王子と奴隷の少女1
一年間の内で、雨の日と晴れの日はどちらの方が多いのだろうか。
そんなことを訊かれると、国民は大概首を傾げてしまう、そんな気候の下に栄える小王国、それがエーレスである。
星が自ら回っている、という発想が常識として社会に浸透し始めたのは、百十数年ほど前にどこかの国の学者たちがある功績をあげたことがきっかけだと言われる。
常人には理解し得ない奇怪な実験や考察を生業とする彼らは、国家や他人から悪魔崇拝の疑いをかけられながらも自身の飽くなき探究心に忠実に従い続け、異端者の戯言を世界の常識へと覆してみせた。
昼と夜の差をも生み出すこの大きな力は、大気の流れですら簡単に狂わせる。
大陸の遥か南で発生した湿潤な風は、この星の「回転」と相まって東に傾き、西の海峡を渡ってここエーレスの地に届く。
この風が一年を通してほぼ変わらずに吹き続け、頻繁に雨をもたらすという仕組みになるわけだが、だからといって近辺の土地は決してジャングルのように木々が生い茂っているわけでも無く、むしろ砂漠地帯やただの野原と化している平原が多く存在する。
海に面した土地はとりわけ方々からの風を受け入れやすく、侵入した多くの種類の風が砂地を散らかしては植物の成長を妨げているからである。
そんな一年中雨季の続く荒地を統治する王国エーレスの歴史は、約三百年前に大陸の南で生活を営んでいた部族の大掛かりな移動に始まる。
急激な人口増加に伴う相次ぐ食糧難に限界を悟り、彼らは新天地を求めて北へと歩を進めた。
このヴィーマ族と呼ばれる人種は、歴史的には南の地で数々の大きな武功を収めたことで知られており、血筋であるのか、一族を挙げて「戦闘」を好む種族として名を馳せていた。
現在では亜種との混血が進み、平和を主張し戦争に対して強く反対する国民も年々増えてきてはいるのだが、王室をはじめとする国の公の機関では「武人としての誇り」の名の下に軍事的な意味で心身の練磨を正義の行いとする政治・教育方針が根強く残っている。
あまりにもその教えに熱心であるために、さほど宗教色が強くないこともこの国の特徴のひとつとして挙げられる。
国民の間では目を見張るスピードで非暴力の精神が伝播し、国家を立ち上げた偉大なる戦闘部族の功績を敬愛してやまない国との確執を主な原因として、内政は必ずしも安定しているとは言えない状態にある。
その渦中で、現国王の新しい王子が誕生した。
その名をクレイド・ファン・エーレスと言い、彼は王族たる品格をただのひとつも持ち合わせないまま、ただの腕白小僧としてすくすくと成長し、王宮からの脱走を始めとした数々の悪戯や悪行をはたらくようになった。
実際には第三王子という扱いになるが、クレイドの母にあたる妃ソフィーは王室の他のどの女よりも国王の寵愛を受けていたため、彼女が病気により悲運の死を遂げた後もその息子であるクレイドは例外的に特別扱いを受けて育ってきた。
つまり、この破天荒王子の性格はこの甘やかしの生んだ産物ということである。
しかしだからと言って何もかもが許されるわけでは無く、彼が五歳のときに王宮を飛び出して近隣の村で騒ぎを起こした事件を皮切りに、国王は息子に非難の目を浴びせるようになった。
実際には、その数ヶ月前から始まった王子の脱走癖が顕著になってから間もない頃には既に、国王の胸中に巣食う憎悪は巨大なものになっていたのだが。
王族の一員であるという自覚も無しに、国の名誉に傷をつけてばかりいる、出来損ないの息子。
クレイドが十八の誕生日を迎える頃には、国王の中には彼を息子であると認識する心さえもほとんど残っていなかった。