不穏な空気
人々は絶えず走り回っていた。
辺りに響くのは怒声に罵声、そして悲鳴。
既に日は落ち、辺りは真っ暗になっている。
大通りは魔法光の街灯によって照らされているが、路地裏までは届かない。
これだけ暗くなる時間であれば、いつもなら皆寝静まっている頃だ。
にも拘わらず、女子供までもが外を走り回る程、国から下された報告は衝撃のものだった。
魔王軍の襲来。
斥候に出ていた、クリスタルウルフの配下によってもたらされたその報せは、直ぐに王国全域に知らされた。
そもそもの報告では、現在東の山脈を行軍中らしく、その進行速度から予測した結果、このままいけば、後三日もすれば王国に攻め込んで来るとのこと。
しかし魔王軍も大軍である。数が増えれば増える程、その動きは緩慢になるため、五日は見てもいいかもしれない。
先の大戦でも王国軍に許された準備期間は三日だったが、今の兵数はその時よりも多く、当然準備にも多くの時間がかかる。
指令系統もより繊細な調整が必要となるだろう。
もはや少しの猶予も許されない状態だった。
太陽と月の遊び場にもその報せは届いた。
冒険者は有事の際、冒険者ギルドの前に集まるように、と決まっている為、ネイノートとカノンカは、ウィンと共に急いで準備を整え、家を飛び出した。
腰に付けたカンテラの小さな明かりを頼りに、幾つかの角を曲がり大通りへと向かう。
道中何人もの人とすれ違い、二人と一羽は大通りへ駆けこんだ。
そこには見渡す限りの人、人、人。
時間を間違えたかと思う程ごった返していた。
松明を片手に、荷物を抱え走り過ぎる男。
子供の手を握り、悲鳴を上げながら走り過ぎる女。
ネイノートと同じく腰にカンテラを付けた冒険者が、懸命に声を張りながら、国民の先導に追われていた。
その光景に圧倒され、二人は暫し足を止める。
立ち尽くすネイノートらを呼ぶ声が上がった。
「ネイノート君!」
声の方を向けば、火竜の鎧に魔鋼鉄の盾を身に着けた冒険者、ロンダニア・ガノーシュの姿があった。
二人より坂の下の方に立っていて、ネイノートを見上げている。
ハワーズの死から立ち直ったのだろうか。彼の眼は、以前の死んだような物とは違い、強い意志が宿っていた。
「ロンダニアさん!」
カノンカが不安を振り払うように彼の名前を呼んだ。
しかしロンダニアは足を止めたまま、ネイノートを見つめるだけだ。
「すまない、ネイノート君。暫く僕は別行動を取らせて貰う」
安堵の表情を浮かべていたカノンカは表情を凍らせる。
ネイノートも珍しく、無表情な顔を崩した。
ネイノートはロンダニアの真意を測れないでいた。
何か思い当たる節があるわけではない。それでも、何かをしてしまったのだろうか、と必死に頭を働かせる。
ふと気づくと、ロンダニアの後ろには、金色の髪をした冒険者、レシュノアが立っていた。
レシュノアはロンダニアに声をかけると、二人で大通りを下っていく。
その去り際、貴族の顔に意味深長な笑みをネイノートは見た。
奴はまた何かを企んでいるのだろうか?
「ロンダニア!」
ネイノートは堪らず彼を呼ぶ。だが彼は振り返ることなく……
道行く人の波が、二人の姿を飲み込んでしまった。
ロンダニアを見失ったネイノートらは、冒険者ギルドの前に集まっていた。
勿論大通りを下って行ったロンダニアとレシュノアの姿は見えない。
代わりに見つけたのは、『賢者』ことメイレイ・ヒュエリエと、『剣星』ことガンゼオラ・バグナックスだった。
ネイノートの姿を確認した両名は、近くまで寄ってきて隣に並ぶ。
それとほぼ同時に、集まった冒険者の前にグランドが姿を現した。
「冒険者よ!よく集まってくれた!作戦は先の大戦と同様だ!ただ今回は、城壁に出来るだけ寄せて陣を立てることになった!それぞれ自分の為すべきことを確認しろ!皆の活躍を期待する!解散!」
短く要点を纏めると、集まっていた冒険者は散り散りに持ち場へ走っていく。
奔走する兵士たちを尻目に、軽い口調でメイレイは口を開く。
「弓使いさんは城壁の上かしら?」
その質問に、ネイノートは頷くことで答える。
「じゃあ私は前に出ようかしら。久しぶりに妹の雄姿も見たいしね」
何とも肝の座った女だ、とネイノートは思った。
これまでに見かけた兵士は皆、顔を青くして、無理矢理声を出している感じがしていたが、彼女はまるで平常運転といった感じだ。S級冒険者ともなれば、この程度日常茶飯事といったところだろうか。
たとえ人の身を超えたS級冒険者であろうと、会話を交わす程度には見知った顔。一番危険な前線に出ると聞き、嫌でも心配はしてしまう。
「ではわしも、前に出るとしようかの」
少年の驚きと心配を察したのか、ガンゼオラはネイノートを見るとそう述べた。
前線に出るという三人は、互いに戦力の確認をしていく。
一通り疑問が解消されると彼女らは、ネイノートを向いて笑いかけた。
「じゃあ援護は任せるわよ」
メイレイは当たり前のようにそういった。
しかしネイノートの体は一つ。矢も一射で三本までしか放てない。
いかに見知った顔であろうと、ずっと彼女らを見ているわけにもいかないだろう。
「お前たちばかり見てもいられないだろ」
勿論ネイノートにも分かっている。彼女の言う『援護』とは、前衛に対する後衛からの援護であり、彼女らだけに対するものではないことを。
先の言葉は、ネイノートなりの冗談だったのだが、彼女らの対応は、少年の想像と少し違った方向へと進んでいた。
失言してしまった、というように口に手を当てているメイレイ。
カノンカにガンゼオラも驚き目が空を彷徨う。
後に続く言葉も、ええと、とか曖昧なものに変わった。
「……とにかく頼むわよ!」
何とも自分勝手な女だ。
明らかな取り乱しように、質問を投げかけようとするネイノートだったが、それを無視して三人はその場を去ってしまった。
ロンダニアの態度といい、少年はもやもやした気持ちを抱えながら、一人城壁へと向かう。




