プロローグ(2)
その名をクレイドという小さな男の子は、幼いながらに自身の中で日を増すごとに逞しく育っていく好奇心に打ち勝つことが出来ず、数ヶ月前からしょっちゅう王宮を抜け出しては行方不明になるという、他人からすれば迷惑以外の何物でも無い脱走癖を持つようになっていた。
一週間に三回以上は脱走を試みるこの腕白王子は、すでに周りの大人たちにその対処法を身に付けられている。
大体が学習室で帝王学を教わっている最中に抜け出して、調理場の倉庫で給仕長に取り押さえられたり、塀の外を巡回する警備員に見つかったりして、腕白五歳児の大脱走劇はものの一時間足らずで終幕を迎えるのが常だ。
しかし、今回の脱走はいつもとは違う。
この辺りの土地一帯を統括するエーレスの誇り高き王族の一員クレイド・ファン・エーレスという幼い冒険家は、王宮を離れてこんなに遠くまで出てきたことは無かった。
身を隠すために羽織ってきたローブのおかげで雨や夜間の寒さを凌ぐことは出来たが、何も無い真っ暗な夜道は彼にとって初めての光景であったため、一度走り出したら怖さのあまりそのまま止まることが出来なくなってしまった。
なんとも間抜けな話ではあるが、それでも大人ですら馬で移動するような距離をたった一晩で走り抜いてしまった。
王族と呼ぶに相応しい気品の欠片も無い。
クレイドはわけもわからずに飛び込んだモンテの村で漸く、空が白んできたことに気が付いた。
ほんの数時間前まで雨が降っていたのが嘘のように思える、快晴。
首都サンダーベルクの北門から伸びる街道を辿れば、モンテの村が五キロほど先にうっすらと見えてくる地点がある。
そこから北東に分岐する脇道に乗り換えれば誰でも迷わずにこの村に辿り着けるわけだが、周りは平坦な野原であるのに関わらず、この脇道だけはいきなり上り坂から始まっている。
そこまで急な坂では無いものの、村の入り口から振り返ればその麓が良く見える位の高低差がある。
坂を上ったとき、ふとどれだけ上ってきただろうという好奇心から来た道を振り返ることはごく自然な行為であり、クレイドにとってもそれは例外では無かった。
良い汗をかいたとばかりに振り返ると、その視線の先、つまりあの分岐点の辺りに、見覚えのある格好をした騎士が三人ほどいるのがわかった。
驚きと恐怖のあまりに、クレイドは異様な叫び声をあげて早朝の静かな村を走り出したのだった。
…こうして物語は冒頭の部分に繋がることになる。