十話 親友
小早川漱、的場清美、狭間日丸、鷲尾崎彦星。
怪しげな四人組が集合した。
鷲尾崎はマスクをずらし、コーヒーを一口飲んでから話す。
「それで、僕を呼びつけた理由は? 小早川が困っているという話だったが」
漱は、『ベテルギウスの下で』や伝説の先輩の話をする。部室で狭間にした内容とほぼ同様だ。
「今年も小説の続きを書くつもりなのか。昨年、失敗したのに」
「失敗しないためにも教えてもらいたいんです。鈴木先輩は、何を思って『ベテルギウスの下で』を書いたのか。作品に込められた思いやテーマを知って、初めて完成させられると考えています」
「本人ではないのだし、僕に聞かれてもな」
それはそうだ。知っているなら、昨年の時点でマシな続きが書けていた。
「俺も小早川たちに聞かれたが、覚えてることが少なくてさ。鷲尾崎の記憶力に期待したいわけだ」
「具体的には?」
「何からいくか……鈴木先輩の下の名前、なんだっけ?」
「サクラだ。漢字は植物の桜」
鈴木桜先輩か。女性らしい名前だ。
「名前など知ってどうする? 役に立つのか?」
「ほんのジャブだ。俺はどうしても思い出せずにもやもやしてたからな。小早川、次は?」
「鈴木先輩は、銀河鉄道の夜がお好きでしたか?」
「好きだったな」
鷲尾崎は、名前に引き続き即答してくれた。狭間よりも覚えているみたいだ。
「お前、なんで知ってんの?」
「鈴木先輩と話したからだ。恥ずかしながら、僕は銀河鉄道の夜を読んだことがなく、その話がきっかけで読んだ」
伝説の先輩は、やはり銀河鉄道の夜が好きだった。ほぼほぼ間違いないと思っていたものの、こうやって確信を得られる情報があると助かる。
さらに伝説の先輩の人柄について質問していくが、答えは狭間と変わらない。
男子に人気の美人であり、真面目な優等生で読書家。友達とバカ騒ぎはせず、大人しい性格である。
「鈴木先輩って、なんか小難しい話をしてなかったか? 俺は思い出せなくて」
「それでは分からん。どのような話だ?」
「なんつうの、哲学? なんちゃらーかんちゃらーの法則的な」
「……シュレーディンガーの猫?」
「それだ!」
「凄い」
的場が感心したように声を漏らした。
漱も本気で感心した。よくもまあ、なんちゃらーかんちゃらーの法則から、シュレーディンガーの猫を導き出せたものだ。
連想ゲームにすらなっていない。シュレーディンガーの猫は、哲学とは別物だ。
漱も詳しく知っているわけではないが。
「シュレーディンガーの猫って、箱の中の猫は生きているか死んでいるか分からない、みたいな意味でしたっけ?」
「すまないが、僕も知らない。大学入試には無関係な知識だからな。しかし、小早川が今説明した内容は、正確ではない。鈴木先輩は詳細に説明してくれたが、僕たちの誰もが話についていけなかった」
一般的な高校生が持ちうる知識ではないということか。
読書家のため、本で得たのかもしれない。他者に説明できるほどだから、内容も理解していたのだろう。
単純に勉強ができて成績がいい人ではない。漱が考えていた以上に聡明な人だ。
「他にも色々と話をしていたな。星が好きだったようだ。『ベテルギウスの下で』でも星座が登場している」
「星好きなのに、天文部ではなく文芸部に入ったんですか?」
「天体望遠鏡で観測するのは無粋と言っていた。僕たちが見ている星の光とは、今現在光ったものではない。ベテルギウスであれば約六百四十二年前の光だ。その光を地上から見上げることが好きだと」
光が一年の間に進む距離が一光年だ。ベテルギウスの距離は知らないが、六百四十二光年離れているなら地球に到達するには六百四十二年かかる。
「独特の感性を持っていたんですね」
「そうだな。天文部を否定するわけではなく、個人的な趣味だと。何百年、何千年と宇宙を旅してきた光を見るからいいらしい」
「他にありませんか?」
「ふむ、星以外となると、夢の話が多かった」
「将来の夢ですか? 俺はプロ野球選手になりたい、みたいな」
「寝ている時に見る夢だ。胡蝶の夢、春の夜の夢、など」
胡蝶の夢は知っている。
荘子という人が蝶になった夢を見ていて、目が覚めた。果たして自分は蝶の夢を見ていたのか? もしくは、人間である今こそが、蝶が見ている夢なのか?
