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十八話 他の全てを捨ててでも

 (そう)的場(まとば)が執筆を開始し、しばらく経過した。

 ストーリーはほぼほぼ決まったこともあり、素人二人にしてはすんなり進んだ方だ。順調だったと言える。

 順調なのは、小説だけではない。二人の関係もだ。

 毎日のように部室で二人きりになれる。漱はヘタレだが、的場は積極的なこともあり、毎日イチャイチャしていた。


「漱先輩、漱先輩」

「何?」

「そーせーんぱーい」


 リズミカルに漱の名前を呼ぶ的場は、肩が触れ合う距離まで接近している。

 部室では隣に座るのが常だったが、付き合い出して以降、日に日に距離が近付いているのが分かる。意味もなく漱の名前を呼ぶのも日常茶飯事で、ただそれだけでも嬉しくてたまらないといった様子だ。


「幸せです。こんな時間がずっと続けばいいのにって思います」

「俺も幸せだけど、残念ながらずっとは無理だね」

「分かってますよ。来年になれば、漱先輩は部活を引退して、卒業します。県外の大学に通うなら遠距離恋愛ですね。私が漱先輩と同じ大学に合格できるかも不明ですし、考えるだけで寂しいです」


 的場とこうして部活をしている時間は、漱にとってもこの上なく幸せだが、永遠ではない。時間は流れ、変化し続ける。

 一年後、二年後、あるいはもっと先。漱と的場の関係も変わってゆく。


「あまり先のことばかり考えても仕方ないよ。小説も完成させなきゃいけない」

「もうちょっとですよね。今日中には完成するでしょうか」

「頑張ろう」


 やるべきことは忘れていない。恋人の時間も重要だが、作業もしっかり行う。

 そして夕方。書き始めてから一週間で、約三万文字の小説を書き上げた。

 伝説の先輩が書いた分と合わせれば、文庫本一冊分近くになる。『ベテルギウスの下で』は、一応の完成を見せた。

 完成したのだが。


「できました! できましたね、漱先輩!」

「うん。でも……」


 喜ぶ的場とは対照的に、漱は喜べなかった。自分たちが書き上げた小説をいざ読んでみると、昨年と同じ印象を持ってしまったのだ。

 すなわち、これではないと。


 昨年と完全に同じわけではない。かなりよくなっていると思う。一週間で書いたにしては上出来であろう。

 だが、何か違う。これではない。

 どこが違うのだろうか。夕方の部室で頭を悩ませる。


「的場さんは、これでいいって思う?」

「不満はありますよ。漱先輩に失礼ですけど、私たちでは力不足でした。伝説の先輩ほど文章力がないせいで、魅力の一つである美麗な比喩表現がなくなってます」

「全体的なストーリーには満足してる?」

「そっちは満足ですね。いいと思いますけど、漱先輩は違うんですか?」

「悪くはないよ」


 正解に近いところにはきているはずだ。このまま配布したとしても恥ずかしくないレベルだし、読んだ人にもギリギリ納得してもらえると思う。

 小説の展開は、次のような感じだ。


 三人しか存在しない夢の世界にいるが、ジュンがここではサッカーができないと悟り、現実に戻ることを提案する。

 アキラとイオリは反対し、ジュンを責める。

 親友の三人は、一人と二人に別れてしまう。


 ジュンを失ったことで、アキラとイオリはますます二人の世界にのめり込む。二人で愛し合い、他人などいらないと。

 ジュンは、たった一人でサッカーの練習をする。

 その姿を見て、アキラとイオリもようやく悟る。自分たちが恥ずかしい真似をしていたと。親友を夢の世界に閉じ込めていてはいけないと。


 仲直りし、夢の世界を終わらせる決意をする。

 楽しくて幸せな夢だが、本当の幸いはここにはない。ジュンが幸せになれない。

 アキラとイオリだって、二人きりの世界に浸っていては幸せになれない。

 夢から覚め、現実に戻る。辛く苦しい現実だが、きっとここで本当の幸いは見つかる。いや、この先の人生を歩む中で見つけよう。


 以上である。


「漱先輩は、どこがダメだと思うんですか? ハッピーエンドになっていないからですか? 夢オチがよくありません?」


 物語はハッピーエンドが好まれる。漱も読後感がいい作品が好きだ。

 小説やマンガで夢オチは嫌われるし、そこもよくない。


「違うんだよ。ハッピーエンドにならないのは問題ない。そもそも、悪い終わり方でもなく、綺麗に終わっているよね」

「終わっています」

「夢オチも『ベテルギウスの下で』が夢の世界を舞台にしている以上、避けようのないことだ。大体、夢オチが嫌われるのは、全部が嘘になるからだと思うし」


 物語には様々なキャラクターがおり、様々な体験をする。

