十二話 夢の世界
漱と姉、的場の三人でファミレスに入った。
席に案内され、漱と的場が隣同士で姉が対面に座る。
的場は緊張しているようで、寒いと言い出す余裕すらなさそうだ。
「的場さん、大丈夫? 寒くない?」
「大丈夫です」
「無理なら言ってね。温かいスープでも注文しよっか。どうせ姉さんの奢りだし」
「安い物で」
漱が話しかけても、短い単語でしか返してくれない。
「寒いってどういうこと? 真夏なのに」
「的場さんは寒がりなんだよ。クーラーも苦手なの」
姉に説明しつつ、隣の的場を気遣う。
店員が注文を聞きにくると、的場はサラダだけにしようとしたので、代わりに漱が注文した。なるべく温かい料理をと思い、ドリアやハンバーグ、コンソメスープなどを。ついでにデザートにケーキも。
パフェでもよかったが、寒くなりそうなのでケーキだ。
料理を待つ間は、姉に『ベテルギウスの下で』を読んでもらう。漱は的場と会話する。
といっても、的場は相槌を打つだけで漱が一方的に話している。
「でさ、小説を書いてみたけど難しくて。さっぱり進まないよ」
「難しいんですか」
「難しいんです。文化祭で配布するのも難しいかもね。もしくは、文字数を減らして一万文字程度にしておくか」
「一万文字ですか」
「一万文字です。姉さんから世界が狭いって言われたけど、一万文字なら狭くてもいいかなって」
「狭いんですか」
「狭いんです。というか、さっきからおうむ返ししかしてないじゃない」
「おうむ返しですか」
これは重症だ。狭間や鷲尾崎に会った時はここまで緊張していなかったのに、なぜ漱の姉を相手に緊張するのか分からない。
異性の狭間たちよりも、同性の姉の方が親しみやすい気がする。
的場の気持ちが分からず、会話も続かなくて気まずくなっていると、料理が運ばれてきた。会話や読書を中断し、昼食といく。
姉はパスタ、的場はサラダだ。
漱の前には大量の料理が並べられる。一人で食べ切れる量ではない。
「ちょっと注文し過ぎちゃったな。食べ切れないな。残すのはもったいないし、的場さんが食べてくれない?」
わざとらしい言い方で、サラダをちまちま食べる的場に話しかけた。
「私が?」
「どれがいい? ハンバーグかドリアか。あったかいよ」
「でも、小早川先輩の分ですし」
「食べ切れないんだって。お願い」
「先輩命令?」
「命令じゃないよ。ただのお願い」
「……じゃあ、ハンバーグで」
ようやくまともに反応してくれ、漱も一安心だ。
会話も弾むようになる。食事に舌鼓を打ちつつ三人で話す。
「小早川先輩のお姉さんは、大学生なんですか。だから大人っぽいんですね」
「大学は楽しいわよ。特に一人暮らしが最高」
「姉さんは食事とか作ってる? 外食ばかりじゃ健康に悪いよ」
「漱こそ、どうせ夏休み中の昼食はカップラーメンなんでしょ」
さすがは姉だ。弟のことをよく理解している。
「小早川先輩、お昼ご飯がカップラーメンなんですか? 私がお菓子を食べようとすると、注意していたのに」
「はい、ごめんなさい」
「やっぱり、私がお弁当作りますよ」
「一度で十分だって。何度も作ってもらうのは悪いから」
「あんた、清美ちゃんにお弁当作ってもらったの? 果報者め。というか、そこまでやっておいてもらいながら……情けない。本当に情けない」
姉は呆れた様子で首を振り、「ここは姉として」などと不穏な発言をし出した。
「ねえ、清美ちゃん。小早川先輩って呼び方、変えない? 私も小早川だしややこしいでしょ」
「小早川先輩は小早川先輩ですし、小早川先輩のお姉さんはお姉さんですし」
「大体、小早川って長いし呼びにくくない? 漱先輩にすればどう?」
「ちょ、姉さん」
「漱も下の名前で呼ばれる方が嬉しいでしょ? 嬉しいって言え」
強引な姉だが、的場も漱を見ているので誤魔化すのは難しい。
「ま、的場さんさえよければ」
「はっきりしなさいよね。嬉しいか、嬉しくないか」
「……嬉しいです」
「いいんですか? 漱先輩って呼んでも?」
「いいです」
なんだろうか、この羞恥プレイは。
恥ずかしいのもあるし、情けなくもある。自分で頼めないから姉に協力してもらった形だ。
「漱先輩」
「何?」
「呼んでみただけです。実は、心の中では漱先輩だったんですよ。漱って名前、素敵です」
