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十九話 愚者を消し去る

 (そう)的場(まとば)は『ベテルギウスの下で』を完成させたものの、納得のいく出来にはならなかった。二人で考えるのにも限界を感じ、OBの二人に頼る。

 今日は、狭間(はざま)鷲尾崎(わしおざき)に部室へと足を運んでもらい、書いた小説を読んでもらう。

 午前九時。部活の開始時間に遅れることなく、四人が集合した。


「完成したんだって? 早かったな」

「まだ一通り書いてみたって段階ですけどね。それに、新しい問題点も浮上しまして、俺たちじゃ限界です。部長と先輩が頼りなんですよ。今日はありがとうございます」

「暇だからいいぞ」

「僕は予備校があるので、今日だけだ。本当なら、前回予備校を休んだ時で最後にするつもりだったが、今度こそ最後だ」

「鷲尾崎の分は、俺が手伝ってやるって。あと一ヶ月はこっちにいるからな。大学は九月まで夏休みだからこっちに残って、ぐふふ」


 いやらしい笑みを浮かべる狭間は、やけに上機嫌だ。

 これだけ機嫌がいいとなると、例の話がうまく進んだのかもしれない。


「部長、ひょっとして」

「うむ、僕の姉とよろしくやっているらしい」

織姫(おりひめ)ちゃん、マジ可愛いんだよ! 初心で男慣れしてないところがいい!」


 織姫というのが、鷲尾崎の姉の名前なのだろう。織姫と彦星(ひこぼし)の姉弟とは凄い。

 となると、気になるのが妹の名前だ。織姫、彦星ときて、三人目の名前は一体。


「天の川? カササギ?」

「女の子の名前っぽくないですよ。私は(こと)だと思います。琴座のベガが織姫ですよね。ベガは変なので、琴の方かと」

「ああ、そっちがあるか。ミルキーウェイから、みるくってのも考えたけど」


 漱と的場は、鷲尾崎の妹の名前を推測してみた。

 カササギは天の川に橋を架ける鳥だ。年に一度、七夕の季節にカササギが飛んできて、翼を広げて橋を架けてくれる。

 ミルキーウェイは天の川の英訳だ。


「的場さんが正解だ。妹は琴。まったく、うちの両親は頭がおかしい」


 頭がおかしいは言い過ぎだが、一般的な名前ではないと思う。琴はいいとして、織姫と彦星は特に。


「姉がゲームばかりするようになったのも、元をただせば名前のせいだ。絶世の美少女が織姫なら釣り合いも取れるが、普通の女性だからな。バカにされることに脅え、現実での人付き合いが苦手になり、家でゲームばかりだ。妹は普通の名前なので、しきりに『織姫じゃなくてよかった』と言っている」

「お姉さんのお気持ちが分かります! 私の名前にも『美』の字が入っていますけど、美しくないんですよ!」

「まあまあ。名前談義はここまでにしようよ」


 彼氏としてフォローすべきかとも思ったが、二人きりならともかく今は言いにくかった。

 付き合うようになっても、漱はあまり変わっていない。

 本題に入り、狭間と鷲尾崎には小説を読んでもらう。


 ちなみに、的場は顧問の先生にも原稿を渡したらしい、昨日、職員室に印刷しに行った時、たまたま先生がいたそうだ。

 もっとも、意見をもらえるかとなると望み薄だ。熱心に顔を出してくれる先生ではない。

 どうも頼りにならない先生より、OBの二人だ。真剣に読んでくれている。

 三十分ほどして二人は読み終えた。


「率直な感想を聞かせてもらえませんか?」


 漱が言えば、まずは狭間が口を開く。


「よく書けてるじゃねえか。去年俺たちが書いたやつに比べれば、遥かに上だ」

「うむ、一週間で仕上げたとは思えない出来だな」


 鷲尾崎も答えてくれた。反応は上々といったところか。


「悪い部分はありますか?」

「俺はいいと思うぞ。これにダメ出しできるほど、小説の作法に精通してない」

「僕からはいくつかあるな。誤字脱字はのちほど伝えるとして、一番の問題は、夢の世界だと判明するのが少々唐突に思えることだ。小早川(こばやかわ)たちの頭には、夢の世界だという前提があるため、唐突になってしまったのだろう」