 漱の姉も言っていたが、本当にこういう世界が存在して、こういう人物が生きていると思わせるものだ。

 夢オチは、全てを否定することになる。

 キャラクターに感情移入していたのに、丸ごとひっくり返されれば嫌いもする。


『ベテルギウスの下で』も確かに夢オチだが、三人の夢としてあるし、他の登場人物もいない。よって、嘘という側面ではさほど心配しなくていいと思う。

 ジュン、アキラ、イオリの誰かが夢の産物であれば嫌われる夢オチになってしまうが、そうはしていない。


「じゃあ、なんですか? 私には思いつきませんけど」

「……ぶれている?」


 自信が持てなくて疑問形になったが、これのような気がした。


「何がぶれています? テーマですか? でも、『本当の幸い』はちゃんと使いましたよ。アキラとイオリは、ジュンのことを考えて現実に戻ります。親友のためですし、ある意味自己犠牲の精神にもなっています。アキラとイオリだって現実で恋愛する気ですし」

「なんかしっくりこないんだよね。どこかってなると……星と夢?」


『ベテルギウスの下で』は、タイトルにもなっているように星が重要な要素だ。

 オリオン座、あるいはベテルギウスをうまく使えていないのではないか。


「ベテルギウスは爆発しそうですし、儚いわけです。つまり、夢の世界を示唆しています。作中にも記載したじゃないですか。他に考えようがありません」

「夢は? 三人は、夢の世界で何がしたかったんだろ?」

「何かをしたかったんじゃありません。三人だけの世界にいることが重要だと考えています。これも書きました」


 他者を拒絶し、三人だけの世界を望む。十代くらいの若者であれば考えてもおかしくない。


「だからしっくりこないのかなあ。多分だけど、キャラクターの心情の変化がおかしくない?」


 自分で書いておいてなんだが、読み返すとおかしく思えてきた。


「三人だけの世界を望んだのに、三人だけではいけないと悟る。ここがポイントだけど、変化が急に感じる」

「急だと言われましても」

「ジュンは、夢の世界じゃサッカーができないのは百も承知だ。でも夢の世界を望んだ。なぜ望むのか。サッカーよりも、三人だけの夢の世界が重要だからに他ならない。サッカーが重要なら、夢の世界にいないよね。現実でサッカーをしている。それなのに、いきなりサッカーが大事と考えるのはおかしい」

「百も承知でしたけど、気付いたんです。考え方は人それぞれですし、気付く人がいても不思議じゃありません」


 的場の言う通り、人それぞれだ。夢の世界に満足してとどまる人もいれば、気付いて抜け出す人もいる。

 漱がおかしいと感じてしまうのは、気付いた時の気持ちが軽く見えるためだ。


「三人だけの夢の世界は、三人にとっては最優先事項だ。最優先ね。一番、何よりも、最も大切。他のことよりも優先されなきゃおかしい」

「そこは、気持ちが変化したってことでよくありません?」

「サッカー以外にも、様々なものが現実にはある。家族はいるし学校の友人や先生もいる。身も蓋もないことを言うなら、三人だけじゃ不便だ」


 交通機関は動かず、飲食店に入っても料理は出ず、好きなマンガやアニメの続きも見られない。電気ガス水道のようなインフラもどうなっているか。

 不便な点は枚挙に暇がない。

 解決しようと思えばできるはずだ。夢なのだから望めばいい。

 しかし、どこまでも三人の世界を望んでいる。


「軽い気持ちじゃない。他の全てを捨ててでも、夢の世界がいいと考えている。最優先事項ってのは、そのくらい強くて重い気持ちなんだよ」

「私が考えてた以上ってことですか。他の全てを捨ててでも、なんて考えませんでした」


 何よりも三人だけの夢の世界を(こいねが)う。

 ゆえに、夢の世界にいる。他の全てを捨てて。


「夢の世界は全てにおいて優先される。親よりも友人よりも、便利な生活よりも。この状況で、夢の世界よりもサッカーを選べばどうなると思う? ジュンにとってのサッカーは、アキラやイオリにとってのサッカーをさせてあげたい気持ちは、夢の世界を超え、全てにおいて優先されるべきことになる」


 夢の世界。希った理想の世界。

 そこに別れを告げ、現実へと戻る。おそらく、夢の世界には二度と戻れまい。

 重い決断だ。おいそれと選べるものではない。

 サッカーがしたい、させてあげたいという気持ちがあるとしても、簡単に「だから帰ろう」としてしまうと、夢の世界はなんだったのだという話になる。


「野球部の人たちは、甲子園を目指して必死に練習してますよね。今年の夏に負けた時は号泣していました。青春の全てを野球に捧げていると言っても過言じゃありません。ジュンのサッカーも同じレベルでは?」