現実と夢の区別がつかなくなった状態を指す言葉だ。
春の夜の夢は、短く儚いもののたとえとして使われる。
「短く儚い……ベテルギウス?」
「ベテルギウスのどこが短くて儚い?」
「爆発しそうだって話があるみたいじゃないですか。天文ファンの間だと有名な話だって聞きました」
「ふむ、星の寿命が残り短いというわけか。いささか強引では?」
「小さな手がかりでも欲しいんですよ」
「まるで推理小説の探偵だな」
鷲尾崎のたとえは的確だった。まさに、少ない手がかりを元にして問題を解決する探偵の気分だ。
「夢といえば、鈴木先輩は夢十夜も好きだったようだな」
「夏目漱石の小説ですね」
漱も読んだことのある小説だ。「こんな夢を見た」から始まり、タイトルの通り夢の内容を語っている短編集である。
胡蝶の夢、春の夜の夢に続き、夢十夜。
銀河鉄道の夜も、丘の上で眠ってしまったジョバンニの夢だったのではないかと考えられるし、夢がヒントになりそうだ。
「文学小説だけではない。不思議の国のアリスも読んでいた」
「俺も最近読み直しましたよ」
銀河鉄道の夜を探していた時、偶然見つけて読んだばかりだ。
不思議の国のアリスは、結末が夢オチになっている。これもまた夢だ。
「これだけ頻繁に出ると、無関係とは思えませんね」
「なんだかイメージに合いません。私の勝手なイメージですけど」
「的場さんのイメージって?」
「夢の世界ってなんでもありというか、願いが叶うじゃないですか。空を飛ぶ夢を見た経験とかあると思います」
「エロい夢を見たら得した気分になるよな」
「おい、狭間」
「先輩」
漱も少し考えたが、口には出さなかった。
男子三人ならともかく、ここには女子の的場がいる。気まずくなるのは嫌だし軽蔑もされたくない。
狭間も失言だと思ったのか、すぐに撤回する。
「俺が悪かった。空を飛ぶ夢ね。たまに見るよな」
「は、はい……それでですね、やっぱり想像すると思うんですよ。現実もこうだったらいいのに、夢の世界のように楽しければいいのにって。少なくとも、私はします。でも、所詮は夢なんです。夢の中で美少女になったって、現実で美少女になれるわけじゃありません」
「分かる分かる。いや、的場さんは今のままでも十分に可愛いが、俺も夢の中で彼女ができれば超嬉しい。夢ならフラれる心配もないしな」
狭間はサラッとナンパなセリフを交ぜつつ、的場の意見を支持した。
女子に面と向かって可愛いと伝えるのは、漱ではできない芸当だ。
「狭間はプレイボーイになったな。僕の知る狭間ではない」
「大人の男になったってことだ。鷲尾崎も大学に入って彼女作れよ」
「大学で彼女を作る気はないが、それはいい。的場さんの話は僕も理解できる」
「俺もです」
鷲尾崎も漱も同意した。
夢の世界は楽しい。非現実的な体験だってできる。不思議の国のアリスや、銀河鉄道の夜のように。
的場の言わんとしていることが、なんとなく分かった。
「鈴木先輩のように恵まれている人が、夢の世界にのめり込むのはイメージに合わないって言いたい?」
「はい。もちろん、絶対にないとは言いませんよ。いくら恵まれていたって、上には上がいます。現実では絶対に不可能なこともあります。ファンタジー小説のように大冒険をするとか、お姫様になって王子様と結ばれるとか」
「銀河鉄道の夜もそうだよね。銀河を旅することはできないし、死者にも決して会えない」
そうすると、『ベテルギウスの下で』も同じではなかろうか。現実では叶えられない夢を小説に込めた。
テーマになっている「本当の幸い」も夢に関係してきそうだ。
では、問題の夢とは何か。大冒険はせず、大事件にも巻き込まれず、普通の日常を送るだけでしかない小説なのに、どこに夢の要素があるか。
「部長、先輩。不躾な質問をしますけど、鈴木先輩には友達がいましたか? 『ベテルギウスの下で』のキャラクターであるジュン、アキラ、イオリのような、親しい友達が」
漱が考えたのはこれだった。
普通の高校生でしかないジュンたちは、決して恵まれているとは言えない。伝説の先輩の方が恵まれていると思う。
両者の違いは、親しい友人の有無ではないかと思った。
話を聞く限り、伝説の先輩は友達とバカ騒ぎをしない性格だったそうだし、親しい友人もいなかったのではないかと。
銀河鉄道の夜における「本当の幸い」は、自己犠牲の精神だ。
『ベテルギウスの下で』は、赤の他人ではなく親しい友人のために自分を犠牲にすることだと言いたい。
推測に推測を重ねたものでしかないが、筋は通っていると思う。
「親しいねえ、程度問題だが」
「僕では分からないな。鈴木先輩がいじめられていたとか、仲間外れにされていたという話は聞かなかった。僕たち文芸部員とも普通に話してくれた。しかし、親しかったかと問われると素直に頷けない」
