートメールが届いた。
「鈴木先輩からです。場所は東京で、往復の交通費と一泊分のホテル代を出すそうです。四人分。もっと人数が増えたり長く遊びたいと考えたりするなら、それは俺たちで出すようにと。八月と九月は大学が休みなので、ここならいつでも都合をつけられるとも書いてありますね。十月以降になるなら話をなかったことにする。詳細は次の連絡時に。以上です」
必要な情報のみが書かれているショートメールを読み上げた。
「どうしましょう、これ」
「一人ずつ決めるか? 四人全員で行かなきゃいけないこともない。ちなみに、俺は行く気満々だぜ。織姫ちゃんも誘っていいか? てか誘わせろ」
「狭間はそちらが目的か。文芸部の活動にかこつけて、姉と旅行に行きたいと」
「おう。二人きりは無理でも、男女のグループでの旅行なら可能性はある。鷲尾崎も一緒にきてくれよ。弟がいれば、織姫ちゃんも参加しやすくなるだろうし」
「僕は予備校が」
「勉強道具も持って行けばいいじゃねえか。こっちで勉強しようがあっちで勉強しようが同じだ。お前の彼女も誘えばいい」
「同じではないし、彼女を誘うのも」
「気分転換しろって」
「悪魔の誘いだな。だが、気になるのは確かだし……」
狭間は行く気で、鷲尾崎は考えているが悪い感触ではない。
漱はどうすべきか。夏休みの宿題は終わっているし予定もない。行けなくはないが、問題は両親の説得だ。
子供だけでの旅行となればいい顔はしまい。休み明けには試験があるため、試験勉強をしろとも言われる。
「私は行きたいです。伝説の先輩と話したいんです」
漱が答える前に、的場が意見を述べた。
「それに、ちょうど目的も達成できるじゃないですか。一石二鳥です」
「目的って?」
「漱先輩、忘れたんですか? トリプルデートしたいですねって話しました。漱先輩も行きたいって言いましたよね。こんなチャンス、二度とありませんよ」
「言ったけどさ」
漱が考えていたのは、ゲームセンターやちょっとした買い物に行くことだ。せいぜいでプールとか。東京への旅行は話が大きい。
「トリプルデートねえ。おい、小早川。俺たちに報告することがあるんじゃねえのか?」
的場が「デート」の単語を出したせいで、狭間に気付かれた。
誤魔化すのもなんだし報告する。
「えっと……俺と的場さんは付き合い始めました」
「付き合ってます! 漱先輩、大好きです!」
「おめでとう。だが爆ぜろ」
「うむ、めでたいな。爆ぜなくてもよいが」
狭間はわずかな嫉妬を込めつつ、鷲尾崎は素直に、漱と的場を祝福してくれた。
こうなると、漱も決断しないわけにはいかない。
「俺も行きます。両親を説得しないといけませんけど、なんとかします」
「やった! じゃあ、私と漱先輩、狭間先輩は決まりですね」
「僕も行こう。まったく、今日で最後、今日で最後と散々言ってきたというのに、いつまでたっても最後にならない。僕も愚かだな」
「一泊二日の旅行くらい平気だって。彼女はどうすんだ?」
「誘うだけ誘うが、結果は分からない。姉は狭間が誘ってくれ」
「もちろんだ。任せとけって」
ここにいる四人は確定で、鷲尾崎の姉と彼女は誘ってみることになった。
文芸部の活動で小説を書いていただけのはずが、変な状況になったものだ。
漱は、自分が友達と旅行に行く日がくるとは思っていなかった。しかもメンバーに彼女が含まれており、泊りがけでとは。
夏休み前では想像もできなかったことだ。
伝説の先輩に話を聞くという目的があるのに、四人は普通の旅行のように盛り上がる。具体的な日程も決め、今月中になった。夏休みは残り一週間しかないため急な話になるが、九月よりも八月がいい。
「漱先輩、先生に言っておきます? 文芸部の活動も無関係ではありませんし」
「顧問として付き添うことになって、嫌がりそうな気もするけど」
「先生も一緒かよ。やめようぜ。羽目を外しにくくなる」
狭間は嫌がっているが、伝えないわけにもいかない。
漱と的場の二人で再び職員室へ行く。
予想通り嫌そうな顔をされ、文芸部の活動ではなく友達同士の旅行にしろと言われた。付き添いはしないが、変なことは絶対にするなと念を押され、しないと約束するのであれば認めるとのことだ。
男女で旅行となれば、教師としては当然の反応であろう。
口約束ではあるが、漱と的場は先生と約束し、認めてもらえた。
決めるべきことも決め、本日の部活は終わりだ。各々帰宅する。
漱は両親を説得する言葉を考えて過ごす。そのうち鷲尾崎から連絡が届き、鷲尾崎の彼女と姉も参加するという話だ。
六人全員の参加が決まった。あとは、漱が両親を説得するだけだ。
仕事から帰宅した両親にお願いしてみる。
「文芸部の友達や先輩と泊りがけで旅行?」
「うん……ダメかな」
「宿題は?」
「終わってる。試験勉強はあるけど、そっちもやってるから」
「ならいい。行ってきなさい」
父は意外なほど簡単に認めてくれた。勉強勉強と言われると思っていたのに。
「いいの?」
「羽目を外さなければ。彩と違い、漱はその辺をわきまえているだろ」
「信用してもらえるのは嬉しいけど、女子もいるんだよ。部活のせいで試験勉強の時間が少なくなってるのに、もっと少なくなるし、成績が落ちたりしたら」
「行きたいのか行きたくないのか、どっちだ?」
「行きたいけど」
あまりにもあっさりと許可をもらえたせいで疑心暗鬼に陥り、不安を吐露した。
女子も含む友達と一緒に、泊まりがけの旅行だ。「いい子」である漱では絶対に言い出さなかった。
両親への反抗というほど大げさではないが、罪悪感がある。
「漱が旅行に行きたいと言い出すんだ。よほど大切なんだろう。具体的に何が大切かは知らない。一緒に行く女子か、文芸部の活動か、はたまた他のことか。なんにせよ、勉強よりも優先すべきと漱が考えたのなら止められない。勉強しろとは言うが、最終的に決めるのは漱だ」
自分の親なのに、漱はずっと思い違いをしていたかもしれない。二言目には勉強と言うのは変わらないが、勉強のみをさせようとはしていなかったのだ。
考えてみれば、強制的に勉強をさせたいなら、文芸部に入部することも許してくれなかった。塾の夏期講習にも無理矢理通わされた。
部活よりも勉強とは言われるものの、部活を辞めろとは言われないし、夏休み中の活動も認めてくれていた。漱の気持ちを蔑ろにしているわけではなかった。
優しくて理解のある両親だ。
「ありがとう、お父さん」
「だが、勉強はしろよ」
「分かってる」
耳にタコができるほど聞かされた言葉が、今は不思議と温かい。