「同じレベルじゃ弱い。青春の全てどころか、他も全て捨てている。そこまでして夢の世界を望んだ。何度も言うけど重いんだよ。それが簡単に覆っちゃおかしい」


 サッカーの優先順位は低いはずだ。そのサッカーに負けた夢の世界も優先順位が低くなり、軽く見える。夢の国と呼ばれるテーマパークがあるが、そこで遊んでいた人たちが名残を惜しみつつ帰る程度の軽さだ。

 夢の世界は重くなければならない。夢の世界から現実へと戻る展開にするなら、釣り合う重さの何かが必要になる。

 サッカーでは弱いが、かといって勉強や恋愛を用いてもやはり弱い。


「夢の世界を軽くする……のはダメですよね。何よりも希っているなんて設定にするせいで、うまく書けないんですし」

「鈴木先輩がどんな気持ちを込めて作品を書いたのか、正確なところは俺にも分からないけど、軽い話を書きたかったわけじゃないと思う」

「結果としてぶれているよう見える、ですか」


 夢の世界を軽く扱う方法もなくはない。

 厨二病患者のようなものだ。個人差はあるが、厨二病的な思考は誰しもするものだと思う。

 親をうざいと考えたり、死ねと感じたり。

 自分が正しく、自分が賢く、周囲はバカばかりと考える人もいる。

 勉強に嫌気が差し、役に立たない勉強ばかりを強要する社会はクソだ、など。


「ジュンたちも夢の世界も厨二病にする? 俺はしたくないけど」

「私も嫌ですよ。台無しです。小説にリアリティが必要なのは当然でも、つまらない現実をそっくりそのまま持ち込んでもつまらなくなります」


 やはり、厨二病にはしたくない。

 現状でも厨二病的になっているが、軽重はある。ヘラヘラした気持ちの厨二病では鼻につき、キャラクターの性格が悪く見える。

 夢の世界は最優先事項であってもらいたい。厨二病的であることを他者に笑われないよう、真剣に、重く。

 そうすると、最優先事項を上回るものは何になるかだが。


「何よりも希った夢の世界より重要なもの。そんなのある?」

「私は思いつきません。漱先輩は?」

「さっぱり」


 かなりいいところまで迫っておきながら、ここで暗礁に乗り上げてしまった。案が浮かばない。


「最悪は、このまま配布してもいいけど」

「これだけ頑張ったんですし、私たちが納得のいく作品にしたいですよね」


 結局、昨年の二の舞になってしまうのか。書いたはいいものの、これではないと感じるため配布しないという。


「まだ時間はあるし、考えるしかないか」

「期限はいつまでですか? 冊子を作る時間もいるので、数日前ってわけにはいきませんよね?」

「去年は、少し余裕を考えて、文化祭の半月前にしたね」


 残り一週間の夏休みと九月の前半、合わせて三週間ほどが使える時間だ。

 今回は一週間で書けたが、夏休みなので一日部活ができたからだ。新学期になれば倍の時間は見ておきたい。


「夏休み中が限界だ。九月になったら決めなきゃいけない。書き直すか、このまま配布するか、諦めるか」

「一週間ですか。短いですね」


 絶妙なアイディアが一週間で湧くかというと、難しいと言わざるを得ない。

 残念だが、今年も断念するしかないのか。


「俺たちだけじゃ厳しいし、部長と先輩にも頼る? せめて、今書いた分を読んでもらうだけでも」

「書いてもらうのはダメでしょうけど、アドバイスをもらうのはいいと思います」

「じゃあ、早い方がいいね。明日にしよう。予備校がある部長は厳しいかな」


 受験勉強よりも漱たちを優先しろとは頼めない。断られても仕方ないし、ダメ元で頼んでみる。


狭間(はざま)先輩は大丈夫でしょうか?」

「もしかしたらダメかも。ほら、部長のお姉さんと」

「うまくいったんですか?」

「うまくいってたらダメかもってこと。デートの予定とかあるかもしれない。俺が聞いてみるよ。的場さんは二人の連絡先を知らないでしょ?」

「お願いします。だったら、私は印刷してきますね。パソコンの画面を見てもらうよりも、印刷した紙を見てもらう方がやりやすいと思います」


 的場は、原稿のデータが入ったUSBメモリを持って職員室に向かった。文芸部の部室にはプリンタがないため、職員室のプリンタを使わせてもらう。

 部室で一人になった漱は、狭間と鷲尾崎(わしおざき)に連絡を入れる。まずは、可能性がありそうな狭間からだ。


「お疲れ様です。小早川です」


 小説が完成したので、一度読んでもらいたい。狭間にはそう説明した。

 問題点は伝えなかった。先入観抜きで読んでもらいたいためだ。

 狭間は、明日部室へきてくれることになった。ありがたい。

 続いて鷲尾崎にも電話をかければ、こちらも了承してくれた。本当に頼れる先輩たちだ。

 だからこそ完成させたい。漱たちが納得できる『ベテルギウスの下で』を。

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