「俺と鷲尾崎は親友だが、こんな関係の相手はいなかったかもな」
「僕たちが親友? ならば、まずはその外見をなんとかしろ」
「拒否しないのが鷲尾崎のいいところだ。若干ツンデレだが」
「ふん」
恥ずかしくなったのか、鷲尾崎は顔を背けてコーヒーをずずーっとすすった。
「なくなったし買ってくる。ついでに化粧室にも行くから待っていてくれ」
「俺も一緒に行くぜ」
鷲尾崎と狭間が二人そろって席を立ち、トイレに行った。
外見も性格もまるで異なる二人だが、昔から意外とウマが合うのだ。
「あの二人が並ぶと、違和感凄いよね。サラリーマンに難癖つけるチンピラにしか見えない」
「親友だと思う人はまずいないでしょうね。ちょっと羨ましいです。同級生が部活にいてくれればよかったんですけど。あ、小早川先輩と二人なのが嫌なんじゃありませんよ。今も凄く楽しいです」
「ありがとう」
漱も似たようなことを思う。
的場と二人の部活も悪くない。可愛い後輩ができて嬉しい。
だが、同級生がいないのは寂しいものだ。仲のいいクラスメイトもいるが、親友と呼べるほどではないし、狭間と鷲尾崎のような関係には憧れる。
的場は女子なので、どうしても遠慮が出てしまうのも理由の一つだ。気の置けない同性の友人がいてくれればいいと思う。
伝説の先輩もこのように願っていたとすれば、理想の友人関係として『ベテルギウスの下で』を書いたのではなかろうか。
「一人で静かに本を読んでいるけど、内心では仲良くなりたいと考えていた」
「伝説の先輩ですか? 控え目な性格だったんでしょうか。友達が欲しいのに作れなかった。そういえば、銀河鉄道の夜でもジョバンニにはカムパネルラという親しい友人がいますし、だから好きだったんでしょうか。テーマになっている『本当の幸い』は、親友がいることか、もしくは親友のために自分を犠牲にすることか」
漱も同じように考えたため、鈴木先輩に親しい友人がいたかどうかを質問した。
先ほどは自信があったが、改めて考えると納得がいかなくなる。
「友情の物語なら、他にふさわしい小説がある気もするんだよね。パッと思いついたのだと、走れメロスとか」
太宰治の作品だ。主人公のメロスと、親友のセリヌンティウスの友情物語。
突っ込みどころの多い作品ではあるが名作だと思う。
「『ベテルギウスの下で』もそうだよ。ジュンたち三人は親しい友人だけど、友情を押し出した物語じゃない。アキラとイオリが恋愛関係にあるように、友情以外のものに着目している。変な例になって申し訳ないけど、俺と的場さんとかさ」
「私と小早川先輩?」
「俺たちは仲がいい……と思っていいよね?」
「もちろんです。私は小早川先輩が先輩で嬉しいですよ」
「ありがと。でもさ、俺たちは先輩後輩だし、男子と女子だ。親友になれないわけじゃないけど、同い年で同性の相手に比べれば難しい。俺たちを小説の登場人物と考えれば、友情の物語にはなりにくいと思う」
男女の間に友情が成立するかといったテーマの物語なら分かる。
そうではないなら、漱と的場を指して友情と言い切るのは難しい。友情よりも恋愛が主軸になる。
漱と狭間たちもだ。親しい同性ではあるが先輩後輩の関係だし、親友とは呼びにくい。先輩と後輩の物語になる。
理想は、狭間と鷲尾崎のような関係だ。
外見が違っても、性格が違っても、気の置けない親友同士。
もしも漱が友情をテーマにした小説を書くなら、あの二人をモデルにする。
「片や真面目で杓子定規な優等生。片やチャラくて軽い性格の不良。狭間先輩が不良なわけじゃないけど、小説を書くなら俺はこう設定する。正反対の二人が徐々に仲良くなり、やがては無二の親友に。男同士の友情物語だ」
「いいですねえ。読んでみたいです」
「……割と本気で書いてみようかな」
単なる思いつきだが、悪くなさそうな気がする。『ベテルギウスの下で』の続きを書くことを一番の目標とし、次善策で男同士の友情物語を書いてみようかと。
長編小説にするつもりはない。ほんの数万文字程度、銀河鉄道の夜くらいの長さにしておけば、漱でもなんとか書けそうな気がする。
一日千文字書けば、一ヶ月で三万文字だ。夏休み中だから時間もあり、文化祭には余裕を持って間に合わせられる。
ここ二年、文芸部は文化祭で何もしていない。今年も『ベテルギウスの下で』の続きを書くのに失敗すれば、三年連続で何もできなくなる。
だったら、漱が自作小説を書いて配布すればいい。
今日、帰宅すれば、早速やってみようか。
思いつきを実行に移す気になっていると、モデル候補の二人が戻ってきた。
漱の小説もいいが、今は『ベテルギウスの下で』のことを考えよう。こちらが最優先には変わらない。