 前提知識なしで読む人のことを考えられていないのだ。素人が陥りやすいミスである。

 とはいえ、これは書き方の問題だ。読んで分かりにくい部分は改善すればいい。


「他には?」

「文章が変わっているな。別人が書いたと明らかに分かるレベルだ。比喩表現がほとんどなくなっている」

「そこは妥協させてください。俺も的場さんも、鈴木先輩みたいな天才じゃないんです。なるべく似せようとはしましたけど限界でした」

「ならば、僕からは以上だ」


 鷲尾崎に期待したが、望む答えは得られなかった。

 漱が考え過ぎており、夢の世界が軽く見えるのは間違いであるなら、それでも構わない。鷲尾崎に指摘された点を改善し、配布するだけだ。


「ふむ、小早川は不満のようだな。察するに、僕や狭間に何かを指摘してもらいたかったのか」

「その通りです。俺は納得できていません。昨年と同じように、これではないと感じています」

「私は、最初はいいと思いました。漱先輩に言われて、確かにしっくりこないなってなりました」


 先入観抜きで読んでもらうために内緒にしていたが、考えた問題点を伝える。

 夢の世界は、三人にとって何よりも重要であり、優先されるべきものであるはずだ。サッカーと比較できるものではないせいで、軽く見えてしまう。


「理想が高過ぎねえ? 小早川の言いたいことも分かるが」

「俺が間違っているならいいんですよ」

「間違ってはないぞ。軽いっちゃ軽い。だが、俺は軽い人間だし、俺が言っても説得力があるかどうか」

「なんでも構いません。先輩の意見を聞かせてください」

「ぶっちゃけ、夢の世界に行けるなら行きたいわけだ。楽しそうだからな。小早川が言ってるような『他の全てを捨ててでも』だの『何よりも(こいねが)う』だの、重い覚悟は持ってない。持ってないが夢の世界に逃げる。要するに、ジュンたちが同じだとしても、ふーんってなもんだ。いくらでもあるなって」


 狭間はいくらでもあると言った。重い覚悟は持っていないと。

 現実的に考えるのであれば、その通りだろう。至って普通の感情である。

 しかし、これは小説だ。小説の主要キャラクターには、普通でいてもらいたくないと感じる。


「厨二病患者のように、親がうざいとか周囲がバカばかりとか、その程度の気持ちで夢の世界に逃げてしまうキャラクターにはしたくないんですけど」

「書く必要はないだろ。実際、鈴木先輩が書いた部分には、親や周囲への不平不満は記述されてない」

「書かなくても見えるってことですよ」

「見えるか? まあ見えなくもないが……鷲尾崎、パス。俺には荷が重い」


 狭間は白旗を上げ、鷲尾崎に丸投げした。

 話をふられた鷲尾崎だが、何も語らない。左手を顎に当てて考え込んでいる。

 しばらくして、右手で眼鏡をくいっと持ち上げた。

 眼鏡が光ったように見えたのは気のせいだろうか。部室の蛍光灯の明かりが反射したのかもしれない。


「僕も狭間を批判できる立場ではない。親を始めとする大人を鬱陶しいと思うことはある。夢の世界を望みもする」

「俺だって同じですよ。むしろ、自分がダメな人間だからこそ、小説に多くを望んでいる節はあると思います。ダメな人間ではいてもらいたくないって」

「うむ、小早川の言いたいことも理解する。とりあえず言っておくが、現状でも問題ないレベルには達している。教訓めいた結末にもなっているし、先生方の印象もよいだろう。配布するのであれば止めはしない」


 最低限の代物はできているわけだ。実際に配布するかどうかは置いておくとしても、他者に読ませる(てい)にはなっていると。


「鈴木先輩は、非常に頭のいい人だった。勉強もできたし、会話の内容がいちいち高度だ。シュレーディンガーの猫を話題にする女子高生など、滅多にいない」


 鷲尾崎の言葉は、これまでとつながりがないように聞こえた。

 何か考えがあるのだろうし聞いてみる。


「手前味噌になるが、僕も勉強はできる。浪人しているのは、レベルの高い大学を狙い過ぎたためだ。しかし、僕でも鈴木先輩の話題にはついていけなかった。僕以外の部員も同様だ。無論、狭間も」