「清美ちゃんは可愛いわねえ。私のことは『お義姉さん』でお願い」
「はい、お姉さん」
「多分違う気がするけど、まあいっか」
満足気な顔で、姉はパスタを口に運んでいる。
そこからも話は続き、漱の名前の話題になった。
「漱先輩の名前って、夏目漱石から取ったんですよね? 読書好きの子供になってもらいたい、とかですか?」
「それもあるかもしれないね。でも、一番の理由は別だよ。夏目漱石は小説が有名だけど、他の仕事もしてたでしょ。東大の先生とか」
名作をいくつも残している作家なのでそちらが注目されがちだが、夏目漱石は勉強もできた。東大卒のエリートで、イギリスへの留学経験があり英語が堪能だ。
漱の両親は、小説よりもこちらを求めて、夏目漱石のようになってもらいたいと願いを込めた。昔は千円札の肖像画にもなっていたため、偉大な人物に育って欲しいという期待だ。
狭間は、日の丸を背負う人間で日丸と名付けられたが、それ以上に重い名前だと思う。
オリンピックの代表選手になり日の丸を背負ったとしても、紙幣の肖像画にはなれない。ノーベル賞を受賞しようと総理大臣になろうと困難だ。
無論、本気でそこまでになれと言われているわけではないが。
「うちの両親は、私にも漱にも、何かにつけて勉強勉強だからね。どこの家庭も一緒かもしれないけど。清美ちゃんも言われない?」
「私はあまり言われないんですよ。妹もです」
「的場さん、妹いるの?」
「いますよ。中二の妹が一人。勉強は全然しなくて、部活ばかりしています」
兄弟がいるのはおかしくないが、的場は妹っぽいだけに、家では姉であるという事実が意外だ。
「うちと似てるわね。弟と妹の違いはあるけど、二つ違いか。妹さんは可愛い? 漱は生意気で生意気で」
「生意気ってほどじゃありません。たまには姉妹ゲンカもしますけど」
「漱、聞いた? 生意気じゃないんだって。見習いなさい」
「漱先輩が生意気な姿が想像できません。漱先輩は優しいです。お姉さんには悪口とか言うんですか? 『ブス』とか『デブ』とか?」
「言えばぶっ飛ばす」
「言えばぶっ飛ばされる」
姉と漱は、ほぼ同時に答えた。
息の合う姉弟を見て、的場は小さく笑う。
「私だと、妹が生意気なことを言ってもぶっ飛ばせませんね。絶対に勝てません。私と違ってスポーツが得意で、テニスをやってます。身長も私より高いんですよ。ちょっと前までは私の方が大きかったのに」
「中学生なら、成長期で背も伸びる時期だよね。俺も中学時代に一気に伸びた」
「羨ましいです。私はちょっとだけですよ。妹の方が年上に見えます」
「妹さんのことは知らないけど、的場さんは妹っぽいよね」
「本当の妹になりたかったですよ。妹は好きですけど、優しいお兄ちゃんが欲しくて。漱先輩はお兄ちゃんみたいだなって思っていましたし、お姉さんがいたのが凄く意外です」
漱が的場を妹っぽいと思っていたように、的場も漱を兄っぽいと思っていたらしい。
「あの漱が、部活ではお兄ちゃんみたいねえ。あんた、普段何やってんの?」
「何もしてないって」
「漱先輩に何かしてもらうんじゃなくて、私がお世話したいです。マッサージしたり、お弁を当作ったり、三度回ってワンと鳴いたり」
「漱……」
姉の冷たい視線が突き刺さる。
「誤解だから。俺はなにもしてないから。的場さんも、変なこと言わないで」
「後輩として当然のことですよ。妹としても当然です」
「的場さんの後輩像がおかしいって、いつも言ってるよね」
「私がやりたいのに」
「ま、いいコンビなのは分かったかな」
漱と的場のやり取りを見て、姉はそう結論付けた。
三人で会話をしつつ食事を終えた。
食べ終わるとケーキも運ばれてきた。一つだけだと的場は遠慮すると思い、三人分だ。
姉は『ベテルギウスの下で』の続きを読んでいる。最後まで読み終われば、冊子を漱に返した。
「どうだった?」
「ん? まあ、面白かったかな。中途半端なところで終わってる部分を除けば、いい作品だと思うわよ」
「俺の小説に対して言ってた、世界が狭いとか不要な物をそぎ落としたとか、その手の感想はある?」
「なるほど、漱が聞きたかったのはそれか」
「漱先輩、どういうことですか?」
事情を知らない的場に説明した。
漱の小説は「世界が狭い」と言われ、『ベテルギウスの下で』も同様だと思ったと。
「世界が狭い。そう言えなくもありませんね。でも、だからこそ『ベテルギウスの下で』は面白いんだと思いますけど」
「私も同意見。漱の小説とは、似てるようで違う。この小説、『ベテルギウスの下で』だっけ? これも確かに狭いわよ。主役の三人しかいない世界みたいに感じるけど、そこが面白さかなって」
「やっぱり。ありがと、姉さん」
大きなヒントをもらえた。漱の勘違いではなかったようだ。
不要な物をそぎ落とした狭い世界。三人しかいない世界。
すなわち、夢の世界だ。
「『ベテルギウスの下で』は、現実が舞台になっていない。これは夢だ」
「夢ですか?」
「ジュン、アキラ、イオリの三人しか存在しない、夢の世界。他の人間は、三人の会話中にしか登場しないでしょ。よく読めば徹底してるよ」
物語の舞台は、主に家と学校だ。
高校生なら遊びに行ってもいいのに、それがない。どこかの店に行けば、店員が登場してしまうから避けたかったのではないか。
通学は徒歩だ。バスや電車に乗れば、乗客や乗務員が登場してしまうためと考えられる。
「って俺は考えたけど、的場さんはどう?」
「一理あります。でも、学校は? 先生や生徒がいますよ?」
「学校ごっことか? 三人だけで授業の真似事をやってるとも考えられる。他は三人じゃ成立しない。ファミレスで勝手に料理が出てくるわけないし、バスに乗って自動で走るわけもない」
「……漱先輩の考察、正しいかもしれません。星空を見上げるシーンも、学校の屋上だったはずです。これはおかしいですよ。山奥の学校でもないのに、目もくらむような星は見えません。町の明かりが邪魔をします」
的場が入学する前、漱と狭間の二人で天体観測をしたが、星はあまり見えなかった。オリオン座ほど目立つ星座なら見つけられるが、『ベテルギウスの下で』において描写されているような星空ではない。
三人しかいない夢の世界なら、夜は真っ暗闇だ。星だって綺麗に見える。
「しきりに夢の話をしていた鈴木先輩は、小説を書いた。夢の世界が舞台になっている『ベテルギウスの下で』を」
「つながりました! 漱先輩、凄いです!」
「なんかよく分からないけど、私の役目は終わりでいい? じゃあ帰るわね。あとはごゆっくり」
伝票を持って姉は席から立った。
漱と的場は帰らず、ファミレスで話す。『ベテルギウスの下で』が夢の世界であるとして、作中で伝えたい「本当の幸い」とはなんなのか。
素直に考えれば答えは一つだ。
「夢の世界に逃げてもいいことなんてない。夢から覚めて現実を見ろ。現実で本当の幸いを見つけろ」
「定番ですよね。夢の世界は確かに幸せで、望みも叶うけど、うまくいかない現実こそが僕たちの居場所だ。みたいな感じですか」
「そうだね。辛いことも苦しいこともたくさんあって、でも幸せだってある」
「分かります。私も……」
的場は途中で言葉を止め、体を震わせた。
話に夢中で忘れていたが、寒さに弱いのだった。
「ごめん、寒い? 出ようか」
「いえ、私なら平気です」
「無理しないの。続きは部室で」
今日は部活の予定はないが、せっかくヒントを得たのにこのまま解散はしたくない。臨時で部活を行うことにした。
会計は姉が済ませてくれているので、そのままファミレスを出る。
外に出れば、漱は暑くて顔を歪めたが、的場は気持ちよさそうだ。やはり店内は寒かったのだろう。
「私、いつもご迷惑をおかけしていますよね」
「急にどうしたの? 迷惑って?」
「寒がりなことです。ファミレスの方が涼しいですし、漱先輩はそっちがいいですよね? なのに、私のせいで部室に」
「気にしないでいいよ。体質のようなものだし、どうしようもないでしょ。この炎天下にずっといようって言われたら嫌だけど、部室ならそうでもない」
「ご迷惑をおかけする分、お世話を」
「結構です」
油断も隙もない。どこからでもお世話に持っていこうとする。
「夢の世界なら、好きなだけお世話できるのに」
不満げに呟いた的場だが、随分と可愛らしい夢だ。
なんでも願いが叶う夢の世界で、やりたいことが漱のお世話。こんなのは、的場くらいのものだろう。




