王国軍と魔王軍
嫌な時間は大抵長く感じるものだが、魔王軍が進軍したとの報告から、既に三日が経過していた。
昼時なれど空は灰色の雲で覆われ、王国周辺は何時もより薄暗い。今にも雨が降りそうな天気だ。
その天気と同じく、兵士の心は深く落ち込んでいた。
青空が見えていれば、同じ状況でも大分違うだろうに。
神も意地悪な物だ、と皆呟く。
ネイノートは城壁の上にて、弓の手入れをしていた。
火竜の弓、魔鋼鉄の弓に加え、先の二つが何らかの理由で使えなくなったときの為に、追加で二本の弓を用意している。また、弦が切れた時の為に、替えの物も用意した。
弦の張る強さを調整している少年の傍らには、鉄の鏃が付いた矢が小さな山を作っている。
いつでも戦闘に入れる。
そんな状態で彼は、出来上がった弓の弦を何度か指で弾いた。
何度も何度も感触を確かめ、漸く満足する頃、その報せは届く。
「魔王軍が現れました!」
姿を現した伝令兵は、東の森を指さし叫ぶ。
その声を聞き、ある者は恐怖に頭を抱え、ある者は気を奮い立たせ武器を握った。
ネイノートもまた漆黒の弓を握り締め、東の森を見る。
眼下では多くの兵士が列を成し、慌てて陣営を整えていた。
森の一点から黒いものが現れた。
それはどんどん大きくなり、生き物のように蠢きながら、綺麗に四角く形を整えていく。
以前戦った巨人族の率いる兵士とは雲泥の差だ。
今見える軍は、確かに隊列を組み、明らかに統制が取れているように見えた。
現状で火竜や巨人族のような、巨大な魔物は見当たらない。
勿論クリスタルウルフのような存在があるため、一概には言えないが、A級冒険者、S級冒険者が出ねば勝てないような魔物はいないようだ。
だがその異常さと言ったらない。
ゴブリン、オーガを始め、狼に蜘蛛、蛇に半魚人。
多種多様な魔物の姿が確認できた。
暫くすると魔王軍は行軍を始める。
横に広く隊を組み、歩くその様はまるで熟練の戦士のようだ。
その光景に、王国軍の皆は飲み込まれてしまった。
空気が鉛のように重くなった錯覚を覚え、満足に息も吸えない。
手足が震え、歯もなり出した。
耳鳴りが聞こえる者も出てくる。
こういった状況下では、隊長格の者が鼓舞の声を張り上げたりするものなのだが、その者達ももはや冷静ではない。
隊を率いる立場の兵士は、馬上にいることで少し高い位置から見える魔王軍に圧倒される。
その数、約四万三千。
数で言えば王国軍のほうが多いが、一人一人の兵士の強さは魔王軍の方が上だろう。
魔物の身体能力は人のそれを大きく上回る。
更に魔王軍の兵士は死を恐れぬ狂戦士。
今のまま戦いに入れば、勝敗は素人目にも明らかだった。
魔王軍は全軍を上げて王国を目指し行軍してくる。
形はそのまま横に長く、四角の形状を保っていた。
定石から言えば、幾つか直線に戦力をぶつけ、左右の連携を分断。
その後包囲し、各個撃破することで優位に立つことが出来るのだが……
それは人間の扱う陣形に対してであり、眼前に迫る魔王軍には通用しない。
そもそも軍の形態からして違う。
人間の軍は、どんな戦況にも柔軟に対応出来るように、幾つかの部隊、小隊に分かれていて、それぞれが隊長という脳を持ち、状況に合わせた連携を取ることで、統制のとれた動きを可能とする。
一方、魔王軍は単純だ。
四万三千の兵全てを一つの塊とし、それを軍と呼ぶ。
小さな編成隊といったものはなく、それを統括する小隊長のような存在もない。
兵が聞く命令は唯一つ、魔王の号令のみ。
これほど認識が違えば、人間側の策など殆ど通用しないだろう。
故に王国軍も下手な手は打てず、力対力の戦いとなる。
老いた体でも、国王は鎧を着こみ城壁の上に姿を現す。
例え戦えぬ体であろうとも、その行為には大きな意味があるのだ。
国王の姿を見た者は、強き意思、強き闘志を胸に雄たけびを上げた。
巨人族の戦いの時も国王は、気丈に皆を鼓舞した。
今回もそうなると思っていた兵士は、姿を現しながら沈黙する国王を見て、俄かにどよめきだす。
微動だにせず、唯魔王軍を見ているだけだ。
国王は恐れたのだ。
十年前とは全く違う魔王軍の姿に。
そして唯一人、人間の姿でありながら覇気を纏い、此方を睨みつける魔王の姿に。
目に見える敵兵は全て醜悪な魔物の姿。人型の者も多くいるが、人間の姿を取る者は一人としていない。
何処から見てもそれは魔族の軍ではなく、魔物の軍であった。
(こんな相手に……我々は勝てるのだろうか……?)
咄嗟に浮かんだその言葉を必死に抑え込む。
こんな言葉を聞かれては、いたずらに士気を低下するだけだ。
我に返る王は、必死に鼓舞の言葉を考えるが、恐怖で真っ白になった頭には、気の利いた言葉を出す力もない。
魔王軍の動きは止まらない。
それどころかその速度は増すばかり。
もはや前に立つ者は全力で駆けてくる。
戦闘が始まる前に、王国兵の精神は限界まで追い込まれていた。
軍が交わるまであと僅か。
誰もが諦め、武器を握ったその時……
一人の男が声を上げた。