「つうか、鷲尾崎が無理なのに、俺じゃもっと無理だ。俺よか鷲尾崎の方が頭はいい。俺が現役合格して、鷲尾崎が浪人したからっつって、俺が上とはならない」

「鈴木先輩は素晴らしい人だ。僕は尊敬していたし、淡い恋心を持っていた。だが今思えば、少々頭が良過ぎたかもしれない」

「そこまでですか? 全国模試で一位を取るとかってレベルだったり?」

「学校の勉強や成績ではない。以前、狭間は僕に言っていた。『頭はいいがバカってやつの見本だ』と」


 漱も覚えている。喫茶店での一幕だ。

 鷲尾崎はスーツにマスクという格好であり、理由も聞いたが、狭間は「頭はいいがバカ」と評価した。


「不本意ながら、僕も自分が変わり者だとは思っている。バカみたいな外見の狭間に言われるのは納得がいかないが、僕がバカだと認めるのはやぶさかではない」

「似た者同士の親友ってこったな」

「はなはだ不本意ではあるが認めよう。何を言いたいかというと、学校の勉強ができることを指しての『頭がいい』だけが全てではない」

「分かります。というか、俺にとっては部長がそれですよ。将来の夢がないから勉強をするって話を聞いた時は、さすがだって思いました」

「ふむ、ありがとうと言っておくか。過大評価の気もするが」


 鷲尾崎は謙遜しつつ話を続ける。


「鈴木先輩は、まさしく頭のいい人だったと思う。高校野球を月にたとえた話などもしていた」

「小説に比喩表現を用いる鈴木先輩らしいですね」


 伝説の先輩がしたという野球部の話を、鷲尾崎が聞かせてくれる。


 日本では野球が盛んだ。たかが高校生の部活なのに、県予選からテレビ中継をするし、学校総出で応援にも行く。

 甲子園に出場すれば大騒ぎになる。他のスポーツとは一線を画す盛り上がりだ。

 これだけ華やかな舞台が用意されているのだ。プロにならない限り、人生で最も輝く瞬間であろう。

 それは果たして、幸せなのだろうか。


 強い輝きだ。それはそう、夜空に白く輝く月のように。

 月は美しいが、月明かりは強過ぎて儚い星の光をかき消してしまう。

 人生で最も輝く高校野球という瞬間を過ぎれば、以降の人生は月明かりにかき消される存在になってしまう。月に負けじと輝きを放てる星は数少ない。


「鈴木先輩の話は、おおよそこのような感じだった。この高校のように、なまじ野球がうまいほど危険性は高い」

「私だと、野球のボールはお月様みたいだ、とか陳腐な考えしか浮かびません。伝説の先輩は凄いですけど、ちょっとひねくれてます? ひねくれているって感じる私がひねくれているんでしょうか?」

「いや、的場さんの感想も正しい。僕も少々変だと思った」

「鈴木先輩は、物の見方が人と異なるってことですか? 『野球部ばっかり贔屓されやがって!』みたいな気持ちなら俺も分かりますけど、違うんですよね?」

「本心までは僕にも分からないが、高校生らしくない考えではあった。大人びている。このような性格なので、対等になれる人間がいなかった」

「それはいいですけど、だから結局なんなんですか?」


 鷲尾崎の話の着地点が見えず、漱は結論を急かせた。


「これは僕の推測だ。根拠など碌にない。鈴木先輩に対し、失礼極まりない推測になる」


 しきりに前置いてから、鷲尾崎は言う。


「鈴木先輩からすれば、周囲はバカばかりに見えていたかもしれない」

「それって、俺が考えた厨二病的な?」

「うむ」


 伝説の先輩を尊敬していると言った鷲尾崎が、まさか厨二病を肯定するとは。


「つまり部長は、ジュンたちが軽い気持ちで夢の世界に逃げてもおかしくないと考えます?」

「少し違う。逃げたのではない。逃げるのは居場所がないからだ。自分たちが世界に拒絶されているという意味になる。そうではなく、自ら望んで世界を拒絶し、愚者を消し去ったのだ。賢く正しい三人だけが世界に存在できるようになったのだ」


 随分と極端な意見に、漱は言葉を失った。

 鷲尾崎の言い分は、『ベテルギウスの下で』の有り方を根本から覆す。

 愚者を消し去ったのが夢の世界であるならば、愚者しかいないと思っている現実に戻るのはおかしくなる。


 一体、何が正解なのだろうか。

 狭間や鷲尾崎の意見を聞けば判明するかと思ったが、余計に分からなくなった。

 文芸部の部室に沈黙が流れる。

 鷲尾崎が話してくれた内容が強烈で、漱たちは言葉がなかった。


 沈黙を破ったのは、部室の扉をノックする音だ。

 部室を訪ねてきそうな人物に心当たりはない。部員である漱と的場はここにおり、OBの二人もいる。他に誰がいるか。


「はい、どうぞ」


 相手は不明ながら、居留守を使うわけにもいかない。

 漱が返事をすれば扉が開かれたが、そこにいたのは。

